第3話


「私、あなたの怪我を治すために今から触るわね。本当はダメなんだけど誰も見て

ないから母様に教わった魔法を使って治すわ」


これから何をするのか説明をしてからじりじりと触れるために距離を更に詰める。


狼は激しく唸りはすれどもそれだけで、ラフィリアを攻撃するような素振りは見せ

なかったので彼女は思い切って抱き着いた。


きゃんっと怪我の痛みで小さく悲鳴を上げて狼は身じろぎする。


そのまましばらくまた様子を見て『ごめんなさい』と囁いてから治癒魔法の詠唱を

始めると、淡い優しい光が溢れて傷を癒していく。


歌うように紡がれる詠唱は狼の荒々しい気性をなだめて落ち着け――次第に安らかな

眠りへと誘った。


治療を終えてからラフィリアはそっと離れる。


狼の規則正しい寝息を確認して内心でちょっと安心しながら傍らに置いたバスケット

に手を伸ばした。


中から紙ナプキンとメルルが作ってくれたサンドイッチをいくつか取り出して目が

覚めたらお腹が空くだろうからとすぐ側に置いておく。


小一時間ほどは狼の傍にいて時々優しく撫でてやった。


そうしたらなんだか安心して眠っていてくれてるような気がしたから。



「……早く、元気になってね」



ラフィリアは出来るだけ物音を立てないようにその場を離れて屋敷に戻った。


あまり長い間一人で外に出ているとメルルが自分を探しに来てしまう恐れと両親に

心配を掛けてしまう。


明日また、ランチバスケットを持って会いに行こう。


自然と沸き上がる楽しみな気持ちにラフィリアは笑顔で顔を綻ばせながら帰り道を

軽快な足取りで駆けた。


屋敷に帰って来たら案の定メルルが今にも探しに行かんといった様子で待ち構えて

いたのを他の侍女や執事が抑えているところだった。



「ラフィ様!その汚れは一体どうなさったのです!」



メルルはラフィリアを見るなり顔を真っ青にして近寄り、ラフィリアも指摘されて

初めて自分が狼の血で赤黒くなっていることに気づいた。


慌てて盛大に転んだなどと言い訳をして無理矢理に押し通しつつも、心配をかけて

しまったことには変わりないので謝る。


本当のことを言って出禁にされてしまったら会いに行けなくなってしまう。


それだけはどうしても嫌だったから必死になった。


翌日も朝早くに目を覚まして両親と早めの朝食を済ませていつものお手伝いに

取り掛かる。


早く終わらせて昨日の狼の様子を見に行きたくてそわそわしていた。



「ラフィ。今日のお手伝いはこのくらいで大丈夫よ。ありがとうね。」



落ち着かないラフィリアの様子を察して母は早々に彼女を解放して、メルルに

いつものように昼食を詰めたランチバスケットを用意するようにも指示を出して

くれた。


ラフィリアが特に何も事情を話さなくてもそうやって思って動いてくれる母に

毎回感謝しながら許された時間の間に再びあの場所へ向かう。


確かこの辺だったと昨日の記憶を頼りに森の中を歩くこと数分。


だんだんと見慣れた景色が広がってきて同じ気配を感じた。


草の茂みに目を凝らして驚かせないようにゆっくりと近づくと、すぐ斜め前の草原が

ガサリと大きな音を立ててラフィリアめがけて飛び出してきた。



「きゃあっ!」



飛び掛かられた勢いでラフィリアは何かに地面へ押し倒され首元に鋭い感触がして

背筋がぞくりと冷えた。


ぶれる焦点をなんとか合わせて自身にのしかかる何かを急ぎ確認すると、今まさに

噛みつこうとして獲物を抑え込む昨日とは別の狼の姿。


目が血走っていて見るからに獰猛で危険な様子にラフィリアの思考は真っ白で、

管理されているはずのこの森で何故こんなにも狼が現れるのか疑問に思うことも

逃げ出すことも考えられなかった。


徐々に肌に食い込んでいく牙の感触と痛みに恐怖を覚えてぎゅっと目を瞑ると別の

方向から鋭い唸り声と共に、自分を襲っていた狼の悲鳴が聞こえてはっとなる。


恐る恐る目を開いて体を起こし見上げるとラフィリアを守るように傍に立ち威嚇

する漆黒の狼の姿があった。


相手の狼は圧倒的な体格差もあってかすごすごと尻尾を巻いて逃げていき、危険が

去ったことを確認してから黒い狼はちらりとラフィリアに視線を向ける。



「あ……あの…」



ラフィリアがお礼を言おうとした瞬間ビクリと反応して狼は飛び上がり急ぎ草陰に

身を潜ませてしまった。


その様子がなんだかおかしくなって思わず笑ってしまう。


狼はきょとんとした感じで静かにラフィリアを陰から見上げる。



「ふふふっ…ごめんなさい。助けてくれたのに、笑ったら失礼よね。ありがとう。

あなたのお陰で助かりました」



こちらの様子を窺う狼に向かって安心させるように穏やかに微笑みかけそっと乱れた

姿勢を直して座る。


そうしてしばらく互いにじっと見つめ合っていると狼の方からそろりとラフィリアに

近寄ってふんふんと匂いを嗅いできた。


その間も彼女は静かに動かず耐えて様子を見守る。


狼が落ち着いた状態になるまで待って、そのうち持ってきていたランチバスケットを

しきりに気にしてる様子に内心でくすりと笑う。

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