3章(4)

 虎丸さんが、僕に顔を近づけてきた。

 四角い顔のあちこちに脂が浮いて、防災ランプの灯りを反射している。


「茶山、おまえバカだろ。なあ。このバカ! 真面目に聞いたおれがバカだった」


 最終的に二人ともバカになってしまっていたが、笑うわけにはいかない。

 これ以上、虎丸さんを怒らせたら面倒なことになる。


 広々とした丘の上に防災シートを敷いて開かれた、臨時役員会。

 出席者は宮間常務、虎丸営業局長、僕、そして弓鳴だ。

 ランプを囲み、車座になって話している。

 虎丸さんは、怒りが収まらないようだった。


「中世イタリアだ? 茶坊主が! 適当なこと吹いてんじゃねえぞ」


 強く抑揚をつけた喋り方が、声の圧力を増幅させている。

 しかしこの程度、社長によって鍛えられた僕にはそよ風のようなものだ。

 むしろ、やりとりを見守っている宮間さんの方が、狼狽うろたえていた。

 雰囲気が柔らかく、育ちの良さが体の輪郭から滲み出ている人だ。写真映えするので、新作発表会のときなどに、社長の代わりに出席してもらうことがあった。


「いまの私の話だけでは、信じられないかと思います。これをお聞きください」


 弓鳴に目で合図して、携帯で月島さんの言葉を再生してもらう。

 あ、月島さんの声ですね――と宮間さんがつぶやいた。

 音声を最後まで聞くと、二人とも押し黙った。

 沈黙を破ったのは虎丸さんだ。


「百歩……いや千歩譲って、ここが過去だというのは、いい。なんで日本じゃなくてイタリアなんだよ?」


 弓鳴を見ると、素知らぬ顔でペットボトルの水を飲んでいた。


「それは……分かりません」


「フィレンツェ近郊って、広すぎるだろうが。具体的に、どこなんだ」


「いまはまだ、分かりません」


「三年半、どうやって生活する。カネは。住むところは。食い物は!」


「……分かりません」


「てめえこの野郎! どんだけ役立たずなんだよ!」


 虎丸さんが身を乗り出して僕の胸倉をつかんだ。

 パキパキパキ! と耳障りな音がした。

 黙って話を聞いていた弓鳴が、空のペットボトルを握りつぶしていた。


「助け合わないといけないときに、いい大人が感情的になって。恥ずかしいですね」


 挑戦的な眼差しを、真っ直ぐに虎丸さんに向ける。

 虎丸さんが、すかさず怒声を浴びせた。


「神聖な役員会で下っ端が口を開くなッ! おれを誰だと思ってる!」


 弓鳴はまったくひるまなかった。芝居がかった話し方で、


「大変失礼しました、営業局長様。今すぐ、全社員を二十一世紀の東京に戻していただけませんか。それができないのなら、あなたもってことですよね!」


 そんな風に言い返されるとは思っていなかったのだろう。

 虎丸さんは、呆気あっけにとられた様子で口をパクパクさせた。

 ゆ……弓鳴さん、かっこいいです。

 心の中で思わずさん付けしつつ、僕は「弓鳴!」と叱り、間に割って入った。


「ありがとう、助かった。もう外してくれていい」


 弓鳴は全員に聞こえる音で舌打ちをして、その場から立ち去った。

 こんな会社、歴史から消えてしまえばいい。

 そこまで言った彼女の目に、この役員会は、さぞ馬鹿馬鹿しい茶番劇に映っていたことだろう。

 思いがけない反撃から立ち直った虎丸さんが、僕に怒りの矛先を向けた。


「なんだあの女は――何局の誰だ!」


「管理局総務部の弓鳴真記です。月島局長から話を受けたときに、偶然一緒にいたので、状況説明の補足のために出席させました。大変、失礼しました」


「朽木の部下か。あいつが甘やかすから、部下どもがつけあがる!」


 虎丸さんが口汚く罵った。

 虎丸さんと朽木さんは、入社年次が近い。過去に何かあったのか、二人とも互いを嫌っており、特に虎丸さんは露骨に朽木さんを敵視していた。

 虎丸さんは取締役で、朽木さんは局長止まりなので、出世争いの観点からすると、虎丸さんが一歩リードしていることになる。


「虎丸さん、まあまあ、冷静に、冷静に……」


 宮間さんが、ここでようやく話に入ってきた。


「そもそも茶山さんは、月島さんに聞いたことを私たちに伝えてくれただけですよ。彼を責めても、どうしようもないじゃないですか」


「ですが、常務! こんな与太話を聞かされて――」


「私だって信じられませんよ。でも、茶山さんが嘘をつく必要がないでしょう。それに、何より」


 宮間さんは輝くような笑みを浮かべ、手を広げた。


「タイムトラベルなんて、したくてもできるものじゃない! 一四九九年まで三年半、ただ生き延びればいいんでしょう? 我々は二十一世紀の、いわば未来人です。なんとでもなりますよ。気持ちを切り替えて、この状況を楽しみませんか!」


 大人物だいじんぶつと言うべきなのか。

 未来人――確かに、それはその通りだ。

 でも、僕たちのアドバンテージとはなんだろう。

 PCも携帯もネットに繋がらない。お金は使えない。住む場所がない。食料も数日分しかないだろう。この時代の環境で、靴を作ることができるだろうか。

 そもそも、イタリア語を話せる者が何人いる? 

 歴史、地理に詳しい者は?

 若殿様の突き抜けた楽観論に、虎丸さんも気勢をがれたようだった。


「……まァ、常務がそう仰るのでしたら」


「ね、みんなで助け合って生き延びましょうよ!」


「今後、常務には、社長代理として立っていただきたい。不肖、この虎丸雄一郎が、酒井雅楽頭忠世さかいうたのかみただよとなり、全力でお支えする所存」


 虎丸さんは普段から時代がかった言い回しを好む。どの会社にも一人はいるであろう、たとえ話をするときに、和漢の戦国ネタを持ち出すタイプの人種だ。酒井なんとかという人が何者なのか知らないが、言いたいことは、ほんのりと伝わってきた。 

 宮間さんは、あ、はい、と薄い反応をして僕に向き直った。


「茶山さん、いまのお話を、各局の責任者に伝えていただけますか。怪我をしているのに申し訳ないですが、経営戦略局は、残念ながらあなたしかいないようなので」


 なんと優しいお言葉。

 社長とDNAの数パーセントを共有しているとは思えない。


「承知しました」


 そう答えたものの、もちろん電子メールの類は使えない。

 各局をひとつひとつ訪ねるしかないのか。

 役員会が解散したあと、僕は丘の上に取り残された。

 緊張感のある展開ですっかり失念していたが、僕はひとりでは歩けなかった。

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