Dear K――Feb.
弓道場の横にある梅の花が咲いていた。もう春か、と鼻をすすりながら思う。
三寒四温というが、今日も服装を失敗した。ポケットに手をいれるように袴の隙間に手を隠す。大会だと注意を受けるが、公式の場でなければ皆しているものだ。
矢取りに向かう道は四方八方から風が攻めてくるわ、ストーブの恩恵に預かれないわ、で四の五の言ってられない。寒さと礼儀を天平にかけたら、人間は本能に従うのだろう。
ターンと小気味のいい音が響く。
場内のそれぞれから
「矢取りお願いします!」
副部長が見計らって声を張り上げた。
二回、拍手をして的場に進む。
「入ります」
「入りックシッ、入ります!」
安全を確認して、
「
斜め後ろを歩く
ない、と答えたら、ひょっとこみたいな顔をされた。
「実家に帰ったり、友達と遊んだり、彼女と出掛けたりしないの?」
矢継ぎ早に訊かれるが、何も思い付かなかった。
実家は電車で二時間の道のりで先月の正月に帰った。帰ったら帰ったで家の手伝いをさせられるだけだった。繁忙期なわけでもないし、わざわざ実家でやることもない。
連れと遊ぶ話は出ているが、一向に予定が組まれないので流れるような気もする。
そう考えを巡らせた俺は、ないな、と答えた。
谷隅は俺の答えなんて気にも止めずにぶつぶつと口を動かす。
「夏休みはインカレや合宿でばたばたするだろ? お前の彼女も家に帰ったりするだろ? んで、就活も始まるだろ? 思いっきり遊べるのも、なぁんにも心配しなくていいのも、この春休みぐらいなんだろうな」
谷隅は顔の中心に皺を寄せていた。遊ぶことばかり考えているわりには計画性がある。
返事をしないでいると、かちゃ、と抱えた矢が音をたてた。その後は何も話すことなく、後片付けが終える。
更衣室に入った俺は鞄から携帯を取り出した。トーク一覧をスクロールして目的の名前を探す。水槽を背景に後ろ姿のアイコンと北林という文字を見つけてタップした。
――ごめん、ちょっと遅れる。
――わかった
履歴で終わるトーク画面。一昨日の会話が家族みたいだな、と考えて自分の思考がとてつもなく恥ずかしくなった。
心を落ち着かせて、もう一度画面を見る。無表情の俺が写った黒い画面をスワイプした。文面を打ち込もうとして何から切り出そうかと考える。
挨拶から? いつもしてないのに、仰々しいか。じゃあ、用件から? 唐突すぎて引かれたら困る。テレビで見て気になって、とか? いやいや、嘘はダメだろう……。
「何してんの」
声をかけられ、振り替える。反射的に目視をせずにホームボタンを押した。
すんごい真剣な顔してたよ、と谷隅が真顔で言ってくる。
何でもないとだけ返して、着替え始める。心臓は速いテンポで進んでいるが顔には出ていないはずだ。表情筋の無さに今だけ感謝する。
気のない相づちをした谷隅は俺の横に来てロッカーから荷物を取り出した。袴をたたむのが苦手な彼はいつも道着のまま帰路につく。自転車のチェーンに袴を引っかけないのだから不思議でならない。
アプリ特有の着信音が響く。
谷隅は少し気になったようで俺の携帯を一瞥したが、何も言わない。すぐに興味が失せたようで踵を返した。おつかれぇと覇気のない言葉を残して部屋を出ていく。
俺以外はいなくなった更衣室で携帯を見つめた。何も言ってないのに、相手からの誘いがあるなんて夢みたいな話があるわけない。解ってはいるが、期待していないと言ったら嘘になる。脱いだ袴をそのままにして、携帯を手に取りトーク画面を呼び出した。
――どした?
画面に浮かぶ問いかけは身に覚えがなかった。
文字の上を見たら、ハートが満載の絵が。目があざとい柴犬が胸を打ち抜かれている。
問題は可愛らしい柴犬ではない、俺からそれが送られていることだ。
顔が熱いわ、手汗がひどいわ、喉が渇くわ、体が混乱を訴える。
ピヒョンと初期設定のままの着信音が追い討ちをかける。
――……ばかなの?
以前、つい口をついて出た言葉が
(終)
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