第54話 次はお前の行きたいところに
コンビニで買ったアイスをふたりで分け、のんびりと夜道を歩く。
ゆっくりと、ゆっくりと。無意識のうちに遅くなる歩みの理由は、きっと俺も蒼衣も、この旅行が終わるのが名残惜しいからなのだろう。
とはいえ。正しく道を歩いていれば、目的地にはたどり着く。たどり着いてしまう。
どこか安堵を覚える、しばらくぶりに見たような景色は、間違いなく蒼衣のマンションの近くまで来た証拠だ。
少し先を見れば、蒼衣の住むマンションが、そしてその奥、道を挟んだ向こうには、ポロアパートへの入り口が見える。
「……今度こそ、終わりですね」
「……だな」
帰ってきた、という安堵感と、もう旅行が終わりなんだ、という寂しさが混ざり合い、なんとも言えない気分になる。ただ、この最後の寂しさも、旅行の醍醐味のひとつだろう。
そんな感傷に浸っていると、隣の蒼衣がとん、とひと足先に前へ出る。
「……さて、先輩」
「ん?」
「今度はどこへ行きましょうか」
くるり、と振り返った蒼衣が、少し首を傾ける。さらり、と髪が揺れて、街灯に照らされ、道路に映る影が形を揺らす。
まだ旅行、終わってないんだがな。
まったく、もう次の予定とは、気が早いにも程がある。
……いや、蒼衣はいつもこんな感じだったか。
俺は、思わず口角を上げながら、蒼衣を見る。
「……次はお前が行きたいところにするか」
「いいんですか? うーん……そうですね……。どこにしましょう。海外、とか?」
「さすがにハードルが高いな……。それは卒業旅行くらいのレベルな気がするが」
「大丈夫です。次はわたしの分は自分で払いますから」
「……収入源は?」
「……バイトでも……しま……し……ま……」
「えぇ……。バイト、そんなにしたくないのか……」
ぐぬぬ、と唸る蒼衣に、思わず苦笑いする。バイトをしたことがないのに、ここまで嫌がってるやつ、見たことないぞ……。蒼衣、労働は悪、みたいなタイプじゃなかったと思うんだが。
「……だって、先輩との時間が減るじゃないですか」
ぷくり、と軽く頬を膨らませる蒼衣に、俺はどきり、とさせられる。思わず足を止めると、蒼衣が歩く方向を変えた。気づけばもうマンションの前に着いていて、自然な動作で蒼衣が自動ドアを潜り、端末への鍵をかざす。……これはあれだな。部屋まで送れ