きみの物語になりたい――March

 食堂にはあたたかい陽射しが降りそそいでいる。俺は猫になった気分で食堂の机に上半身を広げていた。さむく感じるのは急で、あたたかく感じるのは遅いと思うのはなぜだろう。待ち遠しからだろうか。

 午後イチの講義は入れていない。夢心地のまま寝てしまいたい。だが、やらねばならないことがある。ショルダーバッグから携帯を取り出した。手帳型のケースに真新しい機器がはめ込まれている。

 雪の日に携帯の画面をばっきばきにした時は俺の心もばっきばきになった。データが生きていたことがせめてもの救いだ。

 雪の日に袴は危ない。ブルゾンのポケットに携帯を放り込むのも危ない。そう力説した俺を「なんか違う」と指摘した柴田しばたは読み取りにくい顔で呆れていた。

 俺は携帯をフリックで起こす。

 カラフルな背景に浮かび上がる黒い四角。『続けますか?』の文字に『YES』のボタンで応えた。『世界を創るRPG』の謳い文句のついたアプリゲーム『きみの物語になりたい』は俺の生活の三分の一を占めている。遺跡や神殿などの各ダンジョンをクリアするとコアに自分の書きたいことを刻める。『あ』のだけ書き込む人もいるし、何処かの歌詞のようなものもある。ただの架空世界の機能だが、他の人のものを見るのはとても楽しい。博物館にある訪問者ノートみたいだ。

 俺はといえば、好きな漫画やゲームの台詞をせっせと宣伝している。このゲーム、地道にレベル上げを頑張れば一人でもクリアできるが、チームで参加すると進みが速い。なのに、この『きみもの』にドはまりしてるのは俺しかいなかった。つまり、ぼっち。

 さみしくなんてない。俺は所属するギルド『ゆる廃人』の掲示板を開いた。俺と似たような奴が記事を上げている。

 『本日20時から未明。SS53行ける人いる?』タイトルと内容を読み流してスターを押せば俺の使命は終わった。

 さぁ、寝よう。


 バンッがっしゃーん


 文字通り飛び上がった。打ち付けた膝が痛い。音源に顔を向ければ、女学生が一人立ち尽くしていた。慌てるとか、謝るとか、申し訳ないとか、そういうのは一切ない。ただ、落ちたトレイを眺めている。

 いや、きみが落としたからね! 俺の睡眠、邪魔したのきみだからね!

 感情の見えない横顔に心の中で叫ぶ。わかっちゃいるけど、うんともすんともない。

 どこにもぶつけることができない怒りに耐えていると彼女がしゃがんだ。ひっくり返ったトレイの向きをなおし、汚れていない床におく。その上にプラスチックの平皿、お椀と重ねた。当たり前のように割れたデザート皿に手を伸ばす。

 それ、危なくない? 俺の眉間に力がこもる。

 彼女の横顔をつい凝視していると食堂のおばちゃんがかけてきた。新聞やらビニール袋やら何かいろいろ抱えている。


「大丈夫?」

「お騒がせしてすみません」


 彼女がおばちゃんの顔を見て謝る。

 危ないから、と軍手をした手でおばちゃんはあっという間に片付けた。

 そこで俺は気が付いた。味噌汁(推定)の水溜まりに落ちた携帯に。先日の悲劇を思い出して同情する。あの携帯生きてるよな?

 俺の心配が伝わったのか彼女が携帯を拾い、おばちゃんの持ってきた雑巾で拭いた。


「新しいの用意してくるよ」

「……助かります」


 おばちゃんがごみになった諸々を抱えて去っていく。床も綺麗になった。これで終わりだろ……って、うわぁぁぁあぁい!!

 俺はまさかの展開に彼女に駆け寄った。


「直接洗おうとしてないよなっ」


 蛇口の下には携帯。それとは反対の手はハンドルを握っている。

 俺に携帯を持つ手首を捕まれた彼女が顔をあげる。


「いけませんか」

「いやいやいや、おかしいでしょう!」

「防水機能付きです」

「いくら防水機能付きでも洗わないでしょう!」


 彼女の眉間にできる深い皺。うん、理解不能って言いたいの俺だから。


「せめて、濡れた布巾とか」

「それは机を拭くものであって、携帯を拭くものではありませんよね」


 ごもっともではあるが、融通がきかないことがわかった。何なの、真面目なの。


「……俺のウェットティッシュをあげるのでそれで我慢してください」


 俺の提案に少し迷うそぶりを見せたが、数秒も待たずに首を縦に振った。俺の前に座った彼女はわかりづらい表情でお礼を言ってウェットティッシュを受け取る。

 カバーもフィルムもない剥き出しの携帯はしくしく泣いているように見えるのは幻覚ではないはずだ。

 

「データ、大丈夫?」

「たぶん?」


 難しい顔で小首を傾げる。今までの態度とかわいい仕草のギャップにびびった。無自覚はまじでヤバい。

 俺は動揺をごまかすように極めて平静を装いながら携帯画面を指差した。つけてみたら、と提案すると彼女は素直に応じる。携帯を机に置いたまま作業をするので、トップ画面が見えた。

 初期設定のグラフィックな背景。サポートアプリのアイコンの上をお助けアイコンのキャラクターがちょろちょろと動いている。

 うん、昨日買ったばかりかな?


「あ」


 彼女が電話帳を開こうとして、画面と指の隙間にすべり込んだお助けアイコンを押した。

 『何かご用ですか?』と律儀なキャラクターが訊ねてくる。


「また邪魔された」


 ぽつりとこぼれた文句を聞いた俺は悟った。携帯できない奴だ、と。


「携帯のやり方、教えようか?」


 この言葉が出たのは教育学部生としてのさがのせいだ。きっと、絶対そうだ。

 瞳を輝かせる彼女の携帯に俺がおすすめするゲームがダウンロードされるのも近い未来だろう。

 彼女の口がゆっくりと開く。


「報酬はどういたしましょう」


 たぶん。



(終)



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