第6話 闇へ

 「別について来なくていいんだぜ」翌日、といっても日が差さない谷では、時間感覚が分かりにくいのだが、ベイクはヘカーテを川辺に呼び出して、自分の決意を語った。それは当初の目的から、かなり逸脱している。そこでヘカーテから返ってきたのは思いもよらない返事だった。


 「くどいですね。ベキャベリさん、勘違いしてますよ」


「何を勘違いしてる」ベイクは少し負に落ちない顔をする。


 「僕も凄く好きで宝石商をしてるわけじゃないんですよ。王宮は人生の一部でした。それがなくなって、今充実した生活を送っていると思いますか。確かに武芸にはうといですが、僕だって王宮鍛冶のせがれです。気持ちはいつも戦場に出向いていましたし、兵士の一員のつもりでしたよ。今でも変わりませんし、おいそれとなくなるものではないです。ベキャベリさんだってそうでしょう?」


 「確かに」あんな若造だった青年に言われるようになったとは。ベイクには彼が成長したのか、自分が歳を取ったのか分からなかった。両方か。




 「扉を...開く...?」ベイクの言葉にルーザは驚きを隠せなかった。ルーザは滅多に泣いていないせいか、目蓋が真っ赤に腫れている。相変わらず顔は青白いが、それでもなぜか昨日より健康的で自然な気がした。表情のせいだろうか。


 「そうだ。闇の世界に入る」ベイクがそう言っても、テーブルの向こうのルーザは目を合わせずに、部屋の隅を見ていた。


 「駄目よ。あいつらはアーラの力を持ってしても押し返すだけで精一杯だったんだから」


「ここ何100年かで、人間も成長したんだぜ」 ベイクはわざと鼻にかけるように言う。「その頃はスペル・ブレイクはなかったはずさ」


「スペル・ブレイク?」ルーザはベイクを見やった


 「人間の五感を最大限に鍛え上げて超自然パワーの術に対抗する技巧さ。そんなの使う奴はアーラにいたのかい?」


 「私達は武力はなかったから...」


ヘカーテはやっぱりいつまで経っても将軍は将軍だと感じた。


 「アーラは術と錬金術に卓越していたから、そんな戦いはしなかったわ」ルーザが言う。


「起源は、術詠唱中に危険察知して、術士を叩き斬るっていうものなんだ。それがどんどん進化して、方法論が成長してきた。それが人間の可能性だ」


「可能性...」


「君が扉を開ける事は出来るのか?」


「それは出来ない。やり方が分からない」


「どれくらいで奴らは扉を開けて、こちらにやって来る?」


「分からない。もう、少しは開いてる...。奴ら、こっちを覗いているわ」


「準備しましょう」ヘカーテが言う。


 「ルーザ、アーラの仇はとってやる。1人で泣いて、死を待つな。案内しろ」


ルーザは従った。しかし急の事で実感として沸かないし、どうしたら良いのか分からなかった。微かに嬉しいのかも知れない。それが何なのか、正体を掴めなかった。



 小屋からもっと川上、神秘的な草と妖精がなくなり始める場所に、大きな赤黒い岩がある。ひどくふさわしくない場違いに見えるおどろおどろしい岩は、まるで非業の死を遂げた人の皮膚みたいに不気味だった。


 岩にはヒビが入っていた。辺りは草木がなく、木のドームの最奥、行き止まりの前に忽然と現れる不自然な岩。それこそが闇とこちらを繋ぐ、次元の歪みを防ぐ為の最後の障害物なのだった。


