凍えるほどにあなたをください――Jan.

 ぽつりぽつりと点きはじめる街灯を追いかけるようにあたしは道を進んでいた。自転車で受ける風は冷たい。学校の中心に位置する共通学部棟の駐輪場に勢いよく飛び込めば薄暗い中、広い背中を見つけた。自転車のブレーキをかけて短距離でも上がった息を調える。


「ごめん、待たせた」


 あたしの声で振り返った柴田しばたは目を細めて首を振った。


「寒かったでしょ?」


 柴田に問いかける。わずかに開けた口が別に、と呟いた。そうは言っているが、赤くかさついた鼻や頬は隠せていない。


「先に行っていいよって言ってるのに」


 呆れて言ってやっても聞く耳はないようだ。自転車のスタンドを蹴りあげる。電灯の関係で夜間は部活動をできない弓道部の彼と、ぬくぬくとした会館の小部屋で没頭してしまう美術部のあたしが待ち合わせなんて難しい。締め切り間近だとなおさらだ。前もって事情は話しているし、携帯電話で連絡もいれるが、柴田は律儀にあたしのことを待っている。

 『既読』しか返さない相手がぎりぎりまで待ち合わせ場所にいるのだから困ったものだ。暖房がきいた所で待てばいいものの、忠犬ハチ公と肩を並べそうなぐらい律義にその場で立ち尽くす。

 ただ一緒にバイトに行くだけ。シフトが同じ時のいつの間にか決まっていた約束だ。

 些細な暗黙の約束をうっかり蹴っても、バイト先でほっとした顔を見せるものだから、まるでこちらが悪いみたいになる。何度も先に行っててって言ってるのに。行こうとも言わず、来ないからと怒りもせず、顔を見ただけで喜ぶ男に絆されたあたしもあたしなんだろうけど。

 白い息を吐きながら、二人で並んで自転車をこぎ出す。

 会話はない。冷えた風が耳を撫でていく。痛いほどの空気にあたしはふと昼間に言われた言葉を思い出した。


 無言、キツくない? 柴田と付き合っていることを明かして同ゼミの子が言った。一年付き合ってると言って、ひどく驚いた顔でこぼれたのだから、彼女の本音だったと思う。柴田と同じ弓道部のその子はあわてて誤魔化そうとして口をぱくぱくとさせていた。あたしはどう言ってやるべきか悩んで呑気に構えていた。確かに一理ある。表情が読みにくい彼は扱いが難しいだろうと思うからだ。気を許した相手にだけ懐く彼の性格も遠巻きにされる原因だろう。工場勤めの寡黙な父親に慣れていたあたしは、全く問題がなかったけど。

 無理に話さなくてもいい。放っておけばいい。話してみたら普通だよ。全部、違う気がした。

 答えに悩むあたしの隣からゆるんだ声が飛びだす。

 ゆりちゃんと柴田くん、おんなじ空気だから大丈夫だよぉ。

 極甘党仲間の菜穂子なほこは砂糖みたいにふわふわの笑顔で甘さ増し増しのココアを飲みながら言ってのけた。まるで、炬燵の中で和んでいるような雰囲気に、そんな感じかもね、とあたしは同意した。なんだか、すとんと落ちてきて納得した。

 おんなじ空気。そうかもしれない。

 二人とも部活の時間でしょ? と間延びした声に促されてすぐに解散となったが全然気にならなかった。浮世離れした菜穂子はいい意味で空気を読まず、空気を塗り替える。

 友人の言葉を頭から放り投げて、絵に向き合ったらバイトに行く時間になっていた。そして、また二人で並んでいる。

 通り過ぎていく景色から目を外して、柴田を見る。ゆっくりと進む自転車は、風をきることもなく短めの柴田の髪もわずかに揺らすだけだ。マフラーも巻かれていない首元を守るのはジャンバーの襟だけで、あたしとしてはひどく寒く見える。

 気取った所がないありのままの雰囲気が、やはり彼らしい。きっと、忘れたかなんかだろう。

 その空気がなじむと言うか、居心地がいいと言うか。柴田といるのは全く苦しくない。付き合い始めもロマンスのロの字もなかったし、甘い雰囲気なんてあたし達にあっただろうか。甘党の自覚はあるが、甘い雰囲気になってしまえば気持ち悪くて仕方ないだろう。ろくに触れ合うこともない気がしてきた。付き合う定義を求めたい。


 そんなことを考えていれば、バイト先の居酒屋につく。


「もう着いたか」


 あたしの呟きが聞こえたのか振り返った柴田は訝しげに眉を寄せていた。その顔に心配の影を見つけてあたしは小首をかしげる。

 頭が何かを求めている。

 柴田をくまなく眺めて、鼻と頬以上に赤くなった手を見つけた。

 いつもなら、四次元カバンとからかわれるリュックのポケットからカイロを取り出す。それは何だか違う気がして手袋から取りはらい、手を伸ばした。

 手から腕、腕から全身に震えが走り抜ける。こんな冷たさで生きているのが心配になるぐらいだ。


「……ばかなの?」


 柴田から降ってきた言葉は無視した。



(終)



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