第6話 2021年1月〜5月

 2021年1月

 俺はサンフランシスコのアパートでひっそりと暮らしていた。スーパーの店員として生計を立てていた俺だが、旧友のシーザーからも少額の援助を受けていた。そんなある日、俺は顧客のスコットが生き別れになった姉を探していることを知った。俺はシーザーの協力の下、スコットの姉捜しをこっそり手伝うことにした。その後、俺はひょんなことから同じアパートに暮らすブルースと知己になった。ブルースには芸術の才能があったが、複雑な事情を抱えているようであった。


 ある日、シーザーはマーケット・ストリートで発生した殺人事件の捜査を担当することになった。

 その事件の現場では自殺に見せかける工作が為されていた。シーザーはCIAのエージェントでウィルソンのかつての同僚でもあったセドリックと一緒に捜査を担当することになったが、現場を調べた後、ホテルに戻ったシーザーは何者かに殺害されてしまった。シーザーは銃で撃たれ蜂の巣になっていた。


 📱

 俺はシーザー死亡の件を聞くとセドリックと接触し、シーザーを殺した相手に報復するため、シーザーの遺品である携帯電話の暗号解読を依頼する。

 

 そうしているうちに俺は乗客を装って車内に乗り込んできた殺し屋に命を狙われる。殺し屋を撃退することに成功した俺は殺し屋がもっていた携帯電話から自分に殺し屋を差し向けたのも、シーザーを殺害したのもセドリックだったことを突き止める。 

 シーザーが残したZbaはシーザー暗号だったのだ。  

 シーザー暗号は単一換字式暗号の一種で、平文の各文字を、辞書順に3文字分シフトして暗号文を作る暗号である。古代ローマの軍事的指導者ガイウス・ユリウス・カエサル(英語読みでシーザー)が使用したことから、この名称がついた。文字のシフト数は固定であるが、3に限る必要はない。たとえば左に3文字分シフトさせる場合、「D」は「A」に置き換わり、同様に「E」は「B」に置換される。シーザー暗号はヴィジュネル暗号などの部品として使用されることがあるほか、現代でもシフト数を13にした方式としてROT13が使用されることがある。シーザー暗号は他の単一換字式暗号と同様、容易に解読されるため、今日の通信セキュリティにおいては効果的ではない。


 きわめて単純な暗号であるが、現代の暗号においても重要な、規則(アルゴリズム)および鍵といった2つの要素が既に含まれている。


 規則:特定の文字を、それよりも辞書順に特定の数だけ後ろ(もしくは前)にある文字と置きかえる手順にあたる。

 鍵:辞書順にずらす数値のこと。カエサルが実際に用いたシーザー暗号の場合、3という数字が鍵となる。

 Zbaをシーザー暗号を使って解読すると、cedに変換される。Cedric(セドリック)。


 シーザーが殺されたのはセドリックがマーケット・ストリートの事件に関与していることを突き止めたためであった。セドリックは俺とはかつての仲間であるソロモン、タイソン、チェイスと協力して金のために汚れ仕事を請け負っていたのである。その後、セドリックとチェイスは俺のアパートを襲撃したが、そこにいたのはブルースであった。セドリックはブルースを人質に取り、ウィルソンが向かったと思われる場所に急行する。


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 折悪く、カリフォルニア州にハリケーンが接近しており、俺の生まれ故郷にも避難命令が出ていた。俺はそれを逆に好機とみなし、セドリックたちを人気のない町に誘い出して決戦を挑むことにした。愛車ブルバードを廃墟のすぐ近くに止めて、ホルスターからデザートイーグルを抜いた。

 デザートイーグル(英: Desert Eagle)は、アメリカ合衆国ミネソタ州のミネアポリスにあるM.R.I.リミテッド社が発案し、イスラエル・ミリタリー・インダストリーズ社(IMI)とマグナムリサーチ社が生産している自動拳銃である。意味は英語で「砂漠の鷲」。現在、IMI社の小火器部門は半独立状態になり、IWI社(IWI)に社名を変更している。