 「最近まで、あんなに白かったのに」ルーザは岩の前に立ち、青ざめて呟く。「岩が汚れている。闇の者がこじ開けようと向こうから触っているから」


「 "欲深き者達" っていうのはどういう奴らなんですかね。どんな化け物なんだろう」ヘカーテは身震いしながら呟いた。



「そんなん、どうでもいい」


ベイクはナタを腰から取り出し、腕いっぱいに真上に振り上げ、岩に叩きつけた。


 あまりに突然で、一瞬ヘカーテもルーザも何があったかが分からず、音がして、初めて気付いた。その音は低くて鈍い、正に岩が砕ける音だった。

 ルーザは喉が張り付き、胸が激しく飛び出る気がした。数100年守ってきたものを、目の前の男はただの鉛混じりの鉄ナタで叩き割ってしまった。


 岩は真っ二つに割れて静止した。ベイクが岩を横に倒そうと割れ目を掴むと、向こうからまた、割れ目を掴む指が見えた。


 岩が少し傾いた時、ベイクはナタを振りかざし、闇から伸びる指に向かって岩ごと叩きつけた。


 「ぎゃああああ」闇からけたたましい悲鳴がした。向こうにいるものの指を叩き切ったのだ。


 ベイクは半分倒れた岩によじ登り、向こう側に入って行った。


 ヘカーテとルーザは金縛りにあったかのように見守る。中から怒号がした。しかし、ベイクがいなくなってそれほど長くはなかった。中から岩が倒される。左右に岩が倒れきった時、2人の緊張は頂点に達した。誰が出てくるのか。


 出て来たのは、赤い返り血を胸に少し浴びたベイクだった。


 「準備はいいか。行くぞ」ベイクはヘカーテに言った。最終確認だった。



 「いいわ」答えたのは意志が固まった、ルーザの方だった。もはや悲しみや迷いが見て取れない。


 ベイクは嬉しくなって笑ってしまった。ベイクはまるで貴婦人をエスコートするように手を差し出す。返り血を浴びた手を。ルーザはそれに手を添え、しっかり握りしめた。そして闇に足を踏み入れる。


 ヘカーテも後に続いた。



 闇への穴の向こうには通路みたいなものがあり、洞窟みたいに屋根があり、土で出来ているらしかった。


ヘカーテとルーザが入ると、顔面を叩き破られた " 欲深き者達" が倒れている。ルーザもその姿をまじまじと見るのは初めてだった。


 その姿は手足の長い、全身灰色の毛だらけの、猿と人間の中間の生き物で、手も足も指が異常に長い。鼻の肉がなく、鼻骨が薄い皮にしか覆われていない。唇がなく歯茎と歯が醜く露出している。力なく垂れた舌が人の2倍もあろうかという長さで、目がこめかみの辺りについていた。


 ヘカーテとルーザは驚いたが、ベイクは2匹仕留めていた。


 3人が洞穴を抜けると、そこは荒野だった。辺りは薄暗く、草がまばらに生えた静かな荒野。空にはどんよりと雲が垂れ込み、生温い風が吹く。


 「こんな。これが闇の世界なのか」ベイクは辺りを見回した。


 「想像してたのと随分違うわ。何もいない」ルーザは乱れる髪をかきあげる。


 「なんか、砂も草も、あちらの世界のとは大して違いませんね」ヘカーテは意外と好奇心が湧いて、あちらこちらと見回していた。


 ルーザは振り向き、洞穴に向かって何かを呟く。


 その時、1つの小さな光の玉が洞穴からゆらゆらやって来るのが見えた。


 「あら、心配になって来たの?」光はルーザの肩に止まった。


 「妖精か」ベイクがそう言いながら覗き込むと、小さな光の主はルーザの肩を何度も踏みつけて、何かを伝えようとしている。


そして、気づくとルーザは手に何かを持っていた。それは球体のもののようだが、その形にルーザの手が消えて見える、物が透けてしまう鏡のようだった。


 「これはあの次元の歪みです。もうあの洞穴の向こうにはなく、ここに持ち運びます」


「なんと、そんな事が出来るのですか?」ヘカーテが驚いた。


 「位置が大事なの。あちらからしたら出口、でもこちらに入れば入り口。入り口はどこにも出来ます。これを奪われれば、同じ事なのだけれど」


「まだ、術の力を持っているようだな」ベイクが言った。


 「錆び付いてなければいいけど。少しづつ思い出すわ」


「あれ。あれ、煙じゃないですか?」ヘカーテが言った。

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