雪待ち人――Dec.

「ホワイトクリスマスって憧れるよねぇ」

「そうかなぁ。部屋から見る分には良いけどさ」


 経済学部の中庭には木枯らしが吹くだけで誰も通らない。

 夢を持つのは人それぞれだと思うし、小さいや大きいも自由だと思う。

 冷めた目をするゆりちゃんにわたしは横目で同意を求める。


「世界が白一色になるなんて素敵じゃない?」

「そんな乙女みたいなこと言って、」

「聖なる夜の真っ白な雪に足跡をつけれるなんて背徳的じゃん」

「ウン、趣味悪い」

「そうでもないでしょ?」


 わたしが首をかしげると、恨みがましい横顔が唸る。


「綺麗に置いてあった洗濯物をぐちゃぐちゃにしたのはどこのどいつだ」

「ゆりちゃん、執念ぶかぁい」


 笑いながら言うと、すごく嫌そうな目で見られた。

 ゆりちゃんの家でごろごろごろごろしていて、うっかり偶然、山を崩したことは夏だったはずだ。二人で効きの悪い冷房にうだうだくだくだ言ってたら、そんなことになった。夏バテまっさかりのゆりちゃんの顔といったら、悲惨の極み。お詫びにアイスクリーム買ってきたっけ。

 そう、ゆりちゃんは暑さに弱い。

 瀬戸内海産島育ちのわたしは寒さが新鮮だからへっちゃらだ。うかれて歌うように口が踊り出す。


「雪国育ちのゆりちゃんは雪なんて珍しくないんだね」

「冬休みなんて雪かきから始まるからね」


 ゆりちゃんはげっそりとした顔で、冷めたコーンポタージュをちびちびと飲んでいる。

 カイロ代わりに握り混んでいたミルクティーの栓を開けたわたしは少しだけ口に含む。うーん、甘味が足りない。

 コーンポタージュをベンチの端に置いたゆりちゃんがリュックの横ポケットから、さっと差し出す。


「グラニュー糖ならあるよ」

「さすがっゆりちゃん」


 甘党仲間のゆりちゃんからスティックを二本もらう。

 ペットボトルにグラニュー糖を入れて振り混ぜた後に飲み込む。口一杯に広がる甘さに体全体が喜んでいるようだ。母さんにも糖尿病を心配されているが、飲み物だけはゆずれない。


「甘さひかえめがあるなら、甘さましましとかあればいいのに」

「ね。需要あるのに」


 わたしのぼやきに初めて同意がされる。

 どんよりとした雲の下、何を話すでもなく時間が過ぎていく。雲が流れる様を見ようにも、もこもこもこもこと同じ雲ばかりで何処が始まりで終わりなのかわからない。


「同じ時間でも流れる感覚が違うよね」

「さほど変わらないと思うけど」


 律儀に返事をしてくれるゆりちゃんに、帰る?と提案してみる。

 ゆるゆるとゆりちゃんは首を振った。


「今日が最後だからもうちょっと待つ」


 ゆりちゃんは明日からバイトと帰省で年末年始は学校に来ないと言っていた。

 わたしもそうしよっかな、と答えてベンチの上で体操座りをする。あまり寒さは変わらないが安心する体勢だ。携帯を起こして、大切に育てているゲームを開く。毎回のルーティーンを繰り返して、視線を周りに配った。


「来ないねぇ」

「今日、寒いからね」


 白い息が空に上っていく。この空気が集まって雲ができるのだろうかと考えた。空から降るものは皆で作っているんだなぁ、なんて。


「事実、そうだとして。何か嫌な表現じゃない?」


 思ったことが口に出ていたようで、ゆりちゃんに半眼を向けられる。

 そう?とわたしは返して、低い雲を見上げた。重い色をした雲から軽やかに雪が落ちてくるのはとても不思議だ。直接降りつける雨と違って、見上げる余裕があるのも浮き足立つ理由になるのだろうか。


「雪。降らないかなぁ」


 呟いたわたしの言葉に、その発想の後に雪を求めるんだね、とゆりちゃんがぶつぶつと言っている。

 あ、とゆりちゃんが言葉をこぼす。


「ゆき」


 嬉しさがにじむ声色にわたしも視線を正面に戻した。

 真っ白な猫が応えるように一声鳴く。

 ゆりちゃんはいそいそと猫に近付いて、首をかいてやった。

 太っちょの体に似合いの低い声で喜ぶ猫はその場で体を丸くする。

 私が最初に出くわして、まん丸な体が、雪見大福見えて雪見大福と呼んだ。

 返事を返されたのだから、猫自身も気に入ってるはずだ。だいふく、ゆきみ、ゆき、とだんだんと短くなって、結局、ゆきに落ち着いた。

 由来が食べ物だと知ったゆりちゃんに、呆れた目を向けられたのは先月のことだ。

 ゆりちゃんはリュックの前ポケットから、猫用のおやつを取り出す。何でもリュックから出てくるから、ゆりちゃんのリュックは何処かに繋がっていると思う。

 リュックを睨みつけている内に、警戒心のかけらもないゆきはぺろりとおやつを平らげた。

 思うままに遊んで、ゆきは去っていく。きっとまたおやつを貰いにいくのだ。窮屈な首輪が苦しくないのだろうかと思うが、余計な世話だろう。


「ゆき、またね」

「よいお年を~」


 白い姿に二人で別れを告げて、学部棟に向けて歩きだす。


「課題できた?」


 ふと、沸き上がったゆりちゃんからの話題。

 わたしの反応にゆりちゃんは悟ったようだ。残り三分の二は残るノルマを達成するのに今日の晩はパソコンにかじりつくしかない。


「雪が降れば良いのに」


 そして、交通機関が止まってしまえばいいのだ。我ながらいい考えだと思う。

 ゆりちゃんはいつもの表情の薄さで事もなく告げる。


「レポート、メールで提出だから、雪なんて関係ないでしょ」

「……雪が降ればいいのに」

「知ってる? それって現実逃避っていうのよ」


 歩調が遅くなったわたしを振り返らずにゆりちゃんは先を行く。

 雪、降らないかなぁ、と前を歩く背中に聞かれないように呟く。

 夢を見ても、ままならないこともわたしは思い知らないといけないらしい。



(終)


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