第50章 1月19日

第1話 寒い朝に甘い温もり

もそ、もそ、と、腕の中で動くものがある。


それが震えるたびに、俺の体が揺り動かされ、沈んでいたはずの意識が浮上する。


ゆっくりと浮かび上がって、そうして最初に感じたことは──


「……え、さむ……」


寒い。とにかく寒い。何これやばい寒い。


俺、雪城雄黄──ひいては、人類すべてが苦手としている、と俺が思っていることに、冬の朝がある。


ただ寒いだけでなく、布団の中から出たくない、動きたくないという感情が無限に湧き出てくるからだ。


「それ、冬じゃなくてもいつも思っていますよね?」


「寝起きから思考を読むんじゃねえよ」


ぽん、と潜り込んだ布団から、大きな目の下ほどまでだけを出したのは、その僅かな部分だけで可愛いとわかる美少女、雨空蒼衣だ。


「これ絶対雪降ってるだろ……」


「多分降ってると思いますよ。天気予報も雪マークがついていました」


「やっぱりか。……大学、休みになるといいんだが……」


この寒さの中、わざわざ大学に行くのは面倒だ。というか、普通に行きたくない。


「電車次第、ですね」


「だよなあ」


俺たちの通う大学の講義というのは、基本的に公共交通機関──電車が止まれば講義もなくなる可能性が高まる。なぜなら、大学に来ることのできない学生が大半になってしまうからだ。学生がいないのなら、当然講義はする必要がない。


そんなわけで、俺たち下宿生としては、常日頃から電車に止まってほしいわけだ。電車組にとっては気が気でないだろうが。


ひとまず、大学から何か連絡が来ていないか、確認するべく、スマホへと手を伸ばそうとして──


「布団から手を出したくねえ……」


「そこは頑張りましょうよ……」


「目から上しか布団から出てないお前に説得力はないぞ」


「だって寒いじゃないですか……。あとこれ、先輩の匂いがするのですごくいいです」


そう言って、大勢はそのままに、すんすん、と鼻を鳴らす蒼衣。俺の匂いの何がいいのかはわからないが、気に入られているようなので、まあいいことにしておく。多分、俺が彼女の甘い香りに惹かれるのと同じなのだろう。


「……」


視線の先にある、さらりとした茶色がかった髪。そこから、甘い香りがほんの少しだけ漂っている。軽く鼻を鳴らすと、それが感じられるのだが。


空気が冷たい。あまり思いっきり吸うと、肺が痛くなりそうだ。


こんな空気の中、スマホまで手を伸ばせというのか……。


「……なあ、蒼衣」


「なんですか?」


「俺も頭まで布団被りたいんだが」


「……空気が入らないようにしてください」


「無茶言うな……」


そう言いつつも、なんとか空気が入らないよう、少しずつ顔を埋めていく。ついでに、隙間から手を伸ばし、スマホも回収しておく。間違いなく、このタイミングを逃せばもう回収するのは不可能だからな。


素早く手を布団の中に戻し、一気に頭の先まで布団を被る。スマホ冷たいな……。


とはいえ、やはり布団の中は素晴らしい。なんといっても、やはりこの暖かさだ。


──と、思っていたのだが。


「なるほど……これはやばいな……」


「すっごくよくないですか、これ」


たしかに、これはすごくいい。呼吸すればするほど、頭の中が溶けていくようだ。


甘い香りが、布団という閉鎖空間の中で濃密になっている。それだけでなく、この心地よい暖かさのせいで、さらに濃く感じられるのだ。


先ほどまでの、肺を刺すような冷たい空気ではなく、甘く、暖かな空気が体へと巡っていく。


今日は1日、ずっとこうしていてもいいのかもしれない。


そんな風に感じる中で、ふと冷静な思考が残る。


「これ、側から見れば、互いの匂いを嗅ぎあっている変態にしか見えないんだよなあ」


「誰も見ていないのでセーフです」


「うーん、まあ、そういうことにしておくか……」


「そういうことにしておいてください」


もそもそ、とまた布団の中で動く蒼衣に苦笑しつつ、俺もその温もりを体全体で感じる。


……もう1回寝るのもアリだな。いや、講義があるか確認するのが先、か……。


あまり暗闇の中で画面をつけたくないなあ、と思いつつ、手元のスマホで大学からの連絡が無いかを確認する。


「どうです?」


「……まだ無さそうだな。電車の方は……止まってはないが、結構遅れてる感じだな。休講ありえるぞ」


「ありえますね。動いているのが気になりますけど」


「それもそうなんだよなあ。まあ、ギリギリまで布団の中だな。寒すぎるし」


「ですね。もうちょっとくっついてましょう」


そう言って、ぐいぐいと寄ってくる蒼衣に苦笑しつつ、回した腕に力を入れるのだった──


「蒼衣さんや、それ以上押されると背中側の布団がなくなるんですけど」

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