第17話 押し寄せる獣

 垂れ込む雲の間から必死に日差しが注そうとするが地上にはあまり届かない。本来なら気持ちが良い朝のはずなのに、どんよりと湿気が多く、何もない大地の水分を蒸発はさせない。その大地はほとんど草も生やす事を許さないし、ほとんどの生物の当然の営みを許さない。気候、温度、湿度、地形全てがそれに加担しているとしか言いようがなかった。


 地平線に土埃が立っているのを見つけたのは、城砦の見張りだった。街の中央の1番高い建物の屋根には大きな鐘があり、有事の時にだけ鳴らされる。有事と言ってもそれは火事や地震などではなく、ただある1つの理由からしか使用されない。敵襲だ。


 鐘が鳴り響いた。ベイク達が研究所で火災を起こして2日目の朝だった。


 いち早く鐘を聞きつけた戦士の若手達が城壁の内側、大門の前に土豪を作るべく砂袋を積み始めた。そこに市民も加わる。彼らは口伝えに、カー団長の立てた作戦を聞いており、それに自然と同意していた。彼らの進む道はそれしかなく、すべき事はそれしかなかった。


 生命を賭けて抗う。それしかなかった。


 街の中に闘技場が出来上がっていく。高さが2メートルはあろうかと言う左右に出入り口が付いた丸いリング。その袖からは人が出入りしたり、味方が倒した骸を邪魔にならないように引きずり出す。そちらが敵に襲われれば、その袖を利用して、数を限定して撃退できる。


 城壁に立つ弓使い達は、ヘカーテと手伝いの者達が修繕したり、作ったりした強固な弓矢を取り出して、城壁のそれぞれの持ち場に並べる。丸2日でおびただしい量の矢が用意できただけでなく、より丈夫で強固な弓矢が出来上がった。


 ラペにもともといた術士達にもヘカーテは防具を作った。ルーザの教えのおかげで、彼らが潜在的に持つ法力を高められたため、実戦に出ても役に立つ、効果的な治癒術を身につけた。彼らも今回から戦闘に参加する。


 ベイクは白銀の剣に鞘を作ってもらい、それは腰に差して、手にはナタを持って部屋の外に出た。ルーザのおかげで、傷痕は残るが痛みは全くなくなっていた。


 街の戦士約40人、ほとんどにヘカーテ達が作った、板金を内側から打ち込んだ皮の服が行き渡った。少し重量はあるが、今用意できる物の中では1番機能性があり、その辺の甲冑になら匹敵する防御力がある。後の着こなしはおのおの自由だ。


 ベイクとカーが街の者達が作った土豪の強度に感心していると、城壁からハザンが降りて来た。今回、彼が約30人からなる弓部隊の指揮を執る。


 「あとどれくらいでやって来そうなんだ?」カーがハザンに訊いた。


 「恐らくあと1時間くらいかな。向かって来る速度はあまり速くはないな。まだここまで10キロくらいあるかも」ハザンの戦闘服はどちらかと言うと動きやすさを重視していて、手足の肘と膝から先は、細いサラシでぐるぐる巻きにしていた。


「矢は何本ある?」ベイクが訊いた。


 「3000かな」


「少し心許ないな」


 「そうかな。まあ命中率さ」そう言うとハザンはまた城壁の上に戻って行った。


 「酒でも飲むか?」カー団長が言った。


 「遠慮するよ。術破りが鈍る」ベイクは街を見に行った。




 「それは何をしているの?」ルーザは落ち着かず、街のどこにも居場所を失って、ヘカーテの工房にいた。


 ヘカーテは剣の叩き台にグラスを置き、そこに水を注いだ。そして表面を張力させ、静かにその前に座って見つめる。


 「これは昔からの鍛冶屋の儀式さ。城の者が、自分でこさえた武具を着て出陣するのを見送る時、こうやって水をたたえて清めるんだ。この水が溢れれば負ける。溢れなければ勝って帰ってくる。何もできない俺達なりの祈りなんだ」


「あなた、意外と信心深いのね」


「実は、俺の親父はこれをずっとしていたが俺はしなかったんだ。跡を継いだ後もね。俺は迷信だと言って信じなかった。今まさに初めてするんだよ」


「祈っているのね。ベイク達の勝利を」


「いや、確信してる。ベキャベリ将軍は勝つよ」




 「戦の前は何を考える?」カーがベイクに訊いた。2人はもう土豪の中で腕組みして、敵が到着するのを待っていた。まだ他の戦士達

は、土豪の中に入って来ない。


 街は静まり返っていた。ある男は窓から外を見、ある女は娘を抱きベッドで祈る。酒屋の主人はは祝杯用の酒を用意していたし、診療所の医師はいつでも怪我人を受け入れられるように寝台のベッドのシーツを整えていた。

 城壁の弓隊はただじっと砂埃が大きくなるのを見つめていたし、術士達は戦士の後ろで、自分の仕事があまり来ないように願った。


 「戦の前に何を考えるかって?」ベイクが訊き直した。


 「ああ。俺は母ちゃんと子供達の事を考えるよ。何か大変な時、土壇場で考えるのってそんな事じゃないか。凄く単純な動機。でもそれが自分にとって1番大事なことじゃなかろうかと思うよ」


「俺は...俺は何も考えないな」


「何も?寂しいな」


「いや、頭を空っぽにするんだ。何かあるから熱くなるし冷える」


「無我か。それは出来る奴しか出来ねえな。あんたは強者なんだよ。それで仕事をこなしきるってのはな」


「わからんが、それが楽なんだよ。感情に囚われないのが」



また、鐘が鳴る。小刻みに5回。5というのはここでは縁起の良い数字だ。

 

