第35話 ギルガン太后
「ん」
「来ないな」
「ああ、どうしたか」
「まさか骸骨ども、違う標的を見つけたんじゃ...」
「その可能性はあるな。ルーザ達かも。見に行こう」
ベイクとカーは骸骨を待ち構えていたのだが、あまりに遅いので、来た道を戻ってみる事にした。
彼らは墓地とは反対側の海沿いまで逃げて来ていた。枯れ木が立ち並ぶ林をかき分けながら、街の方へと歩き出した。
すると建物が立ち並びだす辺りから、おびただしい数の人骨が落ちている事に気づいた。しかも、先ほどと違い、それらは踏むと静かに骨粉と化していく。まるで燃え尽きた炭を踏んでいるかのようだった。
「誰かが術を解いたかもしれない」ベイクが言った。
「だといいが」
2人は探りながら、街の中心まで帰ってきた。すると、崩れた旅籠の辺りに灯りがあるのを見つけた。
2人が物陰に隠れてうかがってみると、そこには瓦礫から荷物を掘り出そうとしている、ハザン、ルーザ、ヘカーテがいた。
「無事だったか」カーは急いで駆け寄った。「どうした、みんな、服がびしょ濡れじゃないか」
「ん。まあ、みんな無事さ」ヘカーテは少し疲れが見える。
「服を乾かさんといかんな」ハザンが言った。
「少し休息をとろう。交代で見張りを」ベイクは街で休めそうな場所を探した。「宮殿に行くのは明け方がいいだろう」
空が少しずつ夜の帳を引き上げ始め、海の果てから暁がゆっくりとやって来た。辺りの雰囲気はまるでのどかで平和な、ゆっくりとした時間が流れていた。
通りかかる木々の合間からは虫達が羽を鳴らして、小鳥は1日の始まりをさえずりで始めだした。宮殿へ行く道には墓場の泥が巻き散っていて、ブーツと擦れた。
5人は宮殿の前まで来た。それはテスの館よりもさらに古びている。壁の石は変色していて、元が何色であったかも分からない。宮殿の様式はやはり旧時代のもので、かつての貴族が莫大な資金で建てたと思われるような様式美に溢れていた。入り口には左右にライオンの彫像がいて、今にもこちらに飛びついて来そうだった。玄関の蝶番の輪は重厚で太く、その背は自分達の2倍はありそうかというくらい背が高い。段々になった宮殿自体は、それほど背が高くはないが、そこから4本の尖塔が伸びていて、海の向こうから来る船を監視するには十分な高さだった。
恐らく太后が帰って来た時に、この宮殿はまだ残っていて、そのまま取り返して使っているのだろう。彼女にとっては夫と子供の家なのだ。
ベイクは勢いよく扉を開けた。4人ともそれに驚きはしなかった。決意はみんな一緒だった。
中は薄暗く少し黴臭かった。
宮殿の1階は全てが2階まで吹き抜けの、一間の大広間だった。縁が金で刺繍された幅広い絨毯が入り口から先に伸び、それは向こうの競り上がった玉座まで続いている。壁には縦長の窓、2階部分にも同じ窓がいくつも並び、やはり縁は豪華な金であしらわれている。
テスの館と違い、余計な調度品の類は一切なく、だだっ広い部屋ががらんどうとしていて、石の床や壁が室内を冷え冷えとさせていた。
なにもない。しかし金の重厚な玉座に誰かが座っていた。
5人は足音を響かせながら玉座まで歩を進めた。ベイクが前、後ろにルーザとヘカーテ、それにカーとハザンが続いた。
台座まで、まだ5メートルはあろうかというところで立ち止まる。玉座に座っていたのは、目をつむった男だった。
顔は皺がよっていて、初老だが綺麗な肌色をしており、厳格そうな眉毛の下の眼は閉じていた。まつ毛が長く、手入れされた髭がより彼の男前を引き立てていた。肩まである長い髪は、権威の象徴とも言うべき立派な金の髪飾りで束ねられている。体には赤い布地が縫い付けられた毛皮のローブが着せられていて、手すりに当てがわれた指先の、左薬指には立派な赤い宝石の指輪をしている。