 

 回転式拳銃に使用される.357マグナム弾を使用するMark.Ⅰが1979年に開発・発売され話題となったが、.357マグナム弾の細長い形状とリムド(有起縁)薬莢のために、5、6回に1回程度の割合で排莢不良や次弾装填不良が発生し、評判は芳しくないものだった。


 その後発売された.44マグナム版では、薬莢が太くなったこともあって作動が良好となり、人気が上昇。Mark.Ⅶより追加されたリムレス(無起縁)薬莢を用いる.50AE弾版で大口径マグナム自動拳銃としての地位を確立し、その後、1995年に.440 Cor-Bon弾を使用するモデルが追加されたその更に改良型のMark.XIXが登場した。


 .50AEは、発売当時、最強の威力を持つ拳銃用弾薬とされており、現在でも一般販売される自動拳銃用弾薬としては最大級の威力を持つ。

 

 強力なマグナム実包を安全に使用するため、自動拳銃では珍しいガス圧作動方式(ショートストロークピストン方式)を採用している。.357マグナム版、.41マグナム版、.41AE版、.440CB版、.44マグナム版、.50AE弾版が存在し、.50AE版は自動式拳銃の中では世界最高の威力を持つ弾薬を扱える。又、バレル、マガジン、ボルトを変更する事で口径変更も容易に行える。


 .50AE版は50口径(0.5インチ)と表記されるが、使用弾薬である.50AE弾の弾頭径は0.54インチとなっている。S&W M500の使用弾薬の弾頭径0.492インチを上回り、拳銃用弾薬としては最大径となる。


 発射された弾丸の運動エネルギーは、AK-47などに使用されている7.62x39mm弾と同等であり、NIJ規格レベルIIのボディアーマーを貫通する能力を持っている。


 銃身上部にはマウントレールを装備しており、スコープ、ドットサイト、レーザーサイト等の光学機器の搭載が可能なため、スポーツ射撃や狩猟での運用にも対応している。


 そのため、現在はこの種の超大型拳銃を使用した「メタリック・シルエット」などの射撃競技が隆盛を見せ、拳銃による狩猟が認められているアメリカの一部地方では狩猟用としても使用されている。価格は$1,249-、日本円に(1ドル=120円を前提で)換算すると約15万円程度と、拳銃としては比較的高価なものとなっている。

 装弾数は9発。

 

 ソロモン、タイソン、チェイスと仕留めた俺は最後にセドリックに復讐を果たし、無事にブルースを助け出す。俺は生まれ故郷の邸宅で海を眺めながら亡くなった妻を想う。


 2021年3月の全米フィギュアスケート選手権。エヴァはアメリカ人としてトリプルアクセルを成功させた。この偉業は不朽の業績として後世に語り継がれていくはずだった。しかし、翌月事態は暗転する。2022年北京五輪の選考会となる全米フィギュアスケート選手権で、エヴァはライバルのオリビアを襲撃して出場不能に追い込んだのである。


 🏭

 サンフランシスコは、キリスト教のフランシスコ会の修道士が創設者の聖フランシスコを街の名に付けたのが地名の由来である。漢字では、桑港や旧金山と表記される。桑港は、「サンフランシスコ」を音訳した「桑方西斯哥」(現代中国語普通話ではSāngfāngxīsīgē(サンファンシースーグー)の発音になる)の頭文字「桑」(サン)に、港町である事を示す「港」を加えたものである。この漢字表記は、現地の日系社会でも使われるため、商店や日本語学校などの名称によく見られる。ジャパンタウン(日本人街)にある曹洞宗の寺院「日本山桑港寺(そうこうじ)」はその代表である。一方の旧金山(舊金山)は、1849年に起こったカリフォルニア・ゴールドラッシュにちなんだ名称である。当初この地に労働者としてきた華人たちはサンフランシスコを「金山」と呼んだが、後にオーストラリア・ビクトリア州など他の地域でもゴールドラッシュが起きるとサンフランシスコは旧金山と呼ばれるようになった(「新金山」はメルボルンを指す)。現地の中国系社会では桑港と同様に広東語で「サンファンシー」の音を当てた三藩市が旧金山よりも多用される傾向があり、市当局も中文での名称を三藩市としている。


