第5話 大人になったら

洋画を見終えた感想としては、面白かった。


面白かったのだが。


「……なんで、洋画ってああいうシーン多いんだろうなあ」


「なんでですかね……」


最後の最後に、またも主人公とヒロインが濃厚なキスをしており、さっきの失敗もあってか、なんとも微妙な空気感だ。


「毎回思うんだが、あのシーン、いるのか……? 見ていて気まずくなることのほうが多いんだが……」


「そこはほら、あれです。国の文化の違いですよ」


「あー、それはあるかもなあ」


キスが挨拶、なんて国もあると聞くし、海外ではこの程度のキスは日常茶飯事なのかもしれない。海外やべえな……。


「子どもの頃って、こういうシーン気まずかったよなあ」


「そうですか? ……そうかもです」


「親と一緒にリビングで見てて、こういうシーンに入ると、見てませんって感じを出してしまうんだよな……。まあ、横目で見てるんだが」


「多分それ、気づかれてると思いますよ」


「そうだろうな……」


むしろ、そういうシーンで、露骨に動くほうが良くないのはわかっているのだが……思うこととできることは違うのだ。もはや、反射の領域で顔を逸らしてしまう。


「いつかはこういうシーンも、まともに見れる日がくるといいんだが」


「そんなにちょっとえっちなシーンが見たいんですか?」


俺のため息混じりの言葉に、蒼衣がにやり、

とからかうように笑いながら、そう返してくる。


「そうじゃねえよ。ただ、そういうシーンも真顔で見れてこそ大人って感じだな、と思ってな」


「そんなところで大人、感じます?」


「なんとなく、な」


「なんとなく、ですか。その理論でいくと、先輩はまだまだお子様ですね」


「それ、お前もなんだよなあ」


「別にいいですよー」


「いいのか……」


「いいんです。まだ20歳なので!」


「20歳は立派な大人のはずなんだよなあ」


「まだ学生なのでっ!」


そう言って、なぜかドヤ顔で胸を張る蒼衣に思わず苦笑しながら、悲しい事実を口にする。


「それだと俺は来年、お前は再来年には大人になってないとダメなんだよなあ」


「……卒業できれば、ですけどね」


「ちゃんと朝起きます……」


一応、大学を卒業するのに必要な単位数は、今のところ順調に取れている。


1回生の頃からしっかりと取っていれば、4回生はそれほど講義を取らなくてもいいのだが、残念ながら俺はそういうわけにもいかない。


順調に取れている理由は、蒼衣が朝、俺を起こしてくれているからだ。


つまり、蒼衣と出会う前の1回生は寝過ごしていたこともそれなりにある。おかげで、いくつか単位を落としてもいるのだ。朝から講義をするほうが悪いと言いたい。


「人間、なんで朝から活動しようとするんだろうな」


「人間は昼行性ですからね」


「夜行性の人間もいると思うんだよなあ」


「それは勘違いです。ちゃんと起こしてあげますから、一緒に大人になりましょうね」


「……なりたくないな……」


「なら、1年留年なんてどうですか? わたしと同級生になれちゃいますよ?」


くすくすと笑いながらそう言う蒼衣。それを見つつ、もし同じ学年だったら、と想像する。


大学生はあまり学年の概念が強くない。サークルや部活に参加していないこともあって、イベントごとのイメージもない。なので、そういうことに一緒に参加できる、というメリットはほとんどないのだが──同級生なら、もう1年一緒に大学生をやれるのか。


そう考えると、学費の話さえ無視すれば──


「それもまあ、悪くな──いや、ダメだな」


そんな風に思って、一瞬頷きかけた俺は、慌てて首を横に振る。


「まあ、お金がかかりますからね」


「いや、それもなんだが、同じ学年は困る」


「どうしてです?」


こてん、と首を傾げる蒼衣。さらり、と茶色がかった髪が、彼女の肩を撫でていった。


それを眺めながら、俺は小さめの声で呟く。


「……先輩って呼ばれなくなるだろ」


そう言って、少し熱を持った頬をかく。逸らしていた目線を蒼衣の顔に向けると、口元をもにょもにょとさせながら、からかうように、それでいてどこか嬉しそうに、にやついている。


「もしかして、わたしに先輩って呼ばれるの、気に入っちゃってます?」


「……それは、まあ。ずっと呼ばれ続けてるからな。あと、俺のことを先輩って呼ぶの、お前だけだし」


そう言うと、蒼衣がくすり、と笑う。


「わたしも、先輩って呼ぶのは、先輩だけですよ」


「……今後もそうしておいてくれ」


「当然ですっ。……わたしも、先輩のことは先輩って呼びたいですし、頑張って留年しないで卒業してくださいね」


「善処します」


「そこはちゃんと頑張るって言ってくださいよ……」


すすす、と視線を逸らした俺を見て、もう、と仕方なさそうに蒼衣が笑う。


「もし留年したら、もう先輩って呼んであげませんからね? 雄黄くんって呼びます」


「それはそれでアリなんだよなあ」


「先輩、さてはどう呼ばれてもいいと思っていますね……?」


「さすがにそこまでは思ってないぞ。むしろ名前呼びも悪くないとは思ってるけどな。というか、名前呼びを恥ずかしがって却下したの、お前だった気がするんだが」


俺の記憶では、付き合ってすぐ、呼び方の話になったときに、蒼衣が恥ずかしいから、という理由で先輩呼びが継続になったはずだ。


まだ恥ずかしがったりするのではないか、と思い、蒼衣を見る。


「もうさすがに大丈夫です。呼べます。……ゆ、雄黄くん」


「照れてるじゃねえか……」


「な、なんだか意識すると気になってしまいまして……。あと、なんといいますか、その、関係性が進んだ感じがするな、と思ったんです。こう、新婚さんっぽい呼び方かなって」


頬を染めた蒼衣が、ちらちらと俺を上目遣いで見てくる。あはは、と照れ笑いする、それ自体は可愛く、破壊力は抜群なのだが。


「名前呼びって、新婚さんっぽいか?」


「むう、わからないならいいですよー。 ……とにかくっ! ちゃんと卒業してください! ……名前呼びは、結婚までお預けです」


「えぇー……」


つん、と唇を尖らせて、そっぽを向いてしまった彼女にそんな声を漏らしつつ。


もうしばらく先輩呼びを堪能するのも悪くない。いや、むしろいい。蒼衣の甘い声で、先輩、と呼ばれるのは結構好きなのだ。


なんて思いながら、俺は口角を上げた。


「まあそういうことにしておくか。雨空」


「ちょっ!? 先輩は呼び方戻さないでくださいよ! 泣きますよっ!?」


「そこまでか!?」

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