ぼくとその女の子【3】

 突然の曖昧な意気込みがすぐに結果を出すことは中々無い。いきなりだがすぐにぼくは失敗した。


 余計な一言を、言ってしまった。

 普段口の足りないぼくが、よりによって一番ダメな言葉を、溢れさせた。


「何?何か言いたいことでもあるの?」


 初めてまともに話してからしばらくして、何度目かのぼくらの当番が回ってきた。放課後くれはが学級日誌を書いているのを待ちながら、ぼくはまたあの光景を見られないかなぁと、ぼんやり考えていた。夕陽に染まるくれはの銀色の髪はそれほど綺麗だったから。


 残念ながら今日は天気が悪く、外は薄暗くなっていた綺麗な夕焼けは望めそうにない。

 向こうからしたらぼくがここにいる理由は無い。日誌は自分が書いているし、一緒に帰ろうにも、家の方向が違うんだから待っていても仕方が無い。「何で早く帰らないの?」と思うのは当然である。


 突然のことにぼくは焦り、その瞬間頭に思い浮かんでいた疑問をそのまま吐き出した。


「その髪って本当に染めてないの?」


 その瞬間、彼女の表情が僅かに変わったのが分かった。


「テレビとか見ないの?」


「う、うん。正直全然。」


 声が冷たい。自分が間違ったのはすぐにわかったけどもう遅い。


「銀色なの、変だと思う?」


「そんなことないよ!すごく…かっこいいと思う。」


 くれはの声が少し震えているのがわかる。ぼくの答えも良くない。素直に思ってたことを言えば良かったんだ。綺麗だって。夕陽をバックに輝いている光景が、忘れられないんだって。正直に伝えるべきだったんだ。これじゃアニメの銀髪のキャラクターに憧れている子供みたいじゃないか。


 客観的に見て、ぼくはその通りの子供だった。

 くれはは自分の前髪を掴み、強く頭上に引っ張る。髪の生え際が見え、彼女の髪が一本一本その根元まで銀一色なのが見える。


「地毛だって言ってるでしょ!みんな、銀髪!銀髪!銀髪!って、そればっかり!銀髪じゃないわたしだったら、どうでもいいの?わたしだって、好きでこんな髪の色に生まれたんじゃないよ!」


 くれはの感情が弾ける。普段の教室での様子とは似ても似つかず、ぼくはどうすればいいかわからず茫然として固まってしまっていた。


「大体、わたしのこの髪の色って要は身体の異常なんだよ!よくわかんないけれど多分遺伝子とかそういう所がわたしはおかしいってことなんだよ!もし、違う感じで身体に出てたらどうするの?もっと地味な変な色だったら?そもそも髪以外に特徴が出てたら?目が見えない人、耳が聞こえない人に対してはかわいそうって言うくせに、わたしには羨ましいって、自分も銀髪だったらって言う!無責任!ほんっとうに無責任!産まれてからずっと、自分が周りと違うってことがわかってない!勉強が出来るとか、運動神経がいいとかじゃなくて、周りに合わせられないってことが!最初から、私だけが間違っていて、みんなとは一緒になれないってことが!」


 最初は怒らせてしまったんじゃないかって怖かった。でも違ったんだ。ぼくはこの子を傷つけてしまった。この子のことを何にも知らないのに、この子の中に勝手に踏み込んで、踏んだらいけない所を踏んだんだ。ぼくは初めて、人を傷付けて自分が痛いという経験をした。本で読んで想像していたよりも、ぞれはずっとずっと痛かった。


 くれはは一瞬何かを諦めるような顔をして日誌をぼくに差し出すと、大体書き終わっているから最後の欄だけ埋めて先生に提出して欲しいと言って、それ以上は顔が見えないようにすぐに教室を出て行ってしまった。ぼくは放心したまま日誌の最後の欄にいつもよりずっと薄くてふにゃふにゃした字で良くわからない数行の文を書き、ノックもせず職員室に入って無人の担任の席に日誌を置き、気が付くと家と学校の中間地点くらいまで来ていた。


 今日は金曜日だ。すぐに謝りたくても、次に会えるのは最短で月曜日。何て言って謝ればいいのかもわからないけれど、とにかく何か伝えなければいけない。気持ちばっかり焦っていって、土日がこんなにも邪魔だと感じたのも初めてだった。


