第4話 アーラ族のルーザ

 ベイクとヘカーテが来た道を見ようと振り向くと、背後には薄暗い霧に覆われた森が広がっていた。


 たどり着いた谷は左右から大きな木々がトンネルのように覆いかぶさり、谷底には一筋の浅い、澄んだ川が流れている。

 

 腰ほどもある草が辺り一面に生えてはいるのだが、それは鈴のような花を付けていている。2人は掻き分けて歩いて行かなければならなかった。


 そして草の中を、ゆらゆらとおびただしい数の小さな光が漂っていて、近寄る2人を避けはするが、逃げる気配もない。見ると光は、甲虫のような生き物の羽が放っているもので、その甲虫は蛍よりは一回り大きいようだ。


 そんなとても濃いブルーとグリーンの間の色をした空間が、向こう見えないところまで続いている。


 2人は川上に向かって歩き出した。谷は涼しく、川は静かにせせらいでいた。斜面から生えた木々の間からは空は見えない。日光は恐らく霧の層で遮断されてしまっている。


 我々の森と違って無音なのは、小動物や野鳥の息吹が聞こえないからだろう。全くの異世界に来たみたいな気分だが、2人はなぜか恐怖とか、危険とかを感じる事はなかった。


 草をかき分ける音が天然のドームに反響する。光はすぐ側で2人を避けるが、逃げることなく、体に触れたり止まる者もいる。

 

 やがて、川の向こうに、苔むした丸太小屋を見つけた。緑色に木々と同化しているが、丸い窓らしき物があり、目を凝らすとドアや梯子らしき物もある。テラスは柱で浮かされており、川の水位が高くなっても大丈夫なようにされているみたいだった。


 ベイクとヘカーテは無言で小屋の前まで歩いて来た。ベイクが梯子を登ろうと、手足を梯子に掛けた時、テラスの縁に、先ほどまでいなかったはずの誰かが立っていた。5秒前までは確かにいなかった。


 「こんにちは」女だった。綺麗な白い肌をした長い金髪の女性。髪は後ろで撫でつけ、木でこさえた髪留めをしている。目は青白く光り、顔立ちは美人だが表情は冷たい。体には肌にフィットするようなローブを纏っている。


 一瞬ベイクとヘカーテは息を呑んで黙りこくってしまった。彼女が味方か敵か、見当がつかなかったのだ。


 「この谷の霧が、あなた方を受け入れたという事は、悪い人達ではなさそうね。風が吹いたのも、偶然じゃないのかしら」女は女性にしては低い声をしていて、説得力があった。


 「ここはどこだ?」ベイクが訊いた。


 「まず、質問に答える前に、あなたはその敵意を退けなきゃ」女はベイクの心を見透かしているような目をしていた。


 「あなたは鋭いな」ベイクは彼女が只者ではないと悟る。「ならば答えてくれ。今まで霧に迷い込んだ人間を殺した事はあるか?」


女は母親のように笑った。「答えはいいえよ。あの霧の中で気絶したり、眠った者は何をしていたかも忘れて山に帰るわ」


ベイクはほっと納得した目を向けた。ヘカーテもそんなベイクを見て気持ちが落ち着いた。


 「まあまあ、せっかく来たのだから上がって下さい。散らかっているけど」女はテラスを歩き、小屋へ入って行った。2人も続いた。


 中は一間だが外から見るより広い。真ん中に丸太のテーブルと椅子が4脚、奥には天然の木を利用した水桶や、枯れ草で編んだハンモックも壁から壁に渡されている。室内には苔が生えておらず、どういう仕組みか分からないがかすかに暖かい。火を使うような道具の類はないが、室内には光る石がいくつか置いてあり、明るかった。


 「あなたは?」ベイクとヘカーテは促されるままにバックパックを置き、椅子に腰掛けた。その女性は背を向けて、水桶の横にある作業台に立った。


 「私はルーザ。古から谷に住む者よ」


「どこから来たんだ?」ベイクは雰囲気で、彼女が人間でないと悟った。


 「いえ、谷で生まれ育ったわ。あなた方が生まれる前からずっとここに住んでいます。ここも昔は私と同じアーラ族が居ました。父も母も」


「アーラ族」ヘカーテが驚いて呟く。


 「本でしか見た事ない。あの人智を超えた高度な術法と錬金文明を持っていたとされるアーラ」ベイクも内心驚いていた。


 「私が100歳くらいの頃、みんな殺されてしまったの。それからどれくらいの時が経ったか分からない。争いというよりは虐殺ね。アーラが持っていたもの、目に見えるものも見えないものも全て奪われてしまった」


ルーザは鼻を突く匂いのお茶を差し出した。今まで飲んだどんな薬よりも苦い。


 「誰に滅ぼされたんですか?」ヘカーテの少しぶしつけな質問。ベイクはルーザの表情をうかがった。


 「そんな事は過去の事よ」少し気分を害したのか、ルーザは口をつぐんだ。


 少し気まずい沈黙。ベイクが話題を変えた。


 「あの甲虫は...」窓の方を見る。


 「彼らはこの森に住う妖精よ。昔から私達と暮らしているわ」ルーザは不意に、私達という言葉を使ってしまった。それに気付いてまた黙る。彼女はこうして誰かと話をするのはどれくらいぶりなのだろうか、と2人は思った。もしかして何100年もずっと1人で...?


 「あなた達は何をしに来たの?」今度はルーザが話題を変えた。


 「俺達は鉱物が欲しくて来たんだ。この辺りで採れるようなので...」ベイクの開けっぴろげで正直な返答に、ヘカーテは少し面食らった。


 「あなたは正直な方ね」ルーザは幾分機嫌を取り戻したようだ。「嘘をつく者よりも断然いいわ。あなた方はわかるでしょうけれど、一旦外に出れば再び入ってくる事は困難よ。この谷からは古代から残る鉱物が採れるでしょうけれど、大勢で取りに来る事は不可能だと思うわ。あの霧はもう永遠に消えないの。私でもどうしようもない」


「だろうな」ベイクがそう言うのでヘカーテも納得するしかなかった。ここは人智を超えた力の流れる場所。坑夫達がずかずか入って来られる場所じゃないのだ。



 地震が、突然起こり、ヘカーテは椅子から滑り落ちた。ベイクはテーブルに膝をぶつけたが、ルーザは平然としていた。


 妖精達の輝きが一旦止む。そしてまた瞬き始めた。


 「あれは?」ベイクはルーザに訊いた。


 「あれはアーラが闇に追い返した" 欲深き者達" がノックをする音よ。もう時期、奴らはこちらにやって来るでしょう」

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