 アメリカの他地域では頭文字の「SF」や「フリスコ(Frisco)」といった愛称・略称で呼ばれることが多い。または「サンフラン」(San-Fran)の略称で呼ばれることもある。日本では、特に(航空機での渡航の対象として)「シスコ」の略称で呼ばれることも多い。地元とベイエリア周辺では単純に愛情を込めて「the city」と呼ばれることが多い。


 ロサンゼルスと共にカリフォルニア州の経済、工業の中心地として知られており、金融センターとしてアメリカ西海岸では随一の重要性を持っている。2017年の調査によると、世界6位の金融センターであり、アメリカの都市ではニューヨークに次ぐ2位である。サンフランシスコ自体の人口は776,733人(2000年国勢調査)だが、対岸のオークランドなどを含めた都市圏(MSA)の人口は4,123,747人にも上り、全米第12位の規模。更に南岸のサンノゼを加えたサンフランシスコ・ベイエリア全体の人口は7,092,596人で広域都市圏(合同統計地域: CSA)としては全米6番目の規模である。(いずれも2000年国勢調査)それゆえに大規模なダウンタウンが形成されており、近代的なビルが建ち並ぶ。シリコンバレーやカリフォルニア大学バークレー校にも近く、コンピュータ系の企業も多い。


 気候は地中海性気候に属し、一年を通して気温の差が比較的小さく、気候的にも住みやすい都市である。急な坂が多く、深い霧に覆われることでも有名である。都市部から13マイルほど南下すると、サンフランシスコ国際空港がある。


 観光地としての評価も非常に高い都市であり、外国人のみならず、アメリカ人の間でも訪れたい都市の上位にランクされている。有名な観光スポットとしてゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)やフィッシャーマンズワーフ、ツインピークス等が挙げられる。市内を走る伝統あるケーブルカーも人気が高い。


 アメリカのシンクタンクが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界13位の都市と評価された。アメリカの都市ではニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴに次ぐ4位である。


 世界的に著名な都市なので、ロサンゼルスと共に州都であると思われがちだが、誤りである(実際の州都はサクラメント。米国は原則として中小都市に州政府を置く伝統があり、ニューヨークもシカゴも州都ではない)。


 3月も終わりに迫った、フィッシャーマンズ・ワーフのある館の当主である老富豪テイラー・ダグラスは、彼の誕生日に家族を集めようと決めて、テイラーと同居している長男のトーマスとその妻、カリンを困惑させる。テイラーは、彼の他の息子たち、国会議員のナイジェルと画家のニコラス、彼らの妻キエラとクララはともかくとして、1度も会ったことのない孫娘のケイシーや、テイラーの金を着服して行方をくらまし、その後も不始末を起こしては金をせびる放蕩息子のネイサンまで呼び戻すというのであった。


 こうして再会した一同だが、そこにテイラーの旧友の息子のノーマン・スミスも訪れ、邸に滞在することとなった。不仲のトーマスとネイサン、不遇に死んだ母親を思い父親への長年の恨みを募らせるニコラス、妻の浪費と議員活動に金が必要なナイジェル、さらに彼らの感情を煽るかのように遺言を書き換えるというテイラーの発言により、邸内には不穏な空気が流れた。


 そして深夜12時に事件は起こる。テイラーの部屋から聞こえて来た凄まじい騒音と絶叫。鍵のかかっていたドアを破壊して部屋の中に入った一同が目にしたものは、崩れた家具と、その横に倒れるテイラーの血まみれの死体であった。


 新しい恋人、コーラと彼女のアパートでウィルソンは激しく愛し合っていた。

 ケータイが鳴った。地元警察のハリソン警視の捜査に協力することになる。ハリソン警視は2人に、テイラーから、時価数千ポンドのダイヤモンドが盗難されたことで相談を受けていたことを告げる。


