第2話 温玉談義

ベッドの上にぐったりと倒れ込みながら、俺はくわり、とあくびをひとつ。


「あづい……」


「ベッドの上にいるからだと思いますけど」


「それはわかってるんだが……起き上がるのが面倒でな……」


暑くてまったくやる気が出ないのに、寝転がるとさらに暑い、というのは本当の本当に困ったものだ。寝転がるくらいは快適にさせてほしいところである。


「……この部屋、なんでエアコンついてないんだろうな……」


「古いからですよ」


「古くてもつけられるだろ」


「じゃあ先輩がつけたらどうです?」


「あと1年で出るのに自腹でつけたくねえ……」


そう、あと1年と少しでこのポロアパートの一室ともお別れだ。次はエアコンのついたそれなりにいい部屋に住みたい。いや、住む。


脱力したまま、決意を固めていると、蒼衣がはぁ、とため息を吐く。


「まったく、先輩は欲張りですねえ」


「いや、現代人としてエアコンがついている部屋がいいっていうのは普通だろ」


「まあ、それはそうですけど」


そう言いながら、蒼衣は俺のほうには視線を向けず、両手に持った器を机へと置く。


「……今日は何になったんだ?」


「温玉ぶっかけうどん風です」


上半身を上げて、器の中を覗き込むと、大きな温泉卵がひとつ。そして、それを彩るようにネギが散らされており、その合間から覗いているのは極太のうどん──ではなく、もちろんそうめんだ。


今年の俺たちは、なんだかんだ油断しすぎていたらしく、結構な量のそうめんが残っていたりする。そのせいで、連日そうめんづくしだ。


……にもかかわらず、飽きることがないのは、間違いなく蒼衣の料理の腕だろう。さすが蒼衣である。


「今日は先輩が暑さで死にかけているので、冷たくあっさりにしてみました」


「うむ。見たら腹減ってきた」


「そうでしょうそうでしょう。ささ、先輩も座ってください」


「おう」


蒼衣が手のひらで示した、彼女の対面へと腰を下ろし、箸を手に取る。


「いただきます」


「はい、どうぞ」


俺は、温泉卵を避けながら、箸を麺へと突っ込んで、掴み、すする。


ひんやりとした感覚と、めんつゆ系のだしの香りが口に広がる。


「冷たいし美味いし、やっぱり夏といえばそうめんだな」


「まあ、アレンジしすぎてもはやそうめんじゃないですけどね」


「そこはまあ、置いといて、だ」


ずるずるー、とすすると、蒼衣も同じようにすする。


そんな蒼衣を──というより、彼女のすする白いそうめんを見て、ふと疑問が浮かぶ。


「……そういえば、なんだが。蒼衣はこういうとき、温玉を先に潰すタイプか?」


「いえ、わたしは途中で潰すタイプですね。途中で味を変えるために最初からは潰さないです。先輩はどうです?」


「俺も蒼衣と同じだな。最初はそのまま食って、途中で潰すタイプだ。温玉潰すといい具合に味が変わるんだよな」


「そうなんですよね。さすが先輩、わかってますね」


「だろ? あとはまあ、ひと口目から温玉割ってると、ちょっと重いんだよな」


本当に少しなのだが、最初からだとこってりとした感じがなんとなく重く感じてしまうのだ。しかし、途中で潰して麺に絡めると、口が慣れた頃に重くなるせいか、ちょうど良かったりする。


そんななんとなくの気分は、蒼衣も思っていたらしい。目を閉じて、うんうん、と首を縦に振りながら、蒼衣が口を開く。


「そうなんですよね。本当にちょっとなんですけど」


「さすが蒼衣、わかるのか」


「わかります」


そんな温玉談義をしながら、俺は麺をすする。……ふむ、ちょうど半分くらいだろうか。


ぷすり、と温玉に箸を刺す。突き刺した穴から、ぷくり、とオレンジっぽい色味の黄身が溢れ出る。


「……温玉って、潰す瞬間がちょっと楽しいよな」


「わかります。なぜかはまったくわかりませんけど」


そう言って苦笑しながら、蒼衣もぷすり、と温玉に箸を突き刺す。とろりと溢れ出た黄身を、蒼衣は手早く麺へと絡める。


黄色く染まったそうめんを口へと放り込むと、先ほどまでとは違い、こってりとした味が追加されている。


「温玉、やっぱり美味いな」


そう呟くと、蒼衣がなぜか胸を張り、どやぁ、とこちらを見る。


「ふふん、そうでしょうそうでしょう」


「……なんで蒼衣が得意げなんだ?」


「なんでって、それはもちろん、温玉もわたしが作ったからですよ」


「マジか。温玉って家で作れるものなのか」


てっきりスーパーに売っているものを買って来たのだと思っていたのだが……。というか、そもそも温玉ってどうやって作るんだ? 温泉につけておいたら出来る、というイメージしかないが。


「簡単ですよ。最近は電子レンジに入れるだけで出来るようなお手軽グッズもあるので」


「マジか。温玉って結構身近になんだな……」


知らなかった……。俺も今度作ってみるか。


「そのお手軽グッズ、台所にあるので今度やってみます?」


そんな俺の心を見透かしたように、蒼衣がそう言って首を傾げる。それに、俺はノータイムで返す。


「やる」


「すごい食いつきですね……」


若干蒼衣が引いている気がするが、そんなことは気にしていられない。自宅で温玉が簡単に出来るというのは、結構嬉しいことなのだ。


……まあ、そんなに温玉、食べないけどな。


そんなことを思いながら、ずるずると麺をすする。


また次も、温玉うどんにしてもらおう。


そんなことを密かに思いながら、俺は麺をすすり続けるのだった。


次は温玉とろろうどんとかもいいかもしれないな。


「先輩が山芋をすりおろしてくれるならいいですよ」


「……俺の気が向いたらにしようか」


多分、気は向かない。

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