7章(4)

 僕たちは旅籠はたごで休息をとった。

 食事、それに希望者は温泉。

 残念なことに、入浴を忌避きひする習慣はこの村にまで及んでいた。紀元前から引き継がれてきたという温泉施設は縮小しており、期待していた大浴場ではなく屋内の狭い風呂に交替で入る羽目になったが、長旅で疲れ切った体にはそれでも十分にありがたかった。


 陽は落ち、空に月がえと輝いている。

 村中に響き渡る鐘の音を聴きながら、月明かりを頼りに、チェーザレに指定された別荘ヴィッラへと移動した。


 別荘の扉は開け放たれていた。

 教皇領の一行はまだ到着していなかったが、通路に松明たいまつが焚かれ、広間の暖炉に火が入り、建物全体が暖まっていた。とりあえず、広間で相手を待つことにした。

 三十分ほど経っても、チェーザレは来ない。

 代表大使のトンマーゾが、落ち着きなく窓際を歩き回る。

 椅子に座り、彫像のようにじっとしていたサヴォナローラが、急に立ち上がった。

 テーブルで書き物をしているマキャベリに声を掛ける。


「ニコロ殿。この会談は、背信者のたくらみによって失敗に終わるだろう」


 マキャベリは手を止め、苦笑交じりに言った。


「不吉なことを言わないで下さいよ、導師様。……」


「いえ、ありえます」


 弓鳴が口を挟んだ。

 配下の社員五人と共に銃を手に取り、臨戦態勢に入っている。


「メッセール・ニコロは、ヴァレンティーノ公を信用していますか?」


 弓鳴に言われて、マキャベリは考え込んだ。


「……あの方は、勝つためには人道に反したこともする。しかし今回、この会談をご破算にして、何の得が――」


 そこでマキャベリは言葉を切った。

 自ら、別の可能性にたどりついたらしい。


……?」


 弓鳴がサヴォナローラに視線を遣った。


「ええ、それと仇敵きゅうてきの捕縛――でしょうかね」


 屋外で物音がした。

 耳に馴染なじんだ音。

 手のひらを叩き合わせる合図。

 

 その声は、僕の頭の中で響いた。


「遊馬と茶山さんは接近戦に備えて。他の皆さんは後ろに下がってください」


 弓鳴は部下たちと並び、部屋の入り口に向けて銃を構えた。

 扉が大きく開け放たれ、剣を手にした重装備の兵士たちが飛び込んできた。


「撃て!」


 弓鳴の声とともに、六挺の『アヴァンツァーレ』が火を吹く。

 至近距離から放たれた銃弾は、やすやすと兵士たちの鎧を貫き、その動きを永遠に停止させた。

 弓鳴と部下が次弾の装填に入る。

 間髪入れず、次の兵士たちがやってきた。

 そのときだ。 


「助けろ! 私だ、ピエロ・デ・メディチだ!」


 ピエロ・デ・メディチが兵士たちに駆け寄っていく。

 速かった。

 二年間、この瞬間のために、体の内側に力を溜めていたのではないかと思えるほどに。

 しかし――


!」


 先頭にいる兵士が剣を振るった。

 その剣先が、正確にピエロの首を裂く。


「や、あ、……な」


 ピエロの首から血がほとばしる。それを止めようと両手で首を押さえながら膝が落ち、支えを失った人形のように、ぐにゃりと倒れ込んだ。これが、数奇な運命に翻弄ほんろうされた新興貴族の青年の、あまりにも哀れな最期だった。


「バカな! なぜピエロを殺す!」


 トンマーゾが激昂げきこうし、マキャベリに非難の目を向ける。

 ――そう言いたげだ。


「ピエロは生贄いけにえだったのか」


 マキャベリが苦々しくつぶやく。

 慣れた手つきで銃口からすすをかき出しつつ、弓鳴が言った。


「市民の評判が悪い『愚かなピエロイル・ファトゥオ』を引き取っても教皇領にはメリットがありません。ピエロの死は、交渉決裂の象徴として必要だったのではないでしょうか」


 ――異臭。

 銃の火薬の臭いではない。

 外で何かが焼けている。

 どうやら館に火を放たれたらしい。

 僕たちの装備は守りに向いているが、このまま屋内に留まれば、火が回って丸焼きにされてしまうだろう。


「早くここから出なければ! 裏口、裏口はないか――」


 いまとなっては、条約調印に備えたトンマーゾの正装が滑稽に思えてしまう。

 弓鳴が、駆け出そうとしたトンマーゾを制止した。


「私なら裏口に兵を配置します。正面から出ましょう」


「教皇サマが騙し討ちをするってか……! 世も末やなァ!」

 

