エピローグ 理想そのものの女の子

「ただいまでーす」


立て付けの悪いドアの開く音とともに、上機嫌な声が部屋に響く。


軽い足取りで隣に来た蒼衣を、一気にベッドへと押し倒す。


「せ、先輩?」


「……さすがに、自分が悪いと思わないか?」


「あは……思います」


そう言いながら、まったく悪びれる様子のない蒼衣が、全身から力を抜いた。


「先輩、お好きにどうぞ。わたしも今日、そういう気分なので」


「……お前なあ」


と、呆れたように呟きながら、まずはその柔らかな体に指を這わせて──



──とまあ、そんなこんなで数時間ほどあれこれしたあと。


シャワーを浴びてから、白菜と豚肉だけという、シンプルな鍋を突っつきつつ、俺は蒼衣に問いかける。


「……で、今日はいつも以上に積極的だった気がするんだが」


まあ、焦らされていたこともあり、こちらとしても望むところだったのだが。……なんなら、まだ満足しきっていない感じもある。次は寝る前だな。


解放された煩悩に、俺の思考が支配されているうちに、蒼衣が少し照れながら、口を開く。


「あー、ええと、それは気のせい、ではないですね。本当に、先輩といちゃつくのが我慢できなかっただけですよ。お酒を飲んだのもですけど、同級生とそれぞれの彼氏の話をしたりもしたので、余計に先輩が恋しくなっちゃいまして……」


てへへ、と頬を赤く染めながら、俺を上目遣いで見てくる蒼衣は、まだ甘えたいモードらしい。視線がそんな感じだ。


「へえ。……ちなみに、その彼氏トークってどういう内容だったんだ?」


「自分の彼氏のここが良い、ここがダメ、みたいな話です」


「悪口もあるのか……」


自分の知らないところで、自分の彼女に悪口言われてるの、考えるだけで吐きそうなんだが……。少なくとも、飯は喉を通らなくなりそうだ。というかまさに今、箸が止まった。聞きたくない……けど聞きたい……いややっぱり聞きたくないな……。


「みんな結構不満があるんだなー、って思いました」


「……例えば?」


「お金を使いすぎとか、逆にケチとか、女の子の友達が多すぎるとか、あんまり構ってくれないとか……。そういうのが多かったですね」


「なるほど。……ちなみに俺、どれにも当てはまってない、よな?」


「大丈夫ですよ。心配しなくても、先輩は当てはまっていませんし、この中にわたしが言ったものはありませんから」


くすり、と笑う蒼衣に、俺は小さく息を吐く。よかった……自分で気づいていないだけで、本当は当てはまっていた、とかなら割と落ち込むところだったぞ……。


しかし、この中に蒼衣が言ったものがない、ということは、ほかに何か、不満点はあるということだ。……そういうところは、できる限り改善していきたい。


「……ちなみに、蒼衣はなんて言ったんだ?」


「聞きたいですか?」


「……まあ、聞いておきたい」


「ちゃんとなおしてくれます?」


「……善処します」


その言葉に、蒼衣はぷく、と頬を膨らませる。


「そこはなおすって言ってほしいんですけど……。まあいいです。わたしは、強いて言うなら、お布団を干すときに抵抗するのをやめてほしい、って言いました。あと、抵抗しながらわたしを布団の中に巻き込んで、抱き締めるのはずるいです」


「……大変申し訳ございません」


「ちなみに、これを言ったら惚気だって怒られました」


「……まあ、後半はそうかもなあ」


実際、俺も愚痴を言い合うはずの場で、こんなエピソードを言われたら、間違いなくそう言うだろう。


……それはさておき。ひとつ目のダメポイントはそれほどダメージは大きくない。改善するのも簡単だからな。次に布団を干すときには忘れていそうだが。


問題は、ここからかもしれないんだよなあ。


「ちなみに、他は?」


まさか、不満がひとつだけ、なんてことはないだろう。そう思い、俺は覚悟を決めて続きを促した──のだが。


「え? 終わりですよ?」


「ん? これだけか?」


「はい。それ以外に不満なんてありませんよ? ……え、先輩、わたしにいっぱい不満、あったりしますか……?」


きょとん、と首を傾げていた蒼衣が、急に表情を曇らせる──が。その心配は杞憂だ。


「いや、ないな。まったくない」


かけらも、まったく、本当に、ひとつとしてない。雨空蒼衣という女の子は俺の理想そのものだ。


「……そうですか、そうですか……えへへ」


先ほどまで曇っていた表情は、一瞬で幸せそうに緩んだ表情へと変わる。


「不満がないなんて、先輩は本当に、わたしのことが大好きですねぇ」


ふにゃふにゃと笑う蒼衣に、俺はにやり、と口角を上げる。


「まあ、蒼衣は俺に不満があったみたいだけどな」


「そ、それは強いて言うならですよ! あんなの不満のうちに入りません! ちゃんとわたしも先輩のこと、大好きですー!」


緩んだ表情からまた一転、今度は慌てる蒼衣。その様子がおかしくて、俺は思わず吹き出した。


「もう! これはさすがに意地悪が過ぎます! 罰として、今日はひと晩中抱き締めてもらいますからね!」


ぷくり、と頬を膨らませた蒼衣に、俺は苦笑しつつ。


「それ、いつも通りなんだよなあ」


ああ、今日はよく眠れそうだ。

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