第3話 安心して、ドキッとして
「お昼ご飯を食べたら、わたしの部屋に行きましょうか」
「おう、助かる……」
暑さに完全に負けていた俺に、蒼衣がそう言ってから。
俺と蒼衣は、彼女の部屋へと移動していた。
人工的な冷風が、肌の体温を急激に落としていく。
「……エアコンは素晴らしいなあ」
「……先輩、最近この部屋にエアコン以外の魅力を感じてない気がするんですけど」
じとり、とした視線を感じて振り返ると、蒼衣が少しだけ頬を膨らませ、俺を不満そうに見ている。
「一応ここ、彼女の部屋なんですけど」
「そうだな」
首を縦に振ると、蒼衣の目が少し細まる。
「先輩があれほど上がるのをためらっていたわたしの部屋なんですけど」
「そうだな」
もう一度頷くと、蒼衣の頬がぷくっ、と大きく膨らむ。あの頬、指で突きたいな……。
そんな雑念に駆られていると、蒼衣がぐい、と顔を寄せてくる。
「先輩、慣れ過ぎじゃないですか!?」
「まあ、夏の間は基本こっちだったからな」
もちろん、理由はエアコンがあるからだ。エアコンは正義である。
「困りましたね……。あんまり先輩が慣れ過ぎてしまうと、それはそれで……」
「お前、前に慣れるのはいいことだーって言ってなかったか?」
「言ってましたけど……。あんまり慣れてもらうのも困ると言いますか……」
むーっ、とむくれながら、俺を見る蒼衣。よくわからねえ……。
少しすると、むくれるのに疲れたのか、彼女は小さく息を吐く。
「なんだか複雑な気分です」
「複雑?」
「はい。先輩がわたしの部屋に馴染んでくれたのが嬉しい反面、女の子の部屋として見られていない気がして……」
「あー……」
実際のところ、そんなことはまったくない。
まあ、前ほど緊張したり、落ち着かなくなったり、ということはないが、今でもどきり、とすることはたまに──いや、割とある。
部屋に入るときに香る、甘い匂い。俺の部屋にはない、ピンク色の雑貨。そして、稀に、本当に稀に見える、何とは言わない布、とか。
この部屋が、女の子の──蒼衣の部屋だと意識させられることは、実は多かったりする。ただ、それを見せていないだけだ。
そんな俺の思っていることは知らず、蒼衣はあごに手を当て、頬を膨らませる。
「ふむ……。これは、先輩に意識させるために何かしないといけませんね」
「……別にする必要ないだろ」
「いえ、ダメです。先輩には、慣れて安心しながら、ドキッとしてもらわないといけないんですから」
「それ、真逆のことだと思うんだが……」
……ただ、まあ、そういう状況に、心当たりがないわけでもない。
俺は立ち上がり、蒼衣の隣へと腰を下ろす。
「?」
そして、首を傾げる蒼衣の頭を軽く引き寄せた。
「──!?」
こつん、と肩に当たった髪からは、濃密な甘い香りが漂って、思考能力をじんわりと奪っていく。
「せ、先輩!? きゅ、急にどうしたんですか!?」
慌てる蒼衣に、俺は視線を向けることなく、ぼそり、と。
「……これで十分だ」
そう呟く。それを聞いた蒼衣は、ほんの少し頭を擦り付けるようにして。
「……たしかに、これはドキッとしますけど、とっても安心します」
そう言って、ぴったりと体を密着させてくる。
すん、と鼻を鳴らしたり、もそもそと動いてみたり。蒼衣の行動が、すべて俺に伝わってくる。いつの間にか腕に絡みつかれていて、ありとあらゆる柔らかい感触が刺激的だ。
そんな状況で、蒼衣がふと気づいたのか、「あれ?」と呟く。
「……でもこれ、部屋関係なくないですか?」
「……まあ、それはそうだな」
「それだと意味ないんですけど……」
むぅ、と頬を膨らませた蒼衣に、上目遣いに睨まれる。そのあと、小さくため息を吐いた彼女は、ぐりぐりと頭を擦り付けて。
「……まあ、今日はこれでいいことにしておいてあげます」
そう言って、仕方なさそうに、それでいて満足そうに笑った。
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