第10話 牛蛙の話
この世界で皆が乗り物にしている、その馬みたいな動物は、馬の様で馬ではなかった。ただ限りなく馬に近いのだが、顔がなんだか猫科の動物みたいで、独特の系譜を辿っているらしい。
カー団長が用意できたその大きな目の馬は2頭だけで、なかなか貴重であるとの事だった。
人だかりが出来た真ん中で馬に乗り込んでいるのはベイクとハザンだった。ハザンは今回の索敵に当たって、ベイクに強く同行を申し出たのだ。
カー団長、隣に心配そうなルーザとヘカーテ。街の戦士達も大門前に集まり、2人の出発を見送りに来ていた。
「無事に帰ってきて下さいね」ヘカーテはとても不安そうだった。
「なあに。心配ないさ」カーは腰に手を当てて上機嫌だ。「ベイクさん。このハザンはかなりの使い手だから、役に立ちますよ」
「お前が言うな」ハザンは冷静だった。
「俺が行きたいくらいだ。お前がここをやってくれるなら...」カー団長がそう言おうとすると遮られた。
「行くぞ」ハザンは馬を反転させた。
「ベイク、気をつけて。ハザンさんも」ルーザがそう言うと、ベイクはルーザに笑いかけた。ハザンはベイクとルーザを見やり、1人早々外に出た。
その視線にベイクは気付いていた。
2人の荷物は2日分の食料と野宿の道具。それを馬のお腹にくるように積んである。鞍や手綱の形は、似てはいたが、ベイクの知る物とは少し違う。独特だった。
かくして2人は今まで分からなかった事を探る為、最小人数で調査に乗り出した。最大の目的はあの攻撃的な化け物どもがどこからやってくるのか、だった。
それさえ分かれば、他の街を巻き込んで連携して、こちらから打って出られるかも知れない。
「あなたのエモノは、そのナタか?随分使い古された、頼りないナタに見えるのだが」ハザンは出発して、やや経ってから話しかけてきた。ハザンは後ろを走る。
「これは農作業用のナタで、友人の形見なのだ」
「農作業用...。あなたは昔何をされておったのか」ハザンは周りをうかがいながら言う。
「一介の軍人だった。しかし金属に反応する呪いをかけられて退役した」ベイクは包み隠さず言う。ベイクはまだ、彼が自分を完全に信用しているわけではないと分かっていたからだ。
「この先に」ハザンが言う。「小さな森林がある。荒野の真ん中にな」
「森林。珍しい、のか?この辺では」ベイクが訊いた。
「あまりないな。あそこの森林には街と街のルートからは外れるためにみんな立ち寄らない。用がないからだ。そういう所を調べてみよう。私も気にはなっていた」
ベイクは、本当はハザンもこの世界がどうなっているか、いつか知りたいと思った事があるのではないかと思った。
そこから1キロほど走ると、遠目に何か、岩ではない物が見え、2人は近付いた。
そこには半分腐敗した、あの黒い水牛の死体があった。肉がただれ落ちて頭蓋骨と肋骨が突き出ている。どうやら内臓や肉は食い荒らされているらしい。蠅が忙しげに周囲を飛び回っていた。
「これは...人の仕業ではないな」ハザンは馬を降りて呟く。「周りの腐敗状況からして、腹は食われていると思うが、どうだ?」
「そう思う」ベイクも同意した。「共喰いするのかも知れない」
「おい」と、ハザン。
「どうした、ハザン」と、ベイク。
「あそこ、見えるか?」
「ああ。見えた」
「なかったよな?」
「ああ。確かになかった」
「あんな所に小屋なんて、ここに来るまでなかったはずだ」
2人が 水牛の死体に近づいた途端、突然200メートル先に、木の小屋が現れた。そう感じられた。2人は馬に乗り直し、恐る恐る近付く。
三角屋根の、扉と窓が付いた、一間ほどの大きさの小屋。それは近付くほどにくっきり見え、木の壁の様子から、かなり古びているのが分かる。
2人はある程度の距離をとって騎乗したまま、家の周りを回ってみる。しかし、窓の中はうかがえず、何の音もしなかった。
2人は業を煮やし、意を決して、馬から降り、中へ入ってみる事にした。ベイクはナタに手をかけて、ハザンは投げ矢を手の平に忍ばせた。
ベイクがドアノブに手をかけた時、手に違和感を感じた。ノブが滑り、見ると粘着質の液体がへばりついている。
ベイクが勢いよくドアを開けて雪崩れ込む。ハザンは後ろから援護した。
入ってすぐに目に映ったのは机と椅子。しかし空だった。
すぐ右手に見えたのは、人のベッドに寝そべる大きな牛蛙だった。しかし、2人の勢いある足音と、ドアが壁に叩きつけられた音で慌てて飛び起き、部屋の角に身を寄せて、こちらを見ていた。
体にマダラ模様がある、人の子供程はあろうかと言う牛蛙。肌は深い緑で生々しい艶があるが、どういう原理か二足歩行で歩くらしい。今は飛び起きて、こちらを、まるで恐怖の目で見つめてしゃがみ込んでいる。
「た」牛蛙が呟く。「助けて下さい」
「助けるも何も。あんた何だ?」ハザンと牛蛙の真剣なやりとりを、ベイクは真剣に聞いていた。
「私は蛙です」彼も真剣に答えた。
「それは見たら分かる」ハザンは答えた。ベイクはしばらくハザンに任せてみる事にした。
「ここはあんたの家か?」
「空き家でしたのでお借りしております。正確には私の家ではございませぬ」
