4章(8)

 翌朝、激しくドアを打ち鳴らす音で目を覚ました。

 僕が返事をする前に、弓鳴が部屋に飛び込んできた。


「茶山さん!」


 ただごとではない空気を察して、意識が一気に覚醒する。

 ここまで走ってきたのだろう、弓鳴が呼吸を乱しながら言った。


「……宮間さんが、亡くなりました」


 僕は宮間さんの部屋に駆け込んだ。

 宮間さんは床の上に横たわっていた。

 顔が紫色に変色し、少し膨らんでいる。

 表情に、かすかに苦悶くもんの気配があった。

 首に残る、痛々しい縄の跡――

 天井にある石の出っ張りに縄を引っかけて、それで首を吊っていたという。

 テーブルの上に、つたない字で書き置きがあった。

 いまや貴重品となったメモ用紙とボールペンが使われている。


『私に力が足りず、みなさんにご迷惑をおかけしました』


 僕は宮間さんの筆跡を知らない。

 でも、これを書いたのが本人であるはずがない。

 あれだけ真剣に決意を語った人が、数時間後に考えをひるがえすだろうか。

 宮間さんがいなくなって喜ぶ人が、ひとりいる。

 でも、まさか。そこまで、するのか。

 


 × × × ×


 午前のうちに宮間さんを荼毘だびに付し、遺骨を修道院の裏手に作った墓地に埋めた。

 宮間さんが使っていた部屋で、臨時の役員会が開かれた。

 出席者は虎丸さんと僕だけだ。

 そして僕には議決権がない。

 虎丸さんは鎮痛な面持ちで言った。


「巨星、つ――。非常に残念だ。宮間社長は、聡明で、先代より公平なお方だった。近頃は、意見の相違があり、精神的な支えになれなかったことが残念だ」


「虎丸さん……昨晩は、どちらにいらっしゃいました?」


「まさか貴様、私が宮間社長の死に関係していると言いたいのか? あ?」


「いえ……」


下種げす勘繰かんぐりはやめろ! 実際に見聞きしたことがすべてだ。そうだろうが」


 僕は黙ってうなずいた。

 証拠など、何もない。

 被害者も墓の中、とあっては――


「今後の組織運営についてだが」


 これ以上はこらえられないという風に、虎丸さんが破顔した。


「この状況では……私が社長になるしかあるまいて! なァ!」


 発作を思わせる、奇妙な高笑いをした。

 嫌悪感で鳥肌が立った。


「おい、酒が不味まずくなるだろう。そんな顔をするな、茶山。


「私の……?」


「そうだろう? サバイバルに会社組織を利用する――ポンコツが考えたにしちゃ、上出来だ。事実、ここまでの犠牲は三十人以下だろうが。これが成功でなくてなんだ? ただ、おまえの計画には、最初からひとつ致命的な欠陥けっかんがあったな」


「……と言いますと?」


「まさか、おい、気づかずにやっていたのか?」


「……ご指摘、お願いします」


 虎丸さんはワインを器を継いだ。

 僕の手元にある、空の器にも注ぐ。


「飲め。宮間社長の供養くようだ」


「……いただきます」


 震える手で器を飲み、口に運ぶ。

 緊張のせいか、あまり味がしなかった。

 虎丸さんは、半分ほどを飲んでから、にこやかに語った。


「おまえの計画の欠陥――天道社長に決まっているだろう」


 そうだ。僕はそれを分かっていたはずだ。

 考えないようにしていた。


「あの人がいなければ、この社風は成り立たない。そもそも、ウチみたいな中小企業に来る人材は三流、よくて二流。なまじ歴史が長いだけに、会社の仕組みも古い。それで、どうやって他社と戦う? 社員に、理不尽を理不尽のまま飲みこませてコキ使うしかない。きれいごとはいくらでも言えるがな、結局、ウチにいる人間は、ウチのレベルでしか働けないんだよ。そんな連中に、天道社長はほどこしを与えている。。自分のショボさを他人のせいにできる権利をな」


「あえて、憎まれ役を買っていたと……?」


「それ以外にあるまい。社長亡きいま、その役を誰ができる? おまえは? 当然、ムリだな。じゃあ、宮間社長? できるわけがない。自分が無能だから他者に好かれているという自覚すらない愚か者だぞ。茶山、おまえは仕組みだけを作った。なんら責任を負わずに。自分の手を汚さずに。そのシワ寄せが、宮間社長にいったわけだ。分からんか。


 昨晩の宮間さんの言葉が脳裏に蘇った。

 怖いですね。何かを決めるというのは。

 

「う……」


 僕は頭を抱えた。

 突然、強い吐き気に襲われた。


「だが、安心しろ」


 虎丸さんが優しい声を出した。


「おれが社長になる。。おまえはこのまま茶坊主を続ければいい。それで解決だ。宮間社長の自殺は、悲しい出来事だが、結果的には必要な犠牲だった――そういうことだ」


 × × × ×


 部屋に戻ると、弓鳴が僕を待っていた。


「役員会、どうでした?」


「……ああ。これからは、虎丸さんが社長になる」


 弓鳴は怒りを露わにした。


「そんなの――虎丸は、絶対クロですよ。このままでいいんですか?」


「どうしろって言うんだ」


 僕はベッドに座った。


「君はいいよ。上の人間に文句を言うだけだ。何とかしてくれって言うだけだ! でも、やる方は大変なんだよ。そういうプレッシャーが、宮間さんを追い込んだ。じゃなきゃ、宮間さんは――あんな風には……」


「私は後悔してません。期待されるのも、文句言われるのも当たり前じゃないですか。


 正論だ。でも、いまはそんなことは聞きたくなかった。

 人が正論を口にするとき、たいてい主語が他人になっている。


「じゃあ、君がやればいい」


 意地悪のつもりで言ったが、


「やります」


 平然と返されて、絶句した。


「えっ……」


「茶山さんができないなら、私がやります。知りませんよ、どうなっても」


「……うん、ちょっと落ちつこうか?」


「サヴォナローラが、なんで教皇に徹底抗戦したと思います? 理由はいろいろあるでしょうけど、根っこにあるのは……自分に従って当たり前だという教皇の態度にムカついたからだと思います。教皇は、さんざんあくどいことをしているのに。茶山さんはムカつきませんか。虎丸は、社律を破ってるんですよ。公然と。何度も。


 それを聞いて、目が覚めた気がした。

 シンプルな話だった。

 高潔な意志とは何ら関係ない。

 虎丸さんは、何度も社律に違反している。

 社長ですら守っていた事柄まで。


「茶山さんが考えた『組織』の中に、社律は入ってないんですか。クソみたいなルールでも、それを当たり前に破る人間がトップでいいんですか。


「……おれが虎丸さんと戦うと言ったら、君はサポートしてくれるか?」


「サポートなんてしません。私も一緒にやります」


「弓鳴、君は――」 


 最高だな。

 その言葉を飲み込んで、代わりに言った。


「……連絡会を招集する。みんなを呼んでくれ」


「ハイ!」


 弓鳴が笑顔になって立ち上がった。


 死の原因は分からない。

 でも、宮間さんは戦おうとしていた。

 能力じゃない。資質じゃない。姿勢を示そうとしていた。

 『どうすれば、この生き地獄から抜け出せるのでしょうか?』

 戦うか、逃げるか。

 逃げ場がないのなら――戦うしかない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る