第19話 ルーザの怒り
赤毛の女は大門から中に入って来きた。こちらに歩み寄り、土豪の前の息が切れた戦士達を見やり、無言で城塞都市ラペの風景を見渡した。
何とも汚い街だ、みんなこんな所に住んでいるのかと思った。
彼女自身がわざわざ街に侵攻することは今までまずなかった。彼らを生かしておく事が意味がある事。彼女が出てくればやり過ぎてしまう。
もはや獰猛な獣達は外で待っていて、街に入って来ない。どうやら本能でモラレバに遠慮しているらしい。
モラレバは黒い鎧をかちゃかちゃ鳴らしながらさらに入って来た。土豪内は静まり返り、男達は目の前に現れた、黒い甲冑を着た女を見ていた。自分達より少し背が低く、それほど体格げ良いわけではない。左右の腰にに1本ずつの刀剣。幅広で中くらいの長さだが、立派な装飾を施した鞘に納められてる。
肌の色は白過ぎずといった健康そうな褐色で、どこにでもいそうな普通の女、見方によれば成人にも満たない少女に見えなくもない。
「お前がモラレバか?」ベイクが言った。彼は無傷で息もさほど切れてはいなかった。
「そうだが」モラレバの表情が少し曇る。「随分偉そうにものを言うじゃないか。私を知っているのか。知るならば、貴様の態度は、統治される者の態度じゃないようだな」
「誰もお前らに統治されていない」ベイクは鼻で笑う。
「なるほど。お前は名前はなんという?」
「名乗るほどの者じゃない」ベイクはなおも言い返す。
「ふん。外から来たのか?」モラレバはうんざりしてきたようだった。
「それも答える気がない。かかって来い」ベイクは白銀の剣を構えなおした。
カー団長も斧を両手で持ち直し、構える。しかし、ベイクはカーに向かって、手の平で待つように静止した。
「カー団長。こいつだけは俺にやらせてくれ」
「一騎討ちか?こいつはああ見えてかなり手強い相手のはずだぞ」カーが言った。
「いいから」ベイクの声色が変わる。カーと周りの戦士はその声を聞いて、少しはっとなった。それを見てベイクが言った。「すまん」
「分かった」カーは斧を下ろし、土豪のそばまで引き下がった。
「お前」ベイクがモラレバに言う。「何100年か前、アーラ族の谷を襲ったか?」
「アーラ?分からんな。名前もわからんし、いちいち覚えてない」モラレバはにやけた。「月に1回はどこかに赴くからな。その時々で根絶やしにするかどうかは気分次第だ」
「外道が」
「貴様は簡単には殺さんぞ。首輪をして、兄さんに改造してもらって、私のコレクションにしてやる。気に入った」モラレバはベイクをにやけ顔で見ていた。
ベイクが凄まじい音を立てて地面を蹴る。あまりの速さで、土豪を見つめる者達は刃が組み合う音がするまで、その光景を知覚出来なかった。
ベイクの斬撃を受け止めたモラレバの抜刀も速かった。両手をクロスさせて、2本の片刃の剣を抜くと、その刃をまたクロスさせて、ベイクの一撃を受け止めた。
その次の瞬間にはモラレバは、左の刃でベイクの刀剣を受け止めたまま、右の腕を振り、真一文字に斬りを繰り出す。しかしそこにはベイクの首はなかった。
空を切るモラレバの右腕を、足を広げて身を屈めたベイクが切り上げるが、モラレバはそれを避けて後ろにのけ反り、腕をそのまま平行に肩の上まで上げ、振り下ろす。
ベイクはモラレバの刃が降りてくる前に彼女の左後方の地面に頭から転がり込んだ。
モラレバは心臓が高鳴る。生まれてこの方これほどまでの手練れに出会った事がなかったのだ。ベイクの素早い動き、しなり躍動する筋肉、それにあの殺気に満ちた目つきを見ると、顔が火照って嬉しくなった。
モラレバは今、初めて全力で向き合わなければならない相手に、出会ったと思い始めていた。相手をなめてかかったら殺される。
突然、モラレバは刀剣を地面に突き刺し、無防備な状態で胸当てを外しだした。地面が重い甲冑に叩かれて響く。あれはかなりの重量だ、とカーは思った。
「腕が硬くて外れないんだ。お前、外してくれるか?」モラレバはベイクに微笑みかけた。
「はやくしろ」ベイクは待った。
腕甲と脛当ても外す。モラレバの周りそこらに甲冑が散らばった。モラレバは、鎧の下着服以外を全て外し、ほとんど白い布の服だけになった。
モラレバが満足し、再び剣を握り直す。しかし、すでにベイクはそこにおらず、彼女の右手に回り込んでいた。
速い。目を離せば一瞬で斬り殺される。
モラレバはベイクの斬撃を、右腕の剣で受け止め、反転して左の剣で反撃した。するとベイクはそれをのけ反って避け、また左にサイドステップを踏んで、モラレバの右側に回り込み、切り込む。