よく見ると、ベッドや机、椅子には先ほどドアに付着していた液体が付いている。調度品はあまりなく、本や皿も彼は使ってはいないようだった。
「この家は何か術がかかっているのか?」ハザンはなおも続ける。
「私が蜃気楼の術をかけておりますです」蛙は正座している。
「お前は何者だ」
「蛙でございます」
「それは分かった。どこから来た?」
「それは...」牛蛙は口をつぐんだ。
「どこかの街から来たのか。それとも太后の仲間なのか」
「太后!ひー」蛙はパニックになり、四つ足で飛び上がろうとして、天井に頭をぶつけた。そのままベッドに背中から落ちて頭をさすった。
「待て待て。我々は太后に仇なす者だ」ベイクは口を開いた。
「え?」蛙はぽかんと口を開ける。大きな口から見える体内が妙にグロテスクだった。内臓が見えそうだった。「本当ですか」
「調べて回っているんだ。話を聞きたい」
室内は彼の体液が至る所に付着しているため、ベイクとハザンは床に座るしかなかった。
「私は、太后の研究所から逃げて来た者でございます」蛙は説明し始めた。「他にも逃げたり、殺された者はいるのです。私は研究員でございました」
「研究員?何の研究だ?」ベイクが訊いた。
「はい。術や錬金術による生物実験を執り行っておりました。太后様のご指示でございまして。様々な、それはそれは非道な事も、やらされたと言ってしまっては責任転嫁かも知れません。我々も殺されまいと必死で研究しました。私の様に逃げるのに成功した者もおれば、失敗して投獄されたり、処刑された者もおりました」
「具体的にどういった実験だ?」ベイクが訊いた。
「最終的な目的は分かりません。様々な者が様々な実験をするのです。全体を把握する者はいなかったであろうかと。大体が人工生命に関わる研究ではなかろうかと、話を聞いたりする限りでは。私も太后様にお会いする事はございませんでした。指示は別の者がするのです」
「様はいらん。様は。それで、誰が研究の指示をするんだ?」ハザンも口を挟む。
「は、はい。た、太后のお子様でございます」
「子供...」ハザンは声にならない声を発する。
「その、子供は何人いる?」ベイクが訊いた。
「はい、3人かと。研究所には長男のテス様が。たまに見に来られておりました。稀に次男のギラト様が来られます。末の娘、モラレバ様は名ばかりで全くお見受けした事がございませんでした。恐らくいつも違う場所で違うお役目を持っていらしているようでした」
「テス、ギラト、モラレバ」
「奴らは具体的にどういう事をしている?」
「はい。外をうろつく牛や猿は、クローンを作り出して、少し遺伝子をいじる初歩の実験でして、生み出されては野に放たれております。何体も何体も作っては、検証した後に外に出されています。全てが実験のサンプルなのであります。場合によっては末端の研究員や見張りどものの食料としても使われます」
おもての牛を食べたのはこいつか、とベイクは思った。
「私は、錬金術に長けておりましたから、生物の脳や記憶についての研究をしておりました。この蜃気楼の小屋もその応用なのです。どういった原理で脳が知覚したり記憶するのかといった事です。時には人には言えぬ背徳の実験をしたりもしました。遂には精神に異常をきたしかねぬと逃げた次第です」
ベイクとハザンには、表情が分かりにくいながらも彼の顔に、自責の念が見えるのが感じられた。彼の怯え方が、かつて彼が置かれた境遇を垣間見せていた。研究所というのは想像を絶する所なのだろう。
「ところで、君はいつどこからこの世界に来た?」ハザンが訊いた。
「数十年前に連れて来られました。未だにここがどこだか分かりません」
「どうやって連れて来られたか、分かるか?」ベイクが訊いた。
「はい。突然現れた次元の歪みによってでございます。私達の民族は錬金術に長けておりました。みんな殺されたり、拉致されたりしたのです」
「そうか...。住んでいた土地は?」
「はい。メザーナ地方でございます」
ベイクは急に口をつぐんだ。ハザンは気になってベイクを見たが、あまりに険しい表情で考え事をしていたので話しかけられなかった。
2人が馬に乗り込んでいると、牛蛙がひょこひょこ出て来て見送りをした。
「荒野を行きますと小さな森がありまして」蛙は言う。
「ああ。あの辺まで行こうとしていたのだ」ハザンは答えた。
「あそこにも逃げてきた研究員がいます。死んでいなければまだいるはずです。また違う研究をしていたのでよければ、話を聞いてみて下さい。私が宜しくとお伝え頂ければ」
「ああ、ありがとう。君も過去は気にするな。仕方なくやらされていた事は理解される。我々が、君が隠れて住まなくても良いようにしてやるから」ハザンがそう言うと、蛙は大粒の涙を一滴流した。
2人は別れを告げた。10分程進んで振り向いてみると、家はなくなっていた。全くどういう原理なのか。
ハザンは黙り込むベイクに話しかけようか迷っていると、ベイクは口を開いた。
「1つなのかもな」
「何?何がだ?」
「メザーナ地方は知っている。この世界と我々の世界は1つだと思う。大陸が違うのだ」
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