第11話 勉強

「ねえ、1+1って、2かな」

「おっと班目。僕より馬鹿になったというのなら、喜んで勉強を教えてやろう」


 部室での勉強中、急に班目が変なことを言いだしたので、適当に返す。


「えっと、班目先輩。それはどういうことなんですか⁉」

「おお、鱈井さんは柊くんと違って反応が良いな。そういうところは好きだよ」

「あ、ありがとうございます……!」


「ああそうか、班目きみは二進数の話をしているんだね? たしかに二進数ならば1+1は……」

「君は露骨にポイントを稼ぎに来るね。さすが柊くん」

「あの、馬鹿にしてやいませんか」


 こんな感じで、新しく部員になった鱈井あすかも一緒に居る。


 そして今は悲しみのテスト週間。


 と言っても、テスト週間に抵抗のある人間というのはテストにある程度のやる気がある人間だけで、やる気のない人間はテスト週間も普通の一週間も変わらない。


 かくいう僕も後者のタイプだったのだが、残念無念、この探求部には班目という人間がいる。


『テスト週間になったことだし、これから部活中は勉強しよう』


 などという意味の分からない妄言を発したのが30分前。

 それから班目と謎にプレッシャーを放ってくる鱈井を前に、僕は帰ることができなかったのだ。


「だいたい、僕の記憶が正しければ、テスト週間中は部活禁止じゃなかったか?」

「まあそこは、私が部長だし、先生があの水川先生だからね。適当に承認が降りるの」

「先生の班目に対する信頼感、半端ねえな」


 まあなんといっても班目といえば成績は優秀も優秀で、班目が間違えた問題は先生の責任になるくらいだとか神話が流布されているくらいだからな。

 つまり、ただの天才だ。


「つーか、班目なんて勉強しなくてもいい点とれるじゃねえか。なんで勉強するんだよ」

「え? それはもちろん、柊くんが赤点を取らないようにするために決まってるでしょ」

「もちろん僕が赤点を取るみたいな言い方」


 失礼な。こう見えても僕は、数学だけは平均を下回ったことなぞないのだ。


「つーか、鱈井はどうなんだ? お前って頭いいのか?」

「……」

「あれ、鱈井さんや?」

「……」


 班目に合図をする。


「鱈井さんは、勉強の方はどうなの?」

「わ、私ですかっ! 私は、平均くらいだと思いますっ!」


 あ、扱いづらい……。極度に僕のことを嫌っているようだ。


 それでも、直接的な嫌がらせはないようなので、なんとかうまくやっていけているという認識で問題ないだろう。


「あ、柊くん、そこ間違ってるよ」

「え?」


 自分のノートに向かっていたはずの班目が、彼女から見て斜めの位置に座っている僕のノートの間違いに気づくというのか。


「どこだ?」


 そして、正面から向き合っている僕には、どこに間違いがあるのかさえ分からない。


「ここ、ほら」


 班目はわざわざ椅子を俺の隣に持ってきて解説をしてくれる。


「単位の変換を間違えてる」

「ああ、ここか、気が付かなかった。助かった」

「うん」


 さすが班目。もう班目っていう固有名詞を、天才っていう意味で使っていいかな。


「ん、もうわかったぞ?」


 だが、その班目こと天才は、間違いを指摘した後も席を離れようとしない。

 僕のノートをじっと見て、そうしてからふむふむと頷く。


「私もこっちで勉強しよう」

「ええ?」


 よいしょと荷物を移動させる班目。

 彼女の行動にはいつも脈絡というものが欠落しているように感じる。


「ちょ、ちょっと⁉ 班目先輩⁉」


 そして鱈井は反応がオーバーだ。

 あと、ついでにこちらを睨むのもやめてほしい。すべては班目の思い付きなんだから。


「よっと。じゃあ失礼します」

「あ、ああ」


 僕の隣でノートと教科書を広げる班目。

 先ほどよりもぐっと距離が近くなる。


 そういえば、班目が勉強している姿とか見たことなかったな、と感慨深く思う。


 学年が違うので、同じ教室に入ることもないからそもそも見る機会などなくて当たり前だが。


 ショートの髪を、右側だけ、つまりこちら側だけ耳にかける。

 その仕草は女性的で、どうしようもなく興奮するものがあった。僕も男だということだ。


 というか、こんな凛々しい顔をするのか、班目は。


 いや、顔自体は特に何も変わっておらず、いつもの読書するときと同じような顔だが、読書をするときにはもっと高次元なことを考えているような気がするのだ。


 そう思うと、班目が自分と同じようなレベルの問題を考えているというのは、不思議と新鮮だった。


「なに? こっちを凝視して」

「――いや、べつに」


 その横顔に惚れてましたなんて言うことはもちろんないから、さらさらと問題に戻る。


 ステイクール。こういう体裁が悪いときに冷静になれないような人間と言うのは、明らかに恋愛経験が足りてない証拠だ。


「あ、そこ間違えてる。そことそこも。ケアレスミス、多いね?」

「――っ!」


 色欲にまみれていた僕を、鱈井が噛みつくような目で睨んでいた。


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