ばれている。右利きなのを。
奴は二刀流の相手との戦い方を知っていて、慣れている。
ベイクはモラレバが、右手の剣で受け止めざる得ない攻撃を何回も繰り出した。利き手を防ぎ、相手の隙をうかがっているのだ。モラレバは、彼にとって相手の刀剣が、1本だろうと2本だろうと変わりがないのだと悟った。
二刀流を使いこなせば合理的に攻撃と守備が隙なく繰り出せる、そう信じて来たのが今打ち破られた。
彼ほどの打ち込みスピードと距離感の正確性があれば、私の左手の斬撃は当てられないだろう。彼は私の右にずっと入り続け、恐らくそこでは左手の剣の動きしか見ていない。
なおもベイクはモラレバの周りを回るように動き、剣を繰り出しては、避けた。不意にモラレバが2回ステップを踏んで回り込もうとしても、ベイクはそのタイミングでは繰り出さず、流して2回踏む。相手の右手に来たタイミングで斬りつけ、それを受け止めざる得ないようにする。
いわばいたちごっこの形になっていた。
モラレバは何とか状況を打開しようとし、ベイクの右からの一撃を、体を捻って左手で受け止めようとした。しかし、身を捻る時間が稼げなかった。タイミングがずれた。
モラレバの左腕が落ちた。
モラレバの一瞬の間。モラレバの切り落とされた左手から血は流れなかった。
そこから、下からの切り上げを、モラレバは右手の剣で何とか受け止める。
モラレバは腕を切り落とされたのに激昂して、目を血走らせ、なりふり構わずベイクの左腕に噛み付いた。
そのままモラレバはベイクを押し倒し、上にのし掛かる。顔が歪み、皺だらけの血管が浮き出た顔。額が鳥の雛のように波打っていた。
ベイクの二の腕から血が吹き出た。ベイクはまるで人というより獣に噛まれたような感覚だった。歯が異常なまでに鋭利なような気がしたのだ。モラレバの口の周りが真っ赤に染まり、地面にまで鮮血が滴り落ちる。
すでに2人とも剣を手放していたが、モラレバの押さえつける力が人のそれではなく、ベイクは起き上がれない。彼女の右手はベイクの喉を万力のような力で食い込ませていた。まるで獲物を捕らえたライオンみたいに。
ベイクもさすがに危険を感じ始めたその時、首を絞める力と顎の力が少し弱ままた気がした。それはほんの少しずつであったが、徐々に力がなくなっていき、上にのし掛かる彼女の体が重くなってきた。
ベイクがモラレバの顔を見ると、いつの間にか彼女は白目を向いていた。口からベイクの血と共に泡を吹いていて、次にベイクの身体の上に自分の血を吐き始めた。
モラレバの身体は完全に力を失い、ベイクの腕の上でゆっくりと事切れた。
死んだモラレバを退かして周りを見やる。しかし、周りには自分を助けてくれた者が見当たらない。街の戦士達はみんな出入口からこちらを見ているし、カーも土豪にもたれかかってこちらを見下ろしていた。
なぜモラレバが死んだか、彼女を見て確認しようとした瞬間、向こうからルーザが駆け寄って来て、ベイクの噛まれた腕に布を当てがった。
「ルーザ」
「大丈夫?何でみんな助けようとしないの」ルーザは顔を紅くして怒っていた。
「俺達が無闇に近寄ったら、巻き込まれて殺されてたな」カー団長が腕組みしながら言う。「手に負えんかった。足を引っ張っただけだ。あのやりとりには関われんかった」
「でも」ルーザは止血のためにベイクの頭を持ち上げる。
「ルーザが...ルーザが術で?」ベイクは起き上がりながら言った。
「ええ。窒息させたわ。何かとても怒りが湧き上がってきて。この女を見ると」
「ルーザ...」彼女は無念を自ら晴らした。ベイクはそう思った。
カー団長は2人の様子を見て、ニコニコしながら近づいて来る。どんな時も彼はこうだ。「まあまあ、腕の傷が深そうだから、向こうにどいてな。みんな治療出来たみたいだから、あとは任せろ。ルーザ、頼む」
ベイクとルーザは引いた。歩いて土豪の外まで出る。それをハザンは遠くから見つめていた。
「いいか、みんな」カーが、街中に届くような大声で叫んだ。「勝鬨を上げろ。畳み掛けるんだ」
街に鳴り響いた地鳴りの様な怒号は、戦士達だけのものでなく、気になって街中から様子をうかがっていた街人みんなのものだった。
一筋の勇気が小さな川の流れのように山野を流れ、やがて大河に注いで海に流れ出した。それは無限の水を巻き込んで、何事にも塞き止める事ができない、無数の川へと流れて行った。
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