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 ノーマン・スミスは野性的思考であり、毎日を人生最期の日の様に謳歌する豪放なプレイボーイで、勘を活かした走りを得意としていた。トーマス・ダグラスは論理的思考であり、レーサーのイメージとはかけ離れたオタクっぽい男で、工学の知識を活かして自らマシンを整備する走りを得意としていた。全く正反対の性格の2人はやがてライバル関係となり、度々レースで競い合う仲になる。


 そして2021年4月― シーズン成績1位を独走するトーマスとそれを追うノーマン。アメリカグランプリのその日は朝から豪雨でリンクの状態が悪かったため、レースを決行するべきかどうか審議が行われた。トーマスは中止を主張したが、ノーマンは決行を支持し、最終的に予定通り開催されることとなった。しかし、そのレースでノーマンはクラッシュし、生死をさまよう重症を負ってしまう。トーマスは彼のクラッシュの原因が自分にあると考えショックを受けるが、一命は取り留めたノーマンは、病院でその様子を見て奮起し、事故後わずか42日後にレースに復帰する。


 19世紀末の自動車の発明以来、アメリカでは草競馬場のコースを利用したオーバルレースが人気となり、インディ500(1908年-)を含む全米選手権の発足に至る。その一方、ヨーロッパタイプの公道サーキットでレースを行おうとする者も現れ、1904年には欧米交流戦のヴァンダービルト杯が始まり、1908年には欧州のグランプリ規定に則ったアメリカン・グランド・プライズ (American Grand Prize) が創設された。アメリカン・グランド・プライズはジョージア州サバンナ、ウィスコンシン州ミルウォーキー、カリフォルニア州サンタモニカ、カリフォルニア州サンフランシスコといった場所で1916年までに7回開催された(1911年以降はヴァンダービルト杯との同時開催)。1914年の大会を制したマーサー (Mercer) を除けば、いずれも優勝したのは欧州車であった。第一次世界大戦によりヨーロッパのレース界との交流が絶たれると、この種のイベントは開催されなくなった。


 1950年にF1世界選手権が創設されると、インディ500も選手権の1戦に組み込まれたが、ヨーロッパからの参戦者も少なかったため、1960年限りでF1のカレンダーから姿を消した。


 1958年にカリフォルニア州のリバーサイド・インターナショナル・レースウェイにて開催されたUSACスポーツカー選手権 (USAC Road Racing Championship) の1戦に「アメリカグランプリ (United States Grand Prix) 」の名が冠せられた。そして翌1959年に、フロリダ州の飛行場跡地に出来たサーキット、セブリング・インターナショナル・レースウェイでF1世界選手権のアメリカGPが初開催された。1960年にリバーサイドで開催されたあと、翌1961年から1980年まではニューヨーク州のワトキンズグレン・インターナショナル・レースウェイで行われた。「グレン」ことワトキンズグレンでは紅葉の美しい季節に開催され、シーズン終盤の名物レースとなった。


 当地では徐々にF1が浸透し、商業的観点からモータースポーツが重視されるようになっていくと、1976年から1984年までは年2回開催されるようになった(1982年は年3回)。この期間はアメリカGPの他に「アメリカ西グランプリ」「アメリカ東グランプリ」「ラスベガスGP」といった名称も使用された。


 しかし、サーキットは市街地の仮設コースばかりで、レースが行われる際の安全性確保や興行的問題、さらにCART(後のチャンプカー)人気上昇等の問題から、開催数は次第に減少していった。そして1991年にアリゾナ州のフェニックス市街地コースで行われたアメリカGPを最後に、一旦は米国内でF1が開催されなくなる。


