第2話


ラフィリアが心優しい夫妻に引き取られてから4年が経った。


彼女は名をラフィリア・クロバーとして名乗り、ルーアシア王国でも有力なクロバー

侯爵家の一人娘となった。


ここルーアシア王国では大昔に使われていた魔法への関心が強く、今でも数々の

歴史の解読や研究がされている。


現在の人間は昔の人間ほど魔力が強くなく個人がその力を発揮するためには魔術書を

用いなければならない。


魔術書には古の魔力が封印されているので発動するための微量な魔力があれば誰でも

簡単に魔法を扱うことができる。


しかし、それらを悪用する者たちがいるのもまた事実。


なので魔術書を使うには国王に正式に申請して許可をもらう必要がある。


そしてその本を管理するのがクロバー侯爵家の主な仕事であり責任だ。


他にも領地内に王国一の図書館を有していて、そこに務めている司書はかなりの

変わり者と有名らしい。


9歳になったラフィリアはクロバー夫妻の手伝いをしながら温かい毎日を平凡に

過ごしていた。


今日も一通りのお手伝いを済ませて自由になった時間を使ってランチバスケットを

片手に一人で広大な平原を歩く。


メルルが一人では危険だと慌ててついてこようとしていたけれど、ラフィリアは

貴族の令嬢方のように群れて歩くよりも基本的に一人で歩くほうが好きだった。


大丈夫。とやんわり断って逃げるように屋敷を出てきた。



「今日はどこでピクニックしようかな。…あ。あの森は初めてかも」



平原の向こう側に見えた木々の立ち並ぶ森へ足を運ぶ。


領地内は整備の手が行き届いているため移動するにも伸びすぎた草に足を取られたり

迷子になったりすることがない。


多少遠くに出てしまっても各所には小さな看板や地図が立っているのだ。


理由としてはやはり領地内に遊びに来た貴族の人たちが迷子になったり整備に来た

人が方向音痴で帰って来なかったりなどした例があったからだという。


幸いラフィリアは方向音痴でもなければ貴族のように迷子になる恐れもなかった。


道がわからなくなりそうになった時、彼女が両手を合わせて静かに帰り道を念じれば

見えない何かが正しい道を教えてくれる。


それに従って歩けば自然と屋敷に帰って来れるのだ。


そんな不思議な現象は度々起こるようになってきて、つい何日か前もクロバー夫妻が

大事に育てていた菜園のハーブが病気にやられてダメだろうと悲しそうにしていた

姿がとても嫌で同じように手を合わせて『元気になれ』と願った翌日、嘘のように

ハーブは元通りになっていた。


何度かラフィリア自身が強く『こうであってほしい』と願うと現実に起こる正体

不明の力。


それが魔力を使った魔法によるものだと本人は認識していない。


ラフィリアの中で魔法はそれに対応した詠唱や魔方陣などを用いなければ使えない

という理解があったためだ。


自分がまともな詠唱をせず魔方陣も必要としないで魔法を使えているなどとは

つゆほどにも思っていなかった。


クロバー夫妻は薄々そうではないかと気づいていたものの、ラフィリアがまだ

幼いうえに自分たちが直に目にしたことのある魔法だったわけでもないためあまり

確証が持てず説明するにしてもどうしたものかと困っていた。


年齢を重ねるごとにラフィリアの秘める魔力は増えていき、いつの間にか部屋の

電気を点けるのにもわざわざ歩かなくても視線を向けるだけで点けられるくらい

簡単に扱えるようになっている。


それでも本人としては亡き母の『人前で魔法を使ってはいけない』という言いつけを

今も胸に抱いている。


だからあくまで『誰かの目の前』で使わないように意識はしているつもりだ。


初めて入る森の中は木漏れ日で溢れていて神秘的な景色が広がっていた。


いつも見ている人の世界から離れて分断されたような自然の情景にラフィリアの

目は生き生きと輝く。


だんだん楽しくなってきてハミングしながら奥へと歩を進めて、しばらくして

ピタリと足が止まった。


この先に何かがいる。そんな気がした。


それがなんなのか得体の知れない恐怖よりも好奇心が勝ってラフィリアは気配の

する方へ迷いなく近づいた。


見つけたのは少し背が高めの草の茂みの陰に隠れるようにして横たわる狼。


深淵を思わせるような漆黒のやや長めな体毛に苦し気に半分伏せられた金の瞳。


いつか読ませてもらった歴史書の中にあった鋭い爪と牙を持った体の大きな獣…

いわゆる『魔獣』という言葉がぴったりな狼だった。


狼はラフィリアに気づいたのか力無く唸って威嚇する。


もはや体を動かす体力も無いのか横たわった姿勢のまま、視線だけをこちらに

鋭く向けて近寄るなと言いたげだ。


ラフィリアはそれにも構わず視線を反らさないように注意してゆっくりと距離を

詰めて目と鼻の先で静かにしゃがみ込む。



「あなた、怪我をしているのね。大丈夫。私はあなたを傷つけたりしないわ」



刺激しないようにそっとランチバスケットを傍らに置いて、ラフィリアは少しだけ

狼の様子をじっと窺った。


酷く警戒している状態で手を出したら危険なのは幼い彼女でもわかっていたから、

落ち着いてきて相手が何もしないのだと理解して油断する隙を待った。



「私の名前はラフィリア。この辺の土地は私の父様と母様が持っている土地なの。

だから、変な人は来ないから大丈夫よ」



言い聞かせるようにゆっくり優しく話しかけて柔らかく笑む。


そうしているうちに狼の方も言葉を理解したのか徐々に唸ることを止めて視線だけ

寄越すようになった。



「あなたの怪我を治したいのだけれど…触れては、ダメ…?」



確認するように聞いてからそっと片手を近づけると狼はビクリと体を震わせて再び

唸り声を上げる。


見つけてしまった以上、放っておけないし新たな両親にこのことを言えばきっと

ただでは済まないだろうと考えてラフィリアは進まない状況に悩む。


怪我をしていて人を酷く警戒しているから恐らくは元の飼い主に暴力を働かれて

逃げてきたのかもしれない。


平和なルーアシア王国では野犬など会ったこともないし、ましてや狼などはもっと

遠くの山に行かなければ見ることもできない。


無事に元気になったとしてもまた元の飼い主の所へ戻れば同じ目に遭うか今よりも

酷い状態になるかもしれないと思ったらラフィリアは余計に誰にも相談するわけに

いかないと首を横に振る。


自分がなんとかしなくては。


そう結論づけて勇気を振り絞った。

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