第15話 白銀の騎士

 ベイクが階下に降りると、ハザンが廊下の向こうに立っていて、顔や体が煤だらけになったベイクに駆け寄ってきた。


 「ベイク。無事か?火傷しているのか」ハザンはベイクの顔を覗きこんだ。


 「大した怪我じゃない。もう2階には誰もいないと思う」


「そうか。研究員達はみんな穴に誘導したと思う。俺達も脱出しよう」


「ああ。もうすぐ火の手が上がる。いい反撃の狼煙になるだろうよ」


2人は穴に飛び込み、中腰で出来るかぎり速く駆けた。途中から研究員が詰まってもたもたしていたので、ハザンは叫んで急かした。


 ベイク達が穴を出てきると、穴の周りに集まった研究員がしげしげとベイクとハザンを見る。みんな長らく酷い仕打ちを受けていたのだろう。2人を、怯える様な猜疑心に満ちた目で見ている。


 ハザンはみんなに声をかけて、その20人足らずの研究員について来るように促した。ラペへ向かう方角は彼の方が把握していたので、彼が先頭を歩き、ベイクがまた殿をした。


 何が起きるか分からない。先を急がねば。


 研究所から城砦都市ラペまでは数キロあった。何もない広い荒野を、出来る限り最短の直線距離で駆けなければならないが、研究員達は長い間運動もせずに長い間閉じ込められていた為か、全体的に進むのが遅いのでハザンとベイクは加減して走らなければならなかった。


 何もない荒野を走る。ベイクが背後を見ると、遠くに黒い煙が上がっていた。煙は3キロ弱離れたここからでも、燃える対象物以上にはっきり見える。


 その縁が何か黒く変化してゆく。煙のたもと辺り。ひょっとしたら奴らの仲間が、研究所の以上に気づき、集まってきているのかも知れない。


 ベイクは皆と少し距離をとった。ひょっとしたら、黒い塊が大きくなったかも知れない。あちらから察知して、こちらに向かっているのか。


 500メートル程進んで、確信に変わった。こちらに向かって来ている。ハザンがこちらを振り向く。走るペースを弱めるベイクを見て、また前を見た。


 「追手だ!急ぐんだ」ハザンは皆を叱咤する。汗だくで疲れ、ペースが落ちていた研究員達は再び恐怖に駆り立てられて、少しペースを早めた。


 遥か向こう、微かにラペが見えてきた。右手向こうにあの森林も見える。馬や荷物の回収には行かなかった。すでにベイクはあまりついては行かず、迫り来る追手を見つめていた。


 猿人や水牛の化け物、それに蛇の頭をした者が、狂った様に走ってくる。それは何十頭もいた。


 ベイクには1人で迎え撃つ以外に考えが浮かばなかった。ナタを振りかざし、進行方向とは逆に走って行く。あとは、カー団長達が何とかしてくれる、と思った。自分が奴らの追跡を遅らす事ができれば。


 ベイクは向かってくる水牛に飛び乗り、首筋を切り裂く。倒れ込んだそれを盾に、向かって来る猿どもを叩き斬り、骸を壁のように横たわらせて、積んだ。


 猛り狂った水牛が角を向けて飛び込んで来て、ベイクは宙に浮いた。地面に叩きつけられ、猿人にのし掛かられ、それは顔の肉に噛みつこうとした。必死に両手で猿人の顔を押さえ付け、首の骨を捻り砕いた。


 ナタがどこかにいったので、ベイクは猿人と素手で向き合った。


 すると横からまた水牛のタックルを受け、地面に滑り飛んだ。ベイクは立ち上がる。すると、ナタを見つけたのと同時に、何匹かの蛇男が、ベイクを無視してハザン達を追いかけているのに気付く。ベイクが急いで走ってナタを拾い上げる。頭をアドレナリンが頑張らせてはいたが、少し視野が狭くなっていた。


 蛇頭を追いかけようとした時、その化け物の傍らには、突如として白銀に煌く甲冑を着込んだ騎士が、武装した馬に乗って立っていた。


 先程までは周囲には居なかったはずだ。ナタを拾い上げた次の瞬間にはもうそこにいた。


 恐らく考え得る限りの最完全防備の騎馬戦士の装備を纏い、美しい板金が曲線を描いてしつらえている。視野以外の顔ほとんどを覆う兜には美しい装飾を施した顎当てが付いていて、首筋や肘、膝には目の細かい重ね板で繋がれる。胸当てや裾、腕甲、脛当て、爪先まできっちり肌が覆われた隙のない甲冑。手には美しい弧を描くランス、逆の手には無地の細長い大楯を持っている。それの正体を示す箇所は何もなく、それは同じく白銀の甲冑を着せられた馬も同様だった。


