第7話 二度と呼ばないで
ご機嫌斜めなのか、いつも通りなのか。
曖昧な蒼衣と雑談をしているうちに、我が家の夕飯は完成した。
白米、大根の味噌汁、鯖の塩焼きにきゅうりの酢の物。
まさに和食、というラインナップの夕飯。基本的に洋食を好みがちな俺だが、これを前に出されては、日本人としての血──もとい、胃が騒ぐ。
和食って安心感あるよなあ、と思いながら、俺が鯖の骨と格闘していると。
「わたしがなぜ、呼びかたにこだわるのか、いい機会なので説明しておきます」
す、と箸を置いた蒼衣が、そんなことを言い出した。ちなみに、蒼衣の前にある鯖は、綺麗に骨が取り除かれている。いつ見ても骨取るの上手いなこいつ……。
「……今、鯖の骨と戦っているんだが」
「そのままでいいです、聞いてください」
うーむ、これ、マジで取ってくれないっぽいな。仕方ない、頑張るか。
ぐい、と大きめの骨を引っ張ると、連動して2本ほど新しい骨が現れる。めんどくせえ……。
そんな俺の憂鬱とは関係なしに、蒼衣がぴん、と人差し指を立てる。
「いいですか、先輩。まず、わたしと先輩の関係のひとつとして、これからも大学の先輩後輩、というのは変わりません。卒業しても、大学時代の先輩後輩、になるだけです。なので、わたしが先輩のことを先輩と呼ぶのは、極端な話、死ぬまでずっとでもいいわけです。ですが、名字は違います。結婚したときに変わるわけです」
「まあ、それはそうだな」
「そうなんです。つまり、あと何年かすれば、わたしは雨空じゃなくなるんですっ!」
どどん! と胸を張る蒼衣。
「いや待て、俺が婿入りするパターンもある」
「いえ、多分というか、ほぼ無いと思いますよ。そもそも先輩は婿入りするつもり、あるんですか?」
「いや、特には」
正確に言えば、どちらでもいい。
別に俺が婿入りしようが、蒼衣が嫁入りしようが、俺と蒼衣が結婚するという事実に変わりはない。
そう、変わりはないのだ。
……とはいえ。
好きな女の子が、自分と同じ名字になる、というのは、言葉にしにくいが、いいよなあ、とは思う。
雪城蒼衣。うーむ、悪くない。むしろいい。
個人的には、婿入りよりも嫁入りを推したいところだ。
2回ほど頷いていると、蒼衣が苦笑混じりにため息を吐いた。
「ほら、やっぱり名字が変わるのはわたしじゃないですか」
「……まあ、そうなると嬉しいとは思ったな」
「ということは、です。わたしは将来的に、雪城になるわけです。つまりですね、雨空じゃなくなるんですよ。ですから、わたしが先輩を呼ぶのと違って、先輩がわたしを雨空って呼ぶのは、ずっとそのままじゃなくて──」
そこまで言って、ふと蒼衣が言葉に詰まる。そのまま、こてん、と首を傾げ、眉をひそめる。
「どうした?」
「……自分で言ってて、何を言っているのかわからなくなってきました……」
「お、おう……」
「と、とにかくです。わたしとしては、先輩にはわたしのこと、名前で呼んでほしいっていうお話です。名字呼びはもう二度としないでください」
ぷく、と頬を膨らませる蒼衣。その頬は、少しだけ赤くなっている。
「二度とって、そのレベルか……」
「はい。なんだか色々言いましたけど、結局、わたし、先輩に名前で呼ばれるのが好きなので」
拗ねたような視線の上目遣いで、そんなことを言われてしまっては、さすがにノーとは言えない。膨らんだ頬も健在だ。
「まあ、たまにふざけて呼ぶくらいしかしないから、安心してくれていいぞ」
「それもやめてくださいよぅ」
「そこは善処するってことで」
「呼ぶ気満々じゃないですかっ!」
むっすー、とした表情の蒼衣は、やけ食いとばかりに鯖を口に放り込んでいく。
対して俺は、いまだに骨と格闘中だ。なんでこんなに取るの下手なんだろうな……。
もこもこと食べ続ける蒼衣を見ながら、俺はまた、鯖の骨との戦いへと赴くのだった──
……イワシとかが出てくる時期にだけは、絶対に名字呼びはしないようにしておかないとな……。
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