第5話 ちょっと過激に甘えたい

「はぁ……安心感が倍ですぅ……」


部屋に着いた途端、溶けるかのように座り込んだ蒼衣が、気の抜けた声で呟く。


「成人式、楽しかったか?」


「疲れましたけど、楽しかったですよ。もう結婚している人もいたりして、びっくりしました」


「あー、わかる。高卒組は結婚してる奴も結構いるんだよな……」


それどころか、子どもができている、みたいな話も聞いた覚えがある。親になる、なんて、今はまだ想像もつかないのだが。


「そういう年齢になってきたんだよなあ」


「そうなんですよね。まあ、わたしも結婚はもう見えているんですけど」


「もうちょっと後、な」


「わかってますよー。でも、学生結婚とかちょっと憧れちゃいますよね」


「憧れるか? 生活費とか、不安が多そうなんだが……」


「そこは考えてはダメです。ロマンですから」


「珍しく逆パターンだな」


普段なら、ロマンを語るのは俺側なのだが。どうやら、女の子には女の子のロマンがあるらしい。


そんなことを考えながら、部屋着に着替え、俺も定位置のベッドへと戻ろうと移動すると、すっ、と蒼衣が立ち上がった。


「──先輩」


「ん?」


蒼衣は、俺の声には応えず、こちらへと近づいて。


ぽすん、と飛び込むように抱きついてくる。


「──っと」


「はぁ……先輩の匂いがします……」


すんすん、と鼻を鳴らしてから、くりくりと頭を押し付けてくる。揺れる髪から、ふわり、と甘い匂いが鼻先を掠めた。


顔を埋めたい衝動に駆られていると、蒼衣が動きを止める。


「……先輩、先輩」


「ん?」


この流れ……あれだな。抱き締めろ、と言われるパターンだな。


そう思い、先に腕を回そうとすると──


「──!?」


逆に、蒼衣のほうから腕を首元に回され、ぐい、と引き寄せられる。つまり、顔が近づくわけで──


「ん……っ」


唇から、柔らかい感触が伝わって、すぐに離れる。


不意打ちのキスに、一気に顔の温度が上がっていくのを感じていると、ちろり、と唇を舐めた蒼衣が、艶かしく笑った。


「今日は抱きつくだけじゃ終わりませんよ?」


そう言って、蒼衣が全体重を俺へとかけてくる。もつれるように、後ろのベッドへと倒れ込んでから、耳元で蒼衣が囁きはじめた。


「ちなみに先輩、わたし、実は結構我慢してたんですよ。本当なら、駅ですぐに飛びつきたい気分だったんですから」


「……まあ、それは察してたが」


ぽしょり、ぽしょりと囁かれる声が、吐息が鼓膜を揺らすたび、得体の知れない感覚が体に巡る。毎度のことながら、これやばいんだよな……。


そんな俺の胸中はいざ知らず、蒼衣が少し首を傾げる。甘い香りとともに、さらさらの髪が俺の頬を撫でた。


「あれ? バレてましたか……。まあ、それなら話は早いですね。先輩、ちょっとだけ、わたしのわがままに付き合ってくれませんか?」


「……嫌な予感がするんだが」


「大丈夫ですよ。先輩にも良い話ですから──はむ」


「──ッ!?」


はむはむ、と2回ほど甘噛みをされたあと、蒼衣が耳元から離れる。


「ちょーっと、いつもより過激に甘えさせてもらうだけなので」


「……お前、4限の講義に出ないといけないって言ってなかったか?」


「はい。単位に直結してくる小テストです。なので、出発時間までですね」


「……俺に耐えろと?」


「そういうことです」


上機嫌に、小悪魔チックな笑みを浮かべた蒼衣が、身体を密着させながら、またも口付けてくる。


普段からスキンシップの多い蒼衣だが、ここまでは珍しい。どうやら、本当に相当な我慢をしていたのだろう。


……とまあ、それはともかく、だ。


いい匂い、柔らかい、温かい。三拍子だ。ついでに、今日はキスまでついてくる。


つまるところ、俺の理性がやばい。


これを耐えるのは無理がある。ここまでやられて手を出すな、なんていうのは、もはや拷問だ。もう、4限目サボらせてやろうか……。


「先輩、抱き締めてください。ちょっと強めでお願いします」


「……お前、俺に耐えさせる気ないだろ……」


そんなことを言いながらも、俺は蒼衣の背中に腕を回し、少し強めに抱き寄せる。


「んっ……これです、これ……」


幸せそうに吐息を漏らす蒼衣。それに対して、柔らかな感触が掻き立てる欲望に飲まれないよう、歯を食いしばる俺。


理性と欲望の、長い戦いがはじまった。普通に負けそうなんだよなあ。


──結局。蒼衣のわがままは、4限の講義がはじまる少し前まで続いた。


満たされた表情で4限へと向かっていった蒼衣を見送ったあと、見事欲望を制した俺は、誰に聞かせるでもなく呟く。


「生殺しにもほどがある……」


悶々とした気分のまま、俺は蒼衣が戻るまでの決して短くはない時間を過ごす羽目になるのだった。

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