第3話 バレンタインとチョコレート
ふんふん、と上機嫌な鼻歌が響く。
合わせて軽やかな足音を伴って現れたのは、肩ほどまでの茶色がかった髪を揺らす美少女。
そんな彼女──雨空蒼衣が、大きな瞳を少し見開く。
「あ、先輩、起きてるんですね。おはようございます」
「おう、おはよう」
くわり、とあくびをひとつ。目が覚めたからといって、あくびが出ないわけではない。
「珍しいですね。何かありました?」
「……いや、特に何もないな」
首を傾げる蒼衣に、俺はしれっとそう返す。
さすがにバレンタインを気にして目が覚めたとか言えないしな……。
「あ、もしかして……そんなに期待してるんですか?」
そう言って、蒼衣は小悪魔のような笑みを浮かべる。
どうやら、バレているらしい。
「……何の話だ?」
「いやいや、それは無理がありません?」
ささやかな抵抗をする俺に、小さく笑ってから、くるり、と蒼衣が回る。
「これ、新しい服なんですけど、どうですか?」
ふわり、と舞うのは茶色のプリーツスカート。それに合わせてなのだろう。上はベージュのブラウスを纏っていた。
「いいと思うぞ」
「もう一声!」
「……可愛い」
「えへ、ありがとうございますっ! ちなみにコンセプトがあるんですけど、何かわかります?」
そう言って、蒼衣はくるり、ともう一回転。
ふわ、と舞い上がるスカートに目を奪われていると、にやにやと笑う蒼衣が裾を掴んで少し上げる。
すすす、と上がって行くにつれて、白い太ももがあらわになっていく。ブラウンのスカートのせいで、綺麗な肌色が余計に映えて見えた。
「こら、やめなさいはしたない」
「そんなこと言いながら、視線は変わってないみたいですけど?」
くすくす、と楽しそうな蒼衣。いや、この状況でスカートの裾から視線を外せ、というほうが無理なんだよなあ。
じりじりと、時間をかけて上がっていたスカートが、不意に動きを止める。
「さて、この先はさっきの問題に正解してから、です」
「さっきの問題? ……ああ、あれか。コンセプト」
「そうです。何かわかります?」
コンセプト、と言われてもな……。
ベージュとブラウン。……うむ、チョコレート色だな。
バレンタインデーということもあって、もはやそれにしか見えない。というか、このタイミングでチョコじゃない、なんてことあり得ないだろ。
かといって、チョコレートがコンセプトだ、なんて言ってしまうのは、バレンタインを気にしている証拠にもなる気がするのだが……。まあ、いいか。どうせバレてるしな。
「……チョコレート、か?」
そう答えた俺に、蒼衣は腕を交差させて、ばってんを作る。
「残念、惜しいです。答えはバレンタインでした」
「ほぼ当たりな気がするんだよなあ」
「違いますよ。チョコはバレンタインの一部ですけど、バレンタインはチョコを渡すだけの日じゃありませんから」
「まあ、それはそうだが……。いや、でもメインはチョコじゃないか?」
「いやいや先輩、チョコはあくまで手段ですよ。メインは気持ちを伝えることだと思うんです。──と、いうわけで、先輩」
とん、と蒼衣が一歩こちらへと近づく。ふわり、と香る甘い匂いはいつもの香り。そして、ほのかにチョコレートの香りがプラスされていた。
その香りに気を取られ、蒼衣の顔が至近距離にあることに気づいた瞬間。
「──好きです。大好きです」
「──ッ!?」
耳元で、囁くように、甘い声が鼓膜を揺らした。
一気に顔が熱くなり、ぞわぞわ、と背筋を走る妙な感覚を味わいながら、蒼衣に視線を向ける。
「さっきも言いましたけど、先輩。今日は気持ちを伝える日だと思うんです。なので──」
俺の反応に満足そうに笑う彼女は、今度は俺へと飛びつくように抱きついてくる。
「うお!?」
思わず、そのままベッドへと倒れ込む。
俺を押し倒した蒼衣は、ふわり、と笑ってから、俺の頬へと手を伸ばし、添えてくる。
あまりの衝撃に、されるがままの俺を襲うのは、軽い口付け。
そして、その柔らかな感触が離れるとほぼ同時に、さらり、とした髪が撫でていく。
ビリビリと頭の奥が麻痺していくのを感じながら、目の前の美少女から目が離せない。
頬をほんのりと赤く染めた彼女は、またも柔らかく、そしてほんの少し照れくさそうに。
「わたしの想い、ぜんぶ受け止めてくださいね?」
そう言って、ふわり、とはにかんだ。
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