願いをさえずる鳥のうた――Aug.


「いい加減、ため息つくのやめてくんない?」


 私はびっくりして何度か瞬きをしてしまった。身に覚えが無くて、私達の他に誰かいただろうかと探してしまう。


真城ましろ、アンタのこと」

「ため息出てました?」

「無自覚……暑さに頭がやられた? 首を冷やしなさいよ」


 先輩がクーラーボックスからペットボトルを投げてくれる。

 あわてて受け取った私は言われた通りに首を冷やした。

 斜め上の方から、ミンミンと蝉が鳴き始める。お盆は過ぎたのに夏は立ち去りそうにない。

 クーラーボックスを挟んで反対側に座る先輩の首筋も汗ばんでいた。ゆるく結ばれた髪も何処か気だるげだ。

 視線を目の前の河川に戻せば、男子達が子供のように水をかけあっていた。バズーカ並みの水鉄砲は何処にしまっていたのだろう。用意周到だ。

 木陰にいる私達でもうだるような暑さだ。日照りが厳しいが、水辺で遊んでいる人達がうらやましくなってくる。

 せっかくなら、私が喜ぶシチュエーションにならないかな。


「ため息、鬱陶しい」

「え……あ、すみません」


 また、ため息が出ていたようだ。

 視線を向けるのも無駄と思っているのか、先輩は山を睨んでいる。


「なんで、ため息ばかりつくの?」

「……えっと、当たってたら、今日はライブに行けたのになぁって」


 私は意外に思って返事が遅れた。無駄を嫌う先輩だ。用事が終わったら、談笑せずに颯爽と立ち去るタイプ。私が他愛のない会話をする相手になるとも思ってみなかった。


「ライブのチケットってそんなに取れにくいの?」

「まぁ、ライブによりますけど……ファンクラブに入っていても五分五分ですね」

「なにそれ」


 割に合わない、と先輩が言い捨てる。

 その通りだ。少なくないファンクラブの会費を払ってライブの情報をいち早く仕入れ、優遇があるはずなのに、二人に一人は推しに会えないのだ。ほんと涙が出そうだ。事実、枕が濡れた。

 でも、それでも、推しに会える希望が細胞より小さくても――


「止められないんですよねぇ」


 私は乾いた笑い声しか返せない。

 きれいなは横を向いたまま、目線だけをよこした。まるで、諦めが悪いのねとねぎらうように。すぐに髪を耳にかける手で隠れたから見間違いかもしれないけれど。

 ため息を胸の奥で吐く。

 実は、チケットが取れなくても転売サイトを覗いてしまうぐらいには諦めが悪かった。数万にふくれ上がっていた販売価格を見てもほしいと思ってしまうのが、私が飢えているからだ。でも、遠征費やグッズ代のことも考えればそんな出費は無理。


「何処かにチケット落ちてないかなぁ」


 ああ、ため息が出る。今度は先輩に怒られなかった。


「何のライブなわけ?」

「――趣味が片寄るジャンルなので申し上げられません」


 私の言葉に先輩の顔が面倒くさそうにゆがむ。

 話が始まる前よりも重い無言の時間がやってきた。

 げんなりとするぐらいに蝉は鳴いているし、ペットボトルは生ぬるくなる。


「先輩が来るなんて珍しいですよね。バーベキュー、好きなんですか?」


 さっきの会話を塗り替えたくて、不思議に思っていたことを訊いてみた。

 昨年のことは知らないが、新歓やお疲れ会にも来ない先輩だ。参加率はゼロから更新されるとは思わなかった。


「いい写真が撮れると思ったんだけど、失敗ね。綺麗な川面も男子に汚されるし、木陰に逃げても暑いし。家にいた方がマシだったわ」

「女子が少ないので、私は嬉しいですけどねー」


 ささやかなアピールをしてみたが、華麗にスルーされた。女子が極端に少ない同科で仲良くなれたら、という願望は砕かれる。塩対応ごちそうさまです。


「あーあ。川があるなら着替え持ってくるんだったぁ」

「それは同意できる」


 先輩は髪をほどきながら言った。美人がやると様になる。

 同意がもらえた私は嬉しくて、質問をぶつける。


「泳げるんですか?」

「メドレーができるぐらいには泳げる」

「十分ですよ……」


 そう? と先輩は澄まし顔だ。

 ぐだぐだと話をしていても、私達の願いが叶うものではない。暑いし、お腹はすいたし、ライブには行けないし。


呂村ろむらさんって真城さんと仲良いの?」


 面白そうな声に二人で顔を後ろに向けると、このバーベキューを計画した教授が立っていた。なぜか、虫取網と虫籠を手にしている。いや、目的なんて一つなんだろうけど、研究室の仲間をこれ以上増やすつもりだろうか。お願いだからやめてほしい。

 先輩は鼻筋まで皺を寄せていた。美人が台無しだ。


「まだ、遊ぶつもりですか。バーベキューはどうするんです?」

「あ、忘れてた」


 けろりと答えた教授の言葉に先輩の表情が氷点下に落ちる。

 計画性を持ってください、と荒ぶった先輩と二人きりでバーベキューの準備をした私はすごく偉いと思う。

 虫取網と籠を先輩に没収された教授は堪えた様子もなく、小枝を探すと言いながら姿をくらませた。先輩が男子達に支持して火を起こしていた頃に、腕いっぱいに石を抱えた教授は黙殺されていた。皆、先輩に逆らうことができずに、教授もそっと石を川辺に返す。

 先輩がいなかったら、この会はどうするつもりだったのだろうと思わずにはいられない。いつも通りの混沌としたマイペースぶりだ。

 夕日が沈む前にやっとバーベキューが終わり、解散。先輩はやっぱりさっさと帰っていった。


 私は料理を作るなと雷を落とされたのは別の話。



(終)


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