彼はピクリとも動かず、そこにただ座っている。
「これは」カーは声を上擦らせながら言った。
「ギルガン」ルーザが言った。
「死んでいるのか」とヘカーテ。
ハザンは無言だった。
「ひざまずきなさい」女の声がした。
5人は台座下の脇のカーテンを見やる。そこから、黒いドレスを来た婦人が現れた。横から台座を上る。
巻き髪の下の広いおでこに、皺一つないむらのない顔。古風な化粧でもしているのかと思わせるほど白かった。眉毛のない目は白目がなく真っ黒に沈んでいる。小さな鼻に小さな唇をしていて、整ってはいるが童顔のようにも見える。花のような襟飾りがついた何らかの模様に編まれたドレスは、細い体にフィットしていて、それに縫い付けられた盛り上がったスカートへと続いている。手には折りたたんだ団扇を持っていた。
「ギルガン公の御前なるぞ。ひざまづけ」女は高い声で言った。
「それはギルガンにあらず。貴殿が太后か?」ベイクが言った。
「いかにも。私がエライザ・ド・ステアナ・ギルガンである」女は言った。
「そこにはギルガンはいない」
「黙れ。よくも我が子供達を」
「気付いていたのか」ベイクは続けた。4人は何も言わなかった。太后を前に、黙って話を聞くしか出来なかった。
「貴様達がやって来て、何となくは気づいてはいたが。やはり」
「子供の仇を見て、怒って飛びついて来ると思ったがな」ベイクはおどけてみせた。
「そんな事は貴婦人がする事ではない。貴様らのような猿ではないのだからな」
4人が感じる恐怖の正体が分かった気がした。静かなのだ。まるで悲しみや怒りという感情を見せぬ太后に底知れぬ不気味さを感じる。押し隠しているのか、それともないのか。
「なるほど」どうやら貴族というのは我々と頭の造りが違うらしい、とベイクは思った。
「家族達はみんな蘇る。私がいる限りな。子供達たちの研究を、私が完成させるのだから」太后が言った。
「1つ訊くが、貴殿は人間ではないな?ギルガンは人間だが」ベイクが訊いた。
「そうだ。我々は異種族の夫婦。子供達はその間に生まれし子だ。許されぬものだった」
「では貴様は何者だ」
「こういうものだ」
そう言うと、太后の黒いドレスが破れ、体が膨れ上がる。破れた合間からは黒い体毛のようなものが現れ始め、盛り上がった肩からドレスが引き裂けた。巻き髪が徐々に黒い野獣の毛と同化し始め、顔が平べったく歪んでいく。鼻の下が割れ、鼻が肥大化し、それ以上に口が耳まで裂けるが、すでに耳は頭上に来ており、それも毛で覆われていた。太后の手は前足となり、地面につけた。尻からは毛のない鱗に覆われた蛇が2匹飛び出ており、口を開けて辺りをうかがっている。地面に破れ落ちたスカートから出てきたのは、爪の剥き出しになった黒い下半身で、まるで彼女は黒い雌ライオンの姿だが、大きさはそれの2倍はありそうだった。
黒い悪魔は目を黄色に輝かせながら、ギルガンの側を離れ、こちらに歩いて来る。
「ああ」ヘカーテはその場で立ちすくんでしまった。
「ヘカーテ、あちらに」ルーザはヘカーテの手を引いて壁際に駆けて行った。
カーは無言で斧を握り直す。
ハザンは袖の中を確認した。
歩いて来る太后に、ベイクが言う。「そら、ギルガンも帰って来たくないはずだ」ベイクは白銀の剣を抜いた。
「な、なに?」巨大な獅子が喉の奥から言った。自分の姿を見てあまりうろたえないベイクに苛立っているみたいだった。「その剣は?」
「ギルガンが託したのさ」
「嘘をつくな」太后は獣が発するような鳴き声を上げて飛びかかって来た。空気がビリビリ振動する。
3人は方々脇へ飛び避けた。太后の大きな手が絨毯を引き裂く。勢いよく巨大な太后が着地すると、石の床が揺れた。
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