 F1ではオーバルトラックを逆走し、インフィールドのロードコースも使用する。

F1は「世界選手権」の名を掲げているが、アメリカ国内においてはNASCARやインディカーなどの人気が高く、F1は人気が定着しきれないでいた。こうした事態を打破するため、インディ500やブリックヤード400が行われているアメリカンモータースポーツ界の聖地、インディアナポリス・モーター・スピードウェイを舞台にして、2000年よりアメリカGPが復活することとなった。初開催の決勝日には巨大なスタンドを埋める20万人もの観客を集め、当地における潜在的なF1人気を実証することになった。


 2003年まではシーズン終盤のレースとして9月末に開催されてきたが、2004年以降は参戦チームの遠征費用効率化を目的とし、6月にカナダGPとの連戦で開催されるようになった。


 2005年はミシュランタイヤのトラブルに端を発し、ミシュランタイヤ装着全7チーム14台がフォーメーションラップのみで自主リタイア。ブリヂストンタイヤを装着する3チーム6台のみでレースが行われるという異常事態が発生した。この事件はミシュランと国際自動車連盟 (FIA) の間に大きな亀裂を生む事となり、2006年のミシュランF1撤退に少なからぬ影響を及ぼした。加えて退屈なレースに観客からの不満が爆発し、主催者はチケットの返金などの対応に追われる事になった。


 こうした経緯から主催者とFIAの関係も悪化の一途を辿り、2008年のF1アメリカグランプリ開催を断念する共同声明を発表するに至った。


 F1に参戦するチーム・自動車メーカー・スポンサーからは「大消費地であるアメリカでF1が開催されないことは、宣伝媒体としてのF1の価値を低下させる」としてアメリカでの開催を復活させるよう根強い要望があった。F1の興行権を持つフォーミュラ・ワン・マネジメント(FOM)が米国内の様々なサーキットと交渉を行った結果、2012年より新たにテキサス州オースティンにサーキットを建設してアメリカグランプリを復活させることが決定した。


 2010年9月にはヘルマン・ティルケ率いるティルケデザインの設計による新サーキットのコースレイアウトが公表された。サーキットの建設は同年12月に開始され、建設費用は約2億ドル。サーキット建設に当たっては、NFLのミネソタ・バイキングスやNBAのサンアントニオ・スパーズなどのオーナーを務めたこともある投資家のレッド・マコームズ、元ロードレース世界選手権(WGP)・GP500クラスチャンピオンのケビン・シュワンツなどの支援を受けている[5]。後にこのサーキットはサーキット・オブ・ジ・アメリカズと名づけられた。


 メディアの中にはサーキットの建設費用などの調達ができず開催が流れる危険性を憂慮するものもあり、実際プロモーター側でも、場合によっては同地でのグランプリ初開催が1年延期され2013年にずれ込む可能性を認めていたが、予定通り2012年11月にレースが開催された。


 一方で、2013年からはニュージャージー州でもう1つのグランプリが開催される予定とされ、2011年10月25日に同州知事が開催を発表した。ハドソン川を挟んでニューヨーク・マンハッタンの対岸に位置するウィーホーケンとウェストニューヨークにまたがる市街地を使用するとしていたが、サーキット建設の認可手続きが間に合わず、実際の開催は2016年からにずれ込む見込みとされていたものの、2016年度はまたしても開催が見送られた。名称はニュージャージーグランプリとなる予定らしいが、2015年度のアメリカグランプリの開催料金の延滞が報道されるなど、ポート・インペリアル市街地コースへの移転は遅々として進んでいない。


 2019年よりフロリダ州マイアミでアメリカにて2つ目のグランプリを開催する計画がマイアミ市から承認されたが、地元住民は道路閉鎖や騒音を理由に反対しており、20年間の開催契約をまとめることにも難航したため、2019年の開催を断念し2020年からの開催を目指すことになった。その後、開催地を従来のビスケーン湾周辺からNFLマイアミ・ドルフィンズの本拠地ハードロック・スタジアム周辺に変更し、同チームのオーナーを務めるスティーブン・ロスが率いるコンソーシアムとリバティメディアとの交渉が進み、政治的支援やマイアミ市議会の承認が必要ではあるが、2021年からの開催に原則合意した。

 

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