第6話 両手にドーナツ
ドーナツ店を経由して、無事に極寒の世界から帰宅した俺たちは、暖房の効いた部屋でひと息ついていた。
普段なら、俺のアパートへと戻るのだが、今日は寒さに負け、蒼衣の部屋へと帰ってきている。俺の部屋にはエアコンがないからだ。ボロアパートがすぎる。
「やっぱり暖房はいいよなあ」
「といいつつ、こたつに沈んでますけど」
「こたつに惹かれるのはもう理屈じゃないからな。本能レベルの話だ。仕方ない」
ずずず、とさらにこたつへと吸い込まれていくと、蒼衣がもう、と仕方なさそうに笑う。
「今紅茶を淹れますから、少し待っていてください」
「おう、さんきゅ」
まだ中の冷たい炬燵へ沈んでいくと、ふわり、と布団から甘い香りがほのかに香る。
出入りしている人間は同じなのに、どうして家主が俺か蒼衣かで、こうも部屋や物から漂う香りが違うのだろうか。
「今、ほぼ同棲状態のはずなんだが……」
俺も蒼衣も、基本は俺の部屋にいるので、同じ匂いがするものがあってもおかしくないと思うのだが……。
いや、正確には蒼衣の匂いがするものがないわけではないのだが、その数が少ない。しかも、彼女が持ち込んだ私物が大半だ。
「謎だな……」
「何がです?」
きっと、一生解けない謎なのだろうな、と思いつつ呟くと、目の前にマグカップが置かれる。ふわ、と立ち昇るのは、湯気と紅茶の香りだ。
「いや、なんでもない」
不思議そうに首を傾げる蒼衣に苦笑を向けつつ、俺は目の前の箱を開ける。中身はもちろん、先ほど買ったドーナツだ。
「ほれ、好きなの取れ」
「じゃあ……これにします」
数秒悩んだ様子を見せてから、蒼衣は期間限定のチョコドーナツを選ぶ。俺はシュガーコーティングのされた、数珠状のドーナツをピックアップし、皿に載せる。
「……なあ、蒼衣」
「どうしたんです?」
「子どもの頃からやってみたかったことがあるんだが、いいか?」
「いいですけど」
またも首を傾げる蒼衣。それを見つつ、俺は箱からもうひとつ、ドーナツを取り出す。今度は黒糖のかかったドーナツだ。
そしてそれを両手に持って、交互に食べる。
贅沢の極み、そしてデブへの一歩──かもしれない行動。
「この両手に持って食うの、やってみたかったんだよなあ」
「先輩、たまに子どもっぽいことしますよね」
「実際、子どもの頃からの夢だからな。……あんまり成長してないのかもしれねえ」
くすくすと蒼衣に笑われつつ、俺は両手を交互に動かし、食べ進める。ひと口置きに違う味がくるので、飽きることはないし、謎の万能感がある。
「夢を叶えてみて、どうですか?」
「思った以上に楽しいぞこれ。謎のワクワク感がある。蒼衣もやってみればわかるぞ」
そう言って、俺はまた、両手を口へと運ぶ。何が楽しいのかはまったくわからないが、なぜか楽しい。
そんな俺を見て、蒼衣は一瞬箱へと伸ばした手を引っ込める。
「……可愛くないのでやめておきます」
「別にこれくらいで幻滅とかしないが」
幸せそうに食うなあ、くらいは思うかもしれないが。
「そういう問題じゃなくてですね、なんというか、こう、なんとなく嫌です」
「そういうものか」
「そういうものです」
こくこく、と頷いた蒼衣は、ひとつのドーナツを両手で持ちながら、もこもこと食べている。
まあ、こっちのほうがイメージ通りだな。
そう思いつつ、両手のドーナツを食べ切った俺は、次の2種類へと手を伸ばし──
……やっぱり俺もひとつにしておこう。
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