ぼくとその女の子【5】

 日付は変わり、今は日曜の午前三時。昨日ぼくは夕飯を食べた後、あまりに早い時間に無理やり寝てしまった。狙った通り、早朝に自然に目が覚めた。


 父さんの寝室のドアを音を立てないように慎重に開けて、寝ていることを確認する。今日は仕事が休みだと言っていたから、いつもより遅い時間まで寝ているはず。逆に言うと、一日中家にいる可能性があるから、録画しておいたあれを見るなら、このタイミングしかない。


 リビングのテレビの前に、かつてない程近付いて座り、音量を出来るだけ小さく、それでいてちゃんとセリフは聞き取れるギリギリの大きさにして、例の番組がきちんと録画出来ていることを確認した後、再生する。当然物語は途中からだけれど、あらすじは昨日の昼間ネットで調べておいたし、最悪別にシナリオは目的ではないから、別にいい。


 小倉くれは演じる少女は、物語のキーパーソンとして、いきなり犯罪者に誘拐、監禁されていた。


 エンドロールが流れた時、心底ぼくはがっかりした。ここで終わってしまうのかと。息もつかせぬ時間だった。見終わって少し経った頃、ぼくが感じたのは何とも言えない恐怖だった。


 やはり、やっぱりだ。小倉くれはは、間違いなく特別な女の子だった。銀髪で良かった。もしこの子が普通の髪の色をしていたら、この子には天才子役という、わりとありふれた称号が与えられていたに違いない。この子は唯一無二の存在であるべきだし、それにはもうなっていた。


 大人に媚びているとか、親に入れ知恵されているとか、そんな意見がいかに本質を捉えられていないかを思い知った。合っているとか、間違っているとかじゃない。そもそも適切な回答欄に書いていないんだ。


 子役は、身もふたもないことを言ってしまえば幼稚なこと、未熟であることが必要とされることもある特殊な立ち位置にいる。仮に親の言うことをそのまま聞いたり、大人に媚びて「いい子」を演じていたとして、それの何に問題がある?そうすると大人が喜ぶことを子供なりに悟って、そのように振舞える子供は多分得をするし、そのあたりも一つの「子供らしさ」で、キャスティングする側がそれを求めているならば、必要とされている子供ならば、それは正しいことであるはず。


 でも、小倉くれはは違う。だって、こんな「子供」はいない。誘拐犯に監禁されて怯えるどころか、逆に犯人を篭絡してしまい物語を引っ掻き回す狂気の子供。こんなものを最初から求めてキャスティング出来るわけがない。いやもちろん、このシーンを成立させられる子役なんてのは、他にも沢山いる。多分最初は普通に出来るだけ上手な子供に台詞を読ませて、映像的な演出で思い描いたものに近づけていくつもりだったんだ。でも、今回のシーンに特殊な技法はほとんど使われていなかった。小倉くれは自身の演技が、とてもシンプルな構図で使われていた。


 これは誰かに指示されて出てきたものじゃない。子供にこれを指示して引き出すなんてことは、不可能だからだ。これは小倉くれは自身が考えて、どこからか引っ張り出してきて、演じているものだ。こんな子供はいないし、万が一にもいて欲しくない。そのくらい作中でのくれはの演じる少女は、圧倒的な存在感を示し、恐怖の存在であった。


 もちろんこれがあの子の中から出てきた狂気だとは思わない。教室での落ち着いた雰囲気も、この前は怒らせてしまったけれど基本的にあの子が温かい人だということも、ぼくは知っている。こんなものを自身の中に飼っているわけでは、決してない。でも、思わずそう思わせてしまうほどの演技だった。仮面を被るのか、自分に降ろしてくるのかはわからないけれど、この年にして小倉くれははそれが出来てしまう本物の役者だということは、素人のぼくにもはっきりとわかった。ぼくは彼女に対する強い憧れと、自分がどんなに努力しても同じような高みまでは到達できない、この差は永遠に埋まらないんじゃないかという、別の種類の恐怖を感じていた。


 後々この日の放送は世間的にも大きな反響を呼び、小倉くれはの名前はますます広まった。「銀の」とか「姫」とか「王女」とか、やたら恥ずかしい異名も沢山付いて、ただの天才子役で終わらなかったのは良かったと思う。実際彼女は、今までの天才達と比べても更に異端の、特別な存在なはずなのだから。

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