 地鳴りが近くなり、街全体が揺れる。弓隊が一斉に1発目の弓を弾いた。少しして、大門に何かがぶつかる音がした。


 ハザンが降りて来た。外が騒がしく彼の声が聞き取りにくい。「敵はおよそ1000。あと今日は珍しく、後列ににそれはそれは立派な帆が着いた馬車がついて来ている。あんなの今まで見た事ないな。誰が乗っているやら」


「車か。誰か視察に来たか。俺達も注目されているな」ベイクはニヤリと笑う。


 また門を叩く音。先ほどより強くなっていた。


 カー団長は手を挙げた。戦士達が配置に着く。左右の口に2人ずつ、中に8人。彼らは今まで一緒に戦ってきた経験豊かな、カー団長が信頼する者達ばかりだった。


 カー団長が指で合図すると、甲高い軋みを上げながら、大門がゆっくり開く。


 少し開くと、水牛が頭を覗かせ、身を何とか捻じ込ませて無理矢理侵入して来る。猛り狂い、そのままカーの方へ突っ込んで来た。


 カーは身長より長い、左右、上下に大きな斧の刃を付けた4枚刃の槍斧を振り回し、水牛の頭を瞬く間に砕き割った。水牛は体を痙攣させながら、そのまま動かなくなった。


 「あまり近寄るなよ。本気を出すからな」カーがそう言うと、街の戦士達は無言で遠ざかった。


 門が開いて敵が押し寄せる。あとはまた閉じるタイミングが大事になってくる。カーはまた指で合図して、片方の門だけ閉じた。侵入を限定したのだ。


 ベイクがナタを構える。突進してくる水牛の頭に一撃見舞おうと叩きつけた瞬間、使い過ぎでナタの柄が折れて、刃が吹っ飛んっていき、背後の土豪に突き刺さった。そのままベイクは水牛のタックルを喰らい、自分も飛ばされて土豪に叩きつけられた。


 その水牛は戦士達が3人がかりで斬りつけて止めてくれた。ベイクはナタの刃を抜いて、また後で探せる様に土豪の上に置いた。


 次にあの反転した色の豹が3頭、街の中に入り込んできた。1頭はカーの方、1頭は戦士達、1頭はこちらにやって来る。口から涎を垂らしていて、何やら前より凶暴そうに見えた。餌を与えられてないのだろうか。


 ベイクは白銀の剣を抜く。飛び付いて来る豹をギリギリまで見切り、相手の前足が伸びきった瞬間、前足ごと顔に斬りつけた。


 すると確かに手応えがあったのに、豹は静かに停止し、目の輝きを失って地面に転がった。ベイクがよく見ると、傷口があるのにそこから血が流れ出ない。


 これは剣の霊、だとすると切るのは...。


 これは生命だけを断ち切る剣なのか。


 向かって来た蛇男の斬撃を、ベイクは反射で受け止める。ベイクは白銀の剣で受けられた事にほっとした。なんせ剣の霊なのだ。


 しかし、その斬撃は傷口以外の痕跡を残さず、出血はしていないようだった。


 戦士達は2人組以上の陣形を崩さないように寄り添いながら、暴れる獣どもを囲い込んで行く。


 水牛の化け物の突撃を喰らい、戦士の1人が土豪に飛ぶ。1人が口まで、彼を引っ張って行き、術師に見せに行く。カー団長はその水牛にまた真上から叩き込み、背中から切り裂いた。


 返り血が一面に飛び散る。


 「閉めろ」こちらに敵が数匹入り込んでいるのを見計らって、カー団長は扉を閉めるように合図した。


 扉の外に獣達が集まる。そこに向かって、上から射撃が行われる。すると闇雲に撃つより命中率が上がった。


 ヘカーテが作った弓矢は性能が格段に上がっていた。一斉射撃をハザンの号令通りに行うと、放った矢の半分くらいの数を命中させられた。


 5度の一斉射撃。一定間隔で射撃の指示を出しながら、ハザンは真っ赤な帆の付いた馬車を見やった。それは2頭の真っ黒い馬が車を引いていた。明らかに戦場で目立つ色。まるで敵の注目を集めたがっているみたいだ。


 真っ赤な馬車は門から300メートルの場所で静止し、それを獣達が追い越して行く。少数だが、この城塞都市の他の入り口を探して裏側に回り込む者、石造りの壁をよじ登ろうとする者もいるが、成功した者はいなかった。


 土豪に入り込んだ蛇男の胴を、ベイクが真っ二つに切り裂くと、それは出血もせず、内臓が流れ出る事もなくその場に崩れ落ちる。これで今引き入れた敵はみんな撃退した。


 「おい、その剣はどうなっているんだ」カー団長は不思議そうにしげしげと、ベイクの持つ剣を眺めた。「それ、どうしたんだ。来た時持っていたか?」


「いや、ここに帰る途中に貸してもらったんだ」


「もらった?誰に?」


「それは...」


また大門を叩く音。これだと扉がいつ壊れるか分からない。カー団長はやむなく話を打ち切り合図した。


 扉が半分開く。すると入って来たのは頭が蛸に似た人型の化け物で、顎から肩にかけて蛸の足が垂れ下がっていた。鉄の胸当てや具足を着けていて、手には片刃の刀剣を携えている。


 「不気味な奴らだ」カーはうんざりしていた。


 「もしかしたら」ベイクが言った。「あいつらは合成生物なんじゃないだろうか。それをクローンで増やしているんじゃ」


「合成生物」戦士達の誰かが身震いしていた。



 

 

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