第2話 俺と後輩と台所

沸騰したお湯の音がごぽごぽと聞こえる中、狭い台所に、ガスコンロ特有の香りが薄く広がる。


青色の炎を眺めながら、俺はゆっくりと手をかざした。あったけえ……。


「先輩、焚き火じゃないんですから……」


「いや、寒かったからつい」


「まあ、気持ちはわかりますけど」


そう言いながら、蒼衣が菜箸で軽く鍋をかき回す。鍋の中では、もこもこと泡立てながら、蕎麦が踊っている。


その隣で、コンロの火で暖をとる俺。うーん、母親の料理を邪魔している子どもと同じだな、これ……。


と、思いつつ、俺が台所から出て行かないのは、コンロにかけられた鍋の隣にある、これまた鍋が原因だ。


隣にある、といっても、この鍋は火にかけられていない。正確に言えば、先ほどまでかかっていた。


中には、沸騰寸前まで熱されたお湯。その中に、白い陶器のとっくりが鎮座している。


中身はもちろん、日本酒だ。それを、熱することによってできるもの。


そう──熱燗である!


一度家でも作ってみたかったんだよなあ。


家で熱燗──ちょっと憧れるシチュエーションだ。漏れ出るワクワク感に、俺はちらちらと熱燗へと視線を向ける。そろそろいけるか……? いや、もう少しか……?


そんな俺を見て、蒼衣がくすり、と笑う。


「先輩、ちょっと子どもみたいな顔してますよ」


「ん? あー、まあ、正直楽しみで落ち着かない」


「でしょうね。そわそわしているのがわかります。遠足前の小学生みたいですよ」


遠足前の小学生か……。


ということは、今の俺は台所をうろうろしながら落ち着かない子ども、という感じなのだろう。


そして、それを見ながら料理をする母親が、蒼衣ということになるのか。なるほど。


……ふむ。


俺は、小さく咳払いをして、自分の出せる極限の高さの声で、隣の蒼衣へと呼びかける。


「……ママー、今日のご飯何ー?」


蒼衣がむせた。


「せ、先輩……っ! 裏声で変なこと言わないでください!」


「いや、子どもみたいとか言うから……」


「わたし、先輩の親になりたいわけじゃないんですけど! そんな顔して可愛いなとかは思いますけど!」


「可愛いと思われるのは誠に遺憾なんだよなあ」


あと、俺だって別に、蒼衣に俺の母親になって欲しいわけではない。


いい母親になるだろうな、とは思うが。


ちらり、と彼女のほうを見ると、小さくため息を吐いている。


「まったく……。ほら、あっち行っててください。台所は危ないですから。大人しく待っててくださいよ?」


「母親ごっこノリノリじゃねえか……」


「いえ、ここはノっておこうかと」


そう言いながら、蒼衣はかちり、とコンロの火を消した。


「はい、先輩、そばを絞めますから、流し台開けてください」


「お、おう」


言われるままに、俺は台所から追い出され。


「マジで追い出されたぞ……」


なんともいえない気分で、リビングへと戻るのだった。


……熱燗は、あとで取りに来るか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る