ぼくとその女の子【9】

「わたしね、正直別にそんなに役者になりたいわけじゃなかったんだ。」


 二人並んで壁に寄り掛かって座る。お互い目は合わせないで、同じ方向を向いたまま、さっきよりは落ち着いた声でぽつりぽつりと話し始めた。


「…本当に?それであそこまで行っちゃったの…?」


 トーンを抑えていたけれど正直内心結構びっくりしていた。本気で言ってるなら人間不平等過ぎない?


「本当だよ。この年で将来がはっきり決まってる人なんてそんなにいると思う?」


 まあそれは確かに。でもこの子を見ていると与えられた才能が勝手に導いてしまうっていうこともあるような気もする。宿命ってやつかな。


「…ならどうして。あっ、ごめん。また。」


 本当に普段人とあんまり話していないと駄目だなと痛感する。言葉選びが下手くそ過ぎる。反省が全く反映されていない。


「いいよ。気になったことあったら何でも聞いて。わたし、この前のこと本当に申し訳ないというか、恥ずかしいと思ってる。罪滅ぼしというか、誤解が無いように、私のこと、ちゃんと伝えるつもり。」


 一つ一つ言葉を選んでいるような丁寧な話し方だった。

 くれはは続ける。


「私のお母さん、一応歌手だったんだよね。デビューはさせて貰えたけれど、全然売れなかったみたいだから本当に一応って感じなんだけど。」


 最初にするのがお母さんの話。正直、なんとなくこの後に続く話がわかったような気がした。


「…ふふっ。わかったって顔してるね。うん。わたしが芸能界に出たのはお母さんのため。はっきり言って、お母さんの無念を晴らす、ただそれだけの為にこんなことやってます。」


 言い切った後、くれはは三角形の頂点の膝に口元を隠したまま、顔を少しこちらに向けて、口を開こうとして横を向いたぼくと目が合った。

 おどけた調子で話したことが恥ずかしかったのか、少し照れているように見える。


「…そうなんだ。」


 元々言おうとしていた言葉は大幅に削られた。


「お母さんも元々この辺の人なんだ。高校卒業して夢を追いかけて上京したんだけど、まあそんなに甘くなかったみたい。諦めて地元に帰ってきて、高校の同級生だったお父さんと結婚して、わたしが産まれた。」


 優しい声だった。まるで見てきたかのように、自分の生まれる前の話を大切に話す。


「…それで、幸か不幸か、産まれてきた子供がちょっと面白い特徴を持ってた。」


 少しだけ冷めたような話し方になった。


「お母さんはやっぱり諦めきれていなかったんだ。あの世界に、未練があった。まだ小さかったわたしを、子役のオーディションに売り込んだ。興味があるなら受けてみないかって何度も言われたんだけど、小さかったわたしにもわかるの。お母さんは私の意思に関係なく、何としてでも受けて、勝ち残って欲しいんだって。自分が出来なかったことを、果たすために。」


 高い可能性を感じてしまったのだろう。気持ちはわかる気がする。


「元々別に人と話すのとか得意では無いし、気は向かなかったんだけどね。訳が分からないまま、お母さんに言われたようにやってたら、あっさり合格しちゃった。」


 さっき自分で甘くないと言っていた世界で自分はいとも簡単に勝ち抜く才能。でも本人はそんなに嬉しそうには話していない。


「わかるよね?これのおかげなんだ。」


 くれはは自分の右肩に垂れたその絹みたいな質感の銀色の髪を指先ですくって見せた。


「ネットだと多分いろいろ書かれてるよね?ちょっと嫌だけど、でもあんまり強く否定できないんだ。この変な色の髪のおかげで、私は特別でいられてる。そうじゃなかったら、わたしに何ができるのかわかんない。親の操り人形みたいになって芸能界にいるとか言われたらまさにその通りなんだもん。何にも言えない。」


