第5話 ひとりぼっち

 ルーザはハンモックを2つ用意してくれた。


 その前には彼女に出来る限りのおもてなしの料理を頂いた。と言っても彼女はほとんどの栄養素を植物から摂る。調理に火は使わない。採って来た木の実や草、花を洗い、すり潰してペーストにした物が晩ご飯だった。栄養はあるが、味はと言えば、2人は口に入れて飲み込むのがやっとだった。リュックにまだ食料はたんまり残っていたが、出して食べるとも言いだしにくかった。


 ヘカーテは重い鎖帷子から解放されるとさっさと眠ってしまった。

 ベイクも寝ようと思ったが、テラスの手すりにもたれ掛かるルーザが気になったので横に座った。


 「ルーザ、俺達の記憶も消すんだろう?なぜ食事や寝床を?」ベイクは一面の光を見ていた。


 「なぜでしょうね。本当はもう谷を守る必要がないからかしら」ルーザは遠くを見つめて言う。


 「どういう意味だ」


「ずっと昔ね、この世界と闇の世界がなぜか繋がりそうになったの。最初は豆粒みたいな大きさだった次元の歪みが少しづつ少しづつ広がっていって。そこから覗いていた闇の住人が、こちらに来ようとして来た」


「闇の住人」


「 " 欲深き者"と呼ばれていたわ。全てを欲しがる奴ら。アーラにはそいつらを知る者もいた。そいつらがまたやって来そうなの。私にはもうどうする事もできないわ。抵抗する力も、気力もない」


 「滅びゆく運命だと?」


「闇との扉の鍵は永遠ではなかったみたい。私は...私は...」


 数100年凍りついた氷が溶け始めた。それは溢れだしてテラスに落ちた。


 「みんなが傷だらけになりながら "欲深き者“ を追い返す時、みんなみんな、そのまま闇の中に飛び込んでいった。こっちに来ようとする奴らの足を引っ張ったり、己の身体を傷つけられながらものしかかって防いで、お母さんなんか死んだお父さんの身体ごと盾にして、来させないようにしていた。私に託したの。あいつらがこの世界に来たら大変な事になるって。まだ子供だったけど、私になら出来るからって。扉を閉めて、鍵をかける役目を。私以外のみんなが闇に消えて行った」


ベイクは何も言わなかった。彼女はずっと1人だったのだろう。これだけ無数の妖精と住んでいるのに。誰にも言えず、ここにいるしかなかったのだ。


 「外の世界がどうなっているかは知らない。ひょっとしたら外の人があの闇の住人をやっつけてくれるかも知れない。でも、私はここにいるしかなかった。ここが家族と暮らした場所なんですもの。弟や妹、友達と生まれ育った場所。この子達も、アーラと暮らしてきた住人」


「外に出る気は?」


「谷から出てまで生きたいと思わないわ。あの事が、みんなが闇に、私を置いて消えた事が辛すぎる。扉が開いたら、みんなの元へ行ける」


「死を選ぶのか?」


「死にたいんじゃない」ルーザの声が荒ぶる。「もう、生きる力がないの」


 ずっと感情の起伏がなく、誰かと分かち合う事もなく、悲しみが新鮮に保存されて、生々しく感じられるのだろう。ほとんど風化したり、嫌な記憶として忘れ去る事がなく、それでもこの谷にしがみつくしかない、思い出にしがみつくしかない気持ち。外に出て、自由に楽しく暮らす事でさえ、彼女を満足させ、幸せにする事は出来ない。


 俺は、俺ならどうやって大切な人の死を乗り越えているだろう、とベイクは考えた。泣いて、墓を掘って、花を手向ける。別れを告げる。その繰り返し。しかし、別れを告げられなかったら?


 後ろからドアを閉めさせられて、鍵をかけさせられる。彼女は辛かったろう。まだ家族や知人が生きているのに。


 「俺は妖精石が欲しい」ベイクは言った。


 「あなた達のつけた名前だからどの石かは分からないけど、あるだけ持って帰ればいいわ」ルーザはベイクの顔を覗き込む。「あなた...」


「どうせ滅ぶなら、人間の1人巻き添えにしてもかまんだろう」


「何を...」ルーザはすでに泣き止んでいた。


 「俺だって大してあんたと変わらんさ。家族もおらんし。旅をしているが死に場所を探しているようなもんだ」


「あなたは優しい人なのね」

歳を取ると涙脆くなるんだな、とベイクは気づかされた。

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