ぼくとその女の子【6】
小倉くれはの衝撃の芝居を見た後、ぼくが何をしたか。いてもたってもいられなくなったぼくは、熱をそのままに勢いに任せて感じたことを紙に書き出した。もうあの子を怒らせてしまったとか、そんなことは考えなくなっていた。最悪嫌われてでも、この思いを伝えたかった。どうでもいいことを気にしていないで、その圧倒的な才能を思うがままに振るって欲しいと思った。
ではどうやって伝えるか。目の前に書いたことを、ぼくが余すことなく言葉で伝えられるか冷静に考えた時、それは無理だと思った。だから箇条書きで乱暴に書き殴ったそれを、文章の形にして手紙で伝えることにした。何度も何度も書き直して、綺麗な紙で渡したいから何枚も無駄にして、一日中かけて一通の手紙を作成し、疲れ切って泥のように寝た。
そして翌日の月曜、今に至る。手元には封筒が一つ。ここであることに気が付いた。
これはかなり痛い行為なのでは?
冷静に考えた結果、手紙という方法を選んだ。これは冷静ではなくないか?冷静になった今、そう思う。
これを渡されたところで、向こうは何を思えばいいのか。突然クラスメートの男子に、「お前の演技、最高だったぜ!俺はここをこう解釈したんだけど、お前はあの時何を考えていたんだ?お前才能あるから、これからも頑張ってくれよな!」…みたいな内容のやたら白熱した長文を渡されて、喜ぶ人間がいるのか。
爆弾を抱えたまま、自問自答していると、学校に着いてしまった。教室に行くと、隣の席はまだ空のままだった。
よく考えたら、あの子は凄く忙しいはずなんだ。別に今日も、学校に来るなんて保証は全くない。むしろ来ないでくれた方が、決断を引き延ばせて助かるなぁなんて甘えたことを考えていた時、見間違えるはずのない銀髪の少女が教室に入ってきた。
くれはは一瞬ぼくに目を合わせるも、特に何も言うことなくぼくの横を通り過ぎて、静かに自分の席に着いた。
そうか。そもそもぼくはこの子を怒らせてしまっているんだ。何をぼく一人で盛り上がっているんだろう。
ぼくの手元には特大の爆弾があるけれども、別に導火線に火が付いているわけじゃない。静かにしまっておけば、これは何も起こさないんだ。冷静になれ。
自分に問いかける。実際、一つ一つ今日の授業を消化していくうちに、少なくとも今日、これを渡そうとする気はどんどん無くなっていった。
あっという間に放課後になって、こんなやばい物を渡すことよりも、まずは金曜日のことを謝って、普通に話せるようにならないと何も始まらないなぁとか、でも今日は話すの無理そうかなとか、そんなことを考えていた。
くれはは帰りの準備を始めていて、今にも帰ってしまいそう。今日は無理かな…。
この時ぼくはまだ知らなかった。導火線にはもう火が付いていて、ぼくに出来るのはもうどこで爆発させるのか選ぶことだけだということに。
くれはが席を立ち、帰ろうとする。それを見たぼくは、今日は何も行動を起こさないことを決意する。今日絶対に済ませなきゃいけない用事ではないのだからと、自分に言い聞かせながら。
わかってる。これは後に引き延ばすべきことじゃない。特に締め切りは無いし、いくらでも先送りに出来てしまうものだけれど、一日、一日と引き延ばすうちに何かが少しずつ欠けて行って、気が付けば取り返しのつかないことになっているという類のものだ。
それでも、今日行動を起こさなくてもいいという事実にぼくは正直安心した。
そして、そんな自分がとても嫌だった。
くれはから目を逸らしたぼくは、教室の隅で珍しく一人でいた秋野がこちらを見ていたことに気が付いた。
秋野はぼくと目が合うと、少し口角を上げて薄く笑い、ぼくはこれから自分にとって何か都合の悪いことが起こることを直感した。
秋野がこっちに向かって歩いて来る。背筋に緊張が走る。秋野が口を開こうとするのが見えて、ぼくは奥歯を軽く食いしばる。
「くれはちゃん。ちょっといい?」
え?秋野は急にぼくから目を逸らしてまさに教室から立ち去ろうとしていたくれはに声をかけた。
最初から目的はぼくじゃなくてくれはの方だったのか…。と思いぼくはほっと胸をなでおろした。
…なんてことにはもちろんならない。
「なに?」
くれはが立ち止まり、少しだけ面倒くさそうに振り向く。
「前から聞きたかったんだけどさあ。」
切れ長の瞳が蠱惑的に笑う。どう考えても友好的な言葉は来ないだろう。
「久方のこと、どう思ってるの?」
くれはは一瞬ほんの少しだけ驚いたような顔をした後、しらけたような、冷たい表情をしていた。
ぼくの方はきっと、何かを諦めてしまったような酷く情けない顔をしていたんだと思う。
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