第5話


バロンの元へ通う日が幾日か過ぎて、この日も会うためにお手伝いを頑張っていた

朝のとある時間―――半開きになっていた部屋の中でクロバー夫妻と何人かの役人が

深刻そうな顔をして話している声が聞こえた。



『最近、森に凶暴な狼が出没するようになりまして』


『ラフィリアお嬢様が一人で森に入っていかれる姿を見かけたんですよ』


『それはいけません!早くなんとかしなくては…』



ラフィリアはさっと血の気が引く感じがした。


細かい会話の内容はうまく聞き取れなかったものの、明らかにバロンが危ないだろう

ことがわかった。


途中だったお手伝いを急いで片づけて慌ててバロンの元へと走った。


もしかしたら今日のうちに両親が狩猟の得意な人間を連れてバロンを殺しに行くかも

しれない。


せっかく元気になってきて、仲良くなれたのに。


息を切らせていつもの場所に辿り着くとバロンがカサリと草陰から姿を現して

ラフィリアに近寄ってきた。



「……ばろん…っ…わたし…!」



ラフィリアは涙目になりながらバロンに抱き着く。


再び苦しめるために助けたわけじゃない。


元気になって元の飼い主の所で可愛がってもらえたらそれでいい。


だけど、それを約束してくれる人は誰もいない。


また酷く傷つけられてしまうのなら絶対に返したくない。



「バロン…聞いて。あのね、さっき父様と母様と…役人の人が、狼が出て危険だって

言っていたの。だから…あなたはここに居ては危ないの」



ぽろぽろと大粒の涙を溢しながらもラフィリアは続ける。



「狩猟の人が、来るかもしれないし…たぶん……わたしも、ここに…来れない。

せっかく…せっかく、ばろん…元気、なったのに…っ」



一生懸命に言葉を紡いでラフィリアはバロンに伝えようとした。


それをバロンも察したのか彼女の涙で濡れる頬を優しく舐めて慰めるように小さく

鳴いた。



「ごめん…ごめんなさい…。本当は…離れたくないよ…バロン…」



ぐすぐす泣いていると背後から大人の声が微かに森の中を反射して聞こえた。


きっと何も言わずに居なくなってしまったラフィリアを探しに来たのだろうと

咄嗟に思い当たってビクリと体が震える。


バロンはそんな彼女の様子を見て声の方へ向かって唸り声を上げた。



「バロン、だめ。あの人たちはきっと私を探しに来たの。悪い人じゃないの」



ラフィリアはドレスの袖で涙を拭い慌ててバロンをなだめる。


視線を合わせて、真剣な表情で…けれども瞳には優しさを込めて伝える。



「いい?しばらく森に居ては危ないから、ここから離れるの。私もきっと、もう

ここには来られないから…だからバロンとはもうお別れ」



言って、ふつふつと胸の内から寂しさがこみ上げてきてラフィリアはまた泣きそうに

なるのを必死に堪えた。



「でも…でもね…!もし、また会えたら……お願い。このペンダント…返してね。

私の、大切なものだから…約束だよ…?」



せいいっぱいに笑って、ラフィリアはペンダントをバロンの首にかけて振り返る。


心が千切れそうに痛んで寂しくて、それでもバロンから離れて見えなくなるまで

泣きたくなかった。


視界が歪んで自分が今どこを走っているのかもわからない。


次第に大きくなってくる大人の声で道が誤っているわけではないと頭の片隅で理解

しながらほとんどはバロンとの別れが悲しいことでいっぱいだった。



「バロン…。どうか無事でいて…」



その日の夜、ラフィリアはバロンの無事を願うのと同時にあり得ないことを願った。


いつか話した大好きな物語のように――実はバロンは人間で、本当は狼なんかじゃ

ないってことを。


しかし突然やってきた二度と会えないかもしれない別れは、後に聞いた貴族たちの間

での噂によって確実に二度と会えないものとなった。

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