 口を滑らせた瞬間のことを頻繁に思い返しては、拳を固く握りしめ、誰も見ていないのに何となくたまらなく恥ずかしくなって、目を閉じて自分の足先を見るように顔を伏せた。


 ぼくはテレビをあまり見ない。興味が全く無いという訳ではないけれど、少なくとも特に毎回楽しみにしていて、継続して見ている番組みたいなものは無いので、居間にある、我が家で唯一のテレビ台の前に座ることはほとんど無かった。


 ここに座ると、台所やダイニングテーブルに背を向けることになる。ぼくは、母さんがうしろにいる状態で何かをすることが苦手だった。勉強も、遊びも、何か言われることよりも、うしろで母さんが見ていて、何か言われるんじゃないかって気にすることが、何より嫌だった。


 一度、母さんの口からあの子の話題が出てきたことがあった。


「あんたの学年に、子役やってる子がいるんでしょ。良いわねえ。ああいうのって、いくらぐらい貰えるのかしら。」


 母さんの前では何が何でもあの子が出ている番組を見ないように、いや、母さんがテレビを見ている時、ぼくはそばにいないようにしようと決めた。


 その母さんは今日何故か家にいなくて、夕飯の時間になっても帰ってこなかった。しばらくすると父さんの方が帰ってきて、手には夕飯を買ってきてくれていた。母さんは友達と旅行に行って、明後日まで帰ってこないらしい。そういえばそんなことを前に言っていた気がしたな。


 二人でテーブルに座り、弁当の包みを開けると、父さんはリモコンを手に取り、テレビの電源を付けた。ぼくが思わず一瞬テレビの方を向いたのを見て、父さんは何かに気が付いたような顔で、口を開く。


「ああ。別に今日は母さんいないしな。お前も好きにしなさい。同時に出来ることは、一度にやった方が効率的に決まっている。弁当、お前の好きそうな奴買ってきたけれど、それで良かったか。」


 ごもっともだ。こういった合理的なところに関しては、父さんの方に好感が持てる。ぼくは弁当以外にもう一つの意味も込めてお礼を言い、箸を手に取った。


 食べている時も、今日あの子に言われたことを考えてしまっていた。気を利かせて多めに用意されてしまった夕飯をなかなか食べ進められない。父さんはすでに食べ終わって居間を出て行った。


 ふと、誰かの話している声が聞こえてきた。ああそうか。父さんが見ていた番組がそのままだったのか。なんとなく、チャンネルを変えてみようと思った。


 リモコンのボタンに指先が触れた直後、ぼくは驚きで一瞬腹の中のなにかがきゅっと縮まったような気がした。見てはいけないものを見たような、見られてはいけないところで誰かに鉢合わせてしまったみたいな緊張を感じた。


 今ぼくの頭の中を埋め尽くしていた子が、画面の中にいた。番組は終わりに差し掛かっているらしく、テレビの中のその子は、別の番組の告知を始めた。普段の様子より子供っぽい様子で、たぶんこの子にはカンペが見えているのだろう、ややゆっくりと、一言一句丁寧に、こっちに向かって話しかけてくる。


 今放送しているドラマの告知だった。凄い。こんな大きな仕事やってたんだ…。この番宣の為に出ているバラエティ番組だって、ぼくでも知ってるような有名番組だし。ゲストとして一緒に出ているこの人達も、きっと人気のある俳優、女優なんだろう。


 土曜日の夜9時…。明日か。リモコンを手に取って番組表をスライドさせながら、そのドラマを見つけ出し、録画予約をしようとして


「いきなりこれ撮ってたら、変に思われるかな…。」


 一瞬躊躇して指を止めたけれど、よく考えたら今は母さんはいないし、父さんは…まあなんとかなるだろう。


 予約を完了して、どうしてかわからないけれど少しいけないことをしているような気分になった。今日はもう寝てしまおう。


 目を閉じても、銀髪の少女のさっきの画面越しの顔、放課後の泣きそうな顔、そしていつかの夕陽の差し込む教室での、静かに優しく笑った顔が交互に何度も出てきて、中々眠れなかった。

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