第4話 1番美味い丼モノは

「あぁー……しんど……」


シャワーを浴び、さっぱりとした俺は、部屋着へと着替えて机へぐだっ、と体を預けていた。触れた面が冷たくて、気持ちいい。


「先輩、置きますよー」


「おう」


ぐでぇ、と溶けていると、頭の上から蒼衣の声が聞こえる。そちらに視線を向けると、両手に器を持った蒼衣が、俺を見下ろしている。


「今日の夕飯は、先輩が絶対に好きなものですよ」


「ほう」


基本、蒼衣の料理は好きなのだが、そこまで言うということは、俺の好物ということだろう。しかし、見た感じどんぶりのようだが……別に俺、そんなに好きな丼モノってなかった気がす──


「じゃん! サーモン丼です!」


「マジか!」


サーモン丼! 丼といえばこれだよな! 好きな丼モノはサーモン丼です!


思わず、がばり、と起き上がる。ごとり、と置かれた器の中には、サーモンがキラキラと輝いている。軽く刻み海苔が振られており、ちょこん、と大葉が添えられていた。これはもう、最高に完璧なサーモン丼だ。


口の中には唾液が溢れて、元々減っていた腹が、さらに空腹を訴えてくる。


今すぐにでも食いたい……。


が、蒼衣が台所へと向かったということは、これで最後ではないらしい。


文字通り座して待っていると、蒼衣がまたも両手に器を持って来る。先ほどとは違い、今回は手のひらにギリギリ収まるくらいのサイズだ。そして、ほわり、と湯気を立たせながら、胃を刺激しながらも、落ち着くような香りをさせている。


「そしてこちらはあおさのお味噌汁です」


ことん、と置かれたお椀には、ワカメのようで、それにしては細かい緑色のものが浮いている。見た目は完全に藻で、あんまり美味そうではないのだが、食ってみると美味いものである。


「お、これも地味に好きなやつだな。……あれ? 俺、言ったことあったか?」


「ないですよ。これは直感です。好きそうだなあ、と思いまして」


「完全に好みを把握されてるな……」


もはや味付けどころか、食べ物本来の味のほうまで理解されているとは……。この後輩、末恐ろしい……。


「ふっふっふ……。先輩の胃袋を掴むために、色々頑張りましたからね。それくらいは当然です」


胸を張る蒼衣に、俺は苦笑する。


「胃袋を掴む、なあ」


「でも、先輩がわたしを好きになった理由のひとつにありますよね?」


「まあ、そうだなあ」


好きになった理由のひとつ、というのもあるが、蒼衣を部屋に上げ続けた理由のひとつ、というほうが正しいかもしれない。


ひとり暮らしの男子大学生にとって、女の子の手料理、というのは魅力的がすぎるのだ。それも、可愛い女の子の、美味い手料理、ときたものだ。これに抗えるはずはない。……まあ、今思えば、なのだが。当時はそこまで思っていなかったし。


「……結局、最初はお前の飯に落とされたのか……」


「つまりはわたしの作戦勝ちですね」


「うむ……うむ……」


なんとなく釈然としない……。


いや、まあ、蒼衣の作戦勝ちであることは間違いない。実際、落とされたわけではあるし。そこに異論はないのだが……。


「俺、めちゃくちゃ食いしん坊に聞こえるな……」


「そうですか? よく言いません? 男を落とすにはまず胃袋からって」


「まあ、言うが……。その通りになったと思うと、それはそれでチョロいように聞こえるな……」


「先輩がチョロい人ならわたし、あんなに苦労してないと思いますけど……」


じとぉ、と視線を向けて来る蒼衣から、俺は視線を明後日の方向へ逸らす。実感がこもりすぎている……。


しばらくして、はあ、とため息を吐いた蒼衣が、仕方なさそうに笑う。


「まあいいです。冷めますし、食べましょうか」


「だな。じゃあ、いただきます」


「はい、どうぞー」


俺は箸を手に取って、器を掴み、一気にかき込む。


「どうです?」


「美味い。完璧だ」


思わず親指を立てると、蒼衣が満足そうに頷いた。


「ちなみに、おかわりの分もあるので、満足いくまで堪能してください」


「マジか。至れり尽せりだな……」


基本こういうのって、おかわりがないことのほうが多いのだが、さすが蒼衣。俺がおかわりを望むことを読んでいたのだろう。


「どうです? お嫁さんに欲しくなりました?」


そう言って、蒼衣はにやにやと俺を見る。


「……さあな」


その顔から視線を逸らして、俺はサーモンと米を口いっぱいに頬張った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る