 晴川が吐き捨てて、銃の先に短剣をつけた。


「恵! 背中を頼む」


 剣を手にした遊馬が廊下に飛び出し、玄関を開けた。

 別荘の壁に炎が波打ち、あたりを明るく照らしている。

 建物の影から兵士が斬りかかってきた。

 遊馬は、出会い頭に素早く剣を払った。

 敵兵の腹を打ったが、甲高い音がして刃が止まる。

 コートの下に鎖帷子くさりかたびらを着ているらしい。

 衝撃までは緩和できなかったようで、兵士が腹を押さえて膝をつく。

 遊馬の剣が、その頭を容赦なく打ち落とした。

 新手の兵が繰り出した突きをなんなくかわし、剣を持つ腕を豪快に斬り飛ばす。


 三人目は、体当たりをしてきた。

 遊馬はそれを受け止め、押し返すと、左手で相手の顔面に拳を叩き込んだ。たまらず、相手がよろめく。フェンシングのようなモーションでその首を貫いた。

 強い。

 あっという間に三人を戦闘不能にしてしまった。

 周囲にいる敵は、あと数人――

 その中に、社長がいた。既に剣を構えている。


「降参してください」


 遊馬の呼びかけに、不敵な笑みで応じる。


「小僧――それが年長者に対する態度か? 『みんなで守ろう年功序列』を忘れたらしいな」


「もう、そんな『社律』はないんですよ。茶山さんがぶっ壊したんで!」


 寒いのに、嫌な汗が出てきた。


「遊馬くん? あんまり勢いで相手を挑発するのは良くない!」


「――そうでした。茶山さんって、こういう人でした」


 弓鳴の冷たいつぶやき声が聞こえた。 

 社長は鎧をつけた胸を強く叩いた。

 

。おまえらに壊せるか?」


 社長が遊馬に斬りかかる。遊馬がそれを剣で弾く。

 踊るように立ち位置を入れ替えながら、激しい打ち合いが続いた。

 遊馬と対峙たいじした相手は、剣を合わせるだけで力負けしてバランスを崩すことが多かったが、社長は太い木の幹のように揺らがず、じりじりと前に出ようとする。遊馬はそれを嫌って距離を取った。


「チッ――」


 遊馬が沈み込むように体を屈め、低い体勢で突っ込んでいく。

 防具をつけていない下半身を狙ったのか。

 しかし、それはあまりにも無謀な特攻に見えた。

 社長がタイミングを合わせて剣を振り下ろす。

 遊馬はそれを避けようとしない。


「遊馬!」


 僕は遊馬の頭が砕かれる光景を幻視した。 

 遊馬は低い体勢からコンパクトに腕を振り――

 

 鈍い音がして、社長が苦悶くもんの表情を浮かべる。

 遊馬の頭蓋ずがいに吸い込まれかけていた剣が寸前で力を失い、地面にこぼれ落ちた。

 遊馬が膝を立てながら逆袈裟ぎゃくけさに斬り上げる。

 社長が飛び退すさって逃れようとした。

 剣先が銀の胸甲きょうこうをかすめ、火花が舞う。 


「……なかなか、やるじゃないか」


 社長の右手の人差し指が、奇妙な角度に曲がっている。

 部下の兵士たちは、遊馬と戦っている間に社員が倒した。

 それなのに――

 まだ社長の顔には余裕がある。

 弓鳴が銃で狙いをつけながら語りかけた。


「降伏してください。そちらの兵士が三十人前後だということは分かっています」


「ほう……?」


「宿泊地を偵察し、村の人にも聞き込みをしました。もう、あと数人でしょう。その中にヴァレンティーノ公もいらっしゃるんでしょうけど――司令官と副司令官が同じ場所にいるなんて、『事業継続計画B C P』が甘すぎますね」


 弓鳴は意地の悪い笑みを浮かべ、小さな笑い声を立てた。

 社長が納得した様子でうなずく。


「なるほど、この手際の良さ、茶山ではないと思っていたが――、弓鳴真記」


「……平社員の名前を憶えていただいていたとは、光栄です」


「よく覚えているさ。入社面接で印象的だったからな。三流大学卒でたいした取り得もないのに、


 ギリッ、と弓鳴が歯を噛み締める音が聞こえた気がした。


「ヴァレンティーノ公のいる場所を言いなさい! それとも、この場で撃ち殺されたいですか」


 社長が両手を上げる。

 それは恭順きょうじゅんを示す態度に思えた。

 僕の頭の中で、声がささやいた。

 あの社長が、こんなにあっさりと降伏するか?

 

 社長が吠えた。


「放て!」


 無数の風切音。

 悲鳴。

 鈍い貫通音。

 悲鳴。

 仲間がばたばたと倒れていく。

 

 直線的な軌道で放たれた矢が、僕たちを襲った。

 どこから?

 社長が背にした森の中に、敵兵が潜んでいたらしい。

 社長と向き合っていた弓鳴を除けば、生死を分けたものは運だった。

 僕は隣に立つ遊馬の体が銃弾を受けたように跳ね、半回転して倒れるのを見た。

 さすがの弓鳴も呆然としている。

 

? 嘘、いままでどこに……!」


「村に入らず、。裏口に張っていたせいで、再配置にちと時間がかかったがな。小僧が一騎打ちに応じてくれて時間が稼げた」

 

 恐怖で鳥肌が立った。

 僕たちが裏口から出ていたら、その瞬間に全滅していたかもしれない。

 晴川が社長の首に銃剣を突きつけた。


「オッサン、よう丸腰で形勢逆転みたいな雰囲気出せんな、オイ! いますぐ攻撃を止めさせろや!」


「――攻撃停止」


 あたりに、社長の胴間声どうまごえが響き渡る。


「……撤退しましょう。退路は調べてあります」


 弓鳴が森を指す。声が震えていた。

 この奇襲で、代表大使のトンマーゾと同行の官僚、それに社員二人が死亡。

 遊馬とマキャベリが負傷した。

 マキャベリは腕をかすめた程度の軽傷だが、遊馬は――

 僕は屈んで遊馬の上体を抱き上げた。

 大柄な分、重い。脇に頭を通して、背中を支える。


「立てるか? 行こう」


「……はい」


 遊馬が立ち上がろうとしたが、ふっと力が抜け、地面に滑り落ちた。

 足元に血溜まりが広がっていた。

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