 そんなことないよ、とは言えなかった。部外者のぼくがどんなつもりで意見を言うのだろう。


「だから君からしたらこの前突然八つ当たりされたのは本当にとばっちりなんだ。他の子役の親がそういうこと言ってるの聞いちゃってさあ。自分で思っててもいざ実際に言われるとやっぱり悲しいよね。しかも他の子役だけじゃなく親の方にさ。あなた直接関係ないじゃんって話だよね。」


 まあどういう場面でどんなことを言われたのかは想像がついた。それを言った人は、仕方ない部分もあるのだろうけど自分の子供に対して少しバイアスがかかりすぎているんじゃないかな。


「どんな理由があっても、仕事を取れることはそれだけですごいよ。他の人だって欲しい席があったら全力でどんな手を使っても取りに来るんだろうから、負い目に感じる必要は、無いと思う。」


 くれはの言葉を否定しすぎないように、おそるおそる喋りはしたけれど、間違いなくぼくの本心だった。


「ありがとう。本当に私の気持ちに関係なく、どんどん物事が進んで行っちゃうの。実はそのうち歌の仕事、やる可能性もあるんだ。いよいよ来たかっていう感じ。全部お母さんの望んだように動いてる。どうせならお母さん自身の時に、そうだったら良かったのにね。わたし正直、人前で歌うのはやりたくないなあ。」


 なんとなくだけど、この子なら結局上手くこなしてしまう気がしていた。


「仕事を休むことは考えたこと無いの?よくいるみたいじゃん、学業に専念するために休業ってやつ。」


 聞いていいのか悩んだけど、言った。少しでもこの子の力になりたかった。


「お母さんが許さなそうだなあ。何度も言ってるの。自分は遅すぎた。もっと早くこの街を出ていくべきだったって。嫌な話だけど、十代って特に女の子は売り時っていうか、勝負時だから。そんな大切な時にせっかく取った席を空けちゃうなんて危ないこと、絶対反対すると思う。それで取られちゃうような席なら、それでいいと思うんだけど。」


 くれはは寂しそうに少し微笑んだ。


「ごめんね。少し刺々しい言い方になっちゃった。わたしね、お母さんがこの街を否定するところだけは嫌なんだ。お母さんもこの街で育って、この街の高校でお父さんと出会って、夢破れてこの街を頼って帰ってきて、結局この街でお父さんと結婚したのに、ここを否定することは無いんじゃないかって、そう思うんだ。」


「わたしは、この街が好き。何にもない田舎だけど、春には桜が咲いて、夏には小さなお祭りと花火大会があって、秋は果物が美味しくて、冬は降り積もる雪が綺麗なこの街が好き。そんな街日本中に沢山あるんだけどね。でもここがいいんだ。慌ただしい東京の街から帰ってきてこの街を歩いてると、すごく安心する。」


「お父さんとお母さんの高校だって、いい所なんだよ。前に一回だけお父さんに文化祭に連れて行って貰ったんだけど、すごく楽しそうだった。」


 そう話すくれはの顔は、今日一番嬉しそうだった。ぼくの方もこの子の嬉しそうな話は、いつまでも聞いていたい気分だった。でも。


「あーあ。なんかわたしばっかり喋っちゃっててごめんね。じゃあ、出来れば次はキミの話を聞かせてくれるかな。」


 来た。


「んー。まあ突然なんか話してっていう訳にもいかないし、取り敢えず一つだけ聞かせて。君はこの街どう思ってる?好き?」


 くれはは少し申し訳なさそうに、それでも真剣なまなざしでぼくにそう尋ねた。ぼくの中から、答えないという選択肢も、あいまいで適当な返答をしてごまかすという選択肢も、すでに消滅していた。


 これからぼくは恥をかく。力不足でまだ何も成し遂げていないくせに絵空事を語る愚か者になる。

 いや、それ以下だ。ぼくの語ることはまだ絵にすらなっていない。


「ぼくはこの街を今すぐにでも出ていきたいと思ってる。」


 くれははわかっていたよと言いたげな表情で微笑んだ。

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