第2話 至れり尽くせり作り置き

ぶぶぶ、ぶぶぶぶ、と規則的な振動音に、ゆっくりと意識が浮上してくる。


「んん……」


たしかこのあたりに、と手探りで元凶を探し当て、半分以下にしか開いていない目で、画面を見て、通話ボタンを押した。


『おはようございます、先輩。寝てましたよね?』


「……おやすみ」


『三度寝ですか!? もうお昼ですよ!』


「普段はこの時間まで寝てるのに、朝から起きてたんだから、その分寝ないとな……」


『そもそも普段が寝過ぎなんですよ……。というか、本当にちゃんと起きてください。それと、お昼ご飯も食べてくださいよ』


「あー……昼飯……」


『せっかく作り置きしておいたんですから、食べてください。あと感想聞かせてください』


そういえば、蒼衣が出発する前にいくつかおかずの作り置きをしておいてくれたんだったな。


もそもそと暖かい布団の中から這い出ると、一気に冷たい空気が襲いかかってくる。やばい、寒すぎる。


「……寒いし、飯はあとにするかなあ」


『そう言って、夕飯まで何も食べないつもりですよね』


「……ノーコメント」


『なるほどです。先輩がそうくるなら、わたしも手段は選びません』


そう言って、こほん、と蒼衣がひとつ咳払いをする。


『わたしの料理が食べられないって言うんですか!?』


「その言い方、悪役系の台詞だからな? あと、お前の料理が食えなくなったら、もう俺何も食えないと思うぞ」


『むぅ、予想外の反撃です』


「反撃したつもりはないんだが」


本心というか、事実というか、だからな。


蒼衣の料理というのは、日々俺の好みの味に進化し続けた結果、今や完璧な味付けになっている。


特にカレー。あれはやばい。21年間食った料理の中で、ダントツに美味いのだ。好きな食べ物を聞かれたら、蒼衣の作ったカレーと答えるくらいには美味い。


「……カレーが食いたくなってきた」


『残念ながらカレーは作り置きしてないですね。帰ったら作ってあげますから、今日は我慢してください』


「おう。ちなみに、作り置きのラインナップは何があるんだ?」


『ハンバーグと、肉じゃがです。あと、生姜焼きが焼くだけでできるように漬けてあります。明日のお昼まで、好きなのを選んでください。お米は炊いてありますし、お豆腐のお味噌汁もお鍋にありますから、温めて食べてくださいね。あ、あとサラダも冷蔵庫に入れてありますから、ハンバーグと生姜焼きのタイミングで一緒にどうぞ』


「お、至れり尽くせりだな」


『ここまでしておかないと、先輩食べないじゃないですか』


「まあ、はい……」


事実だから、何も言い返せないんだよなあ……。


もう、と電話越しに小さくため息が聞こえたので、俺は芋虫のようにベッドから這い出て、台所へと向かう。


炊飯器が保温状態なので、米は温める必要はなさそうだ。味噌汁の鍋を火にかけて、冷蔵庫を覗き込む。さて、どれにするか……。


「悩む……」


『どれも美味しいと思いますよ?』


「いや、別にそこは心配してないんだが……。どれから食うか迷うな、と思ってな」


『わたし的にはハンバーグか生姜焼きですかね。サラダの新鮮さが減るので』


「なるほど。……よし、肉じゃがにしよう」


『わたしの話聞いてました!?』


「聞いてたんだが、肉じゃが食いたいと思ったからな」


『まあ別にいいですけど……』


食いたいと思ってしまったのだから、仕方ない。勝手にそう頷いて、俺は肉じゃがを電子レンジに入れ、加熱する。


その間に、加熱していた味噌汁の火を止め、お椀に入れる。炊飯器から茶碗に米を移して、リビングの机の上へ。


少しして、肉じゃがの加熱が終わったので、箸とマグカップ、そして肉じゃがをまた机の上へと移動させた。


とりあえず、まずはじゃがいもからだな。


大きめにカットされたじゃがいもを、箸で崩して口へと放り込む。


「お、美味い」


『それはよかったです。……わたしもお腹空いてきました……』


「ん? 帰りに飯とか食って帰る、みたいにならなかったのか?」


大学生、だいたい人が集まればとりあえず飯行くか、みたいになりがちなのだが……。


そう思っていると、電話口の向こうの蒼衣が苦笑する。


『晴れ着でご飯はちょっと……』


「あー……なるほど。たしかに、それはそうだな」


よく考えてみれば──いや、よく考えなくてもわかるが、男はスーツなので飯を食う、というのも難しくはないが、たしかに晴れ着での食事はきついものがあるだろう。


借り物だし、ソースが跳ねたりとかしたら大変だろうしな……。


『そんなわけで、わたしはお腹が空いているわけです。まあ、もう家見えてるんですけどね』


「てことはすぐそこじゃねえか。早く帰って飯食え」


『先輩、残念ながら、帰ってもこれ脱がないとダメなので、すぐは食べられないんですよ。……あれ? もしかして、早く帰って、脱いでる音を聴かせろ的なやつです?』


「言ってないんだよなあ……。あと、ご両親に悪い印象持たれたくないから、着替えのときは電話切ってくれよ……」


娘の衣擦れの音を聞いて興奮する男、なんて思われるのは勘弁だ。……いや、普通はその発想はしないのでは? さては蒼衣、ちょっと脳内ピンク寄りになってきたな? 清楚なあの頃の蒼衣はどこへ……。


まったく、いったい誰のせいなんだ。


『ふふっ、冗談ですよ。でも聴きたいのは本当ですよね? わたしの着替え中、聞き耳立ててますし』


「……肉じゃが美味い」


そうですね、俺のせいです。

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