 ベイクをもってしても、それほどまでに美しい白銀の完全な甲冑を見た事がなかった。おそらくとてつもない重量があるだろうと思われる。


 白銀の騎士はゆっくりと蛇男に馬を運び、手に持つランスを、知覚出来ないほどの速さで繰り出し、次々に蜂の巣にした。


 先ほどベイクを押し倒した水牛が、騎士に駆けて行く。すると、騎士はするりと馬を走らせ、水牛の突撃をいなすように側面に回り込み、胴体に数発撃ち込んだ。すると水牛は静止して、その場に崩れ落ちた。


 騎士はゆっくりとベイクの方にやって来た。ベイクの背後の追手達は様子を見ているようだった。


 「異邦より出でし者よ。お主の心、しかと見させてもらった」


 騎士の声は低く、まるで頭部の口から発されてはいないかのように聞こえた。ベイクは自分が疲れていたので、気のせいだと思った。


 「あんたは誰だ」ベイクは疲れてナタを杖代わりに立っていた。


 「私は有るようで無き者。こちらに帰りし者。帰らねばならぬ者」


「は?はあ」ベイクにはよく分からなかった。


 「貴殿にお願い仕りたい。必ずや彼奴らの所業を断罪する事。さすれば私も帰れよう」


「彼奴らって太后達の事か。あんたがなぜやらない?」


「私には出来ぬ。それ故にこうして貴殿に懇願に参った」


こう見えて、頼みに来たのか、とベイクは思った。相手の表情が見え無いのでよく分からない。


 白銀の騎士はゆっくりとベイクの後ろに回り、獣達の前に来た。すると、一斉に飛び付いて来た獣達を弄ぶかのように寸でかわし、白銀のスピアを撃ち込んでいく。


 1匹、また1匹と沈んで行く。彼はかなりの使い手で、馬と騎馬槍を手足の様に操り、着込んでいるかなりの重量の鎧をまるでもろともしていなかった。

 そして撃ち込みの正確性。あの兜の限られた視野での動作にしてはかなりの動体視力をしていた。


 気がつくとしゃがみ込んだベイクの周りに野獣の骸がそこら中に散らばっていた。向こうを見てももう追手も来ておらず、ハザン達は見えないくらいに遠ざかっていた。


 「貴殿は周知であろうが」騎士はこちらに近づく。「彼奴らは人道を外れた。それも愛がゆえの非道。もはや死をもって償っても償いきれぬ。しかし、死なねば屍の悲鳴は止む事がないだろう。それは私の悲鳴でもある。私には彼奴らを葬れぬ。頼む。貴殿が替わりに彼奴らを止めては貰えぬか」


「言われなくてもそうするつもりだ」ベイクは立ち上がって言った。


 騎士は静かに頷くと、ベイクの側に、鞍に仕込んでいた刀剣を突き立てた。


 「それはすでにもうこの世になき剣。剣の霊なりき。剣の無念は私の無念。彼奴らが死んで私と一緒に召されるまで、比類なき切れ味で貴殿に仕えよう」


「えっと」ベイクは困った。「俺は呪いをかけられた金属アレルギーで、金属製の得物が扱えないんだ。触ったら生死に関わる発作が起きる」


「それはすでに金属にあらず。かつてそうであった物だ」


「ああ」それでもベイクは触らなかった。


 「ではまた参ろう」白銀の騎士は荒野を歩いて去って行く。しかし、瞬きした瞬間、まだ見えるはずの騎士が視界から消えたような気がした。


 ベイクは疲れていたので、あまり考えず、騎士の残した刀剣を握る。


 何も起きなかった。発作が起きない。


 剣はやはり白銀で、刃や柄に顔が映りそうなほど磨き上げられている。しかし、辺りの景色が鮮明に映るのに、ベイクの顔は映らなかった。


 ベイクは刀剣越しに事切れた獣達が見えた。映る。


 ベイクはその刀剣に生者が写らない事を悟った。やはり、白銀の騎士とこの刀剣はこの世のものではないのか。


 ベイクはナタと剣を持って、森林に向かった。ミミズクの穴で休んで、馬に乗って帰ろうと思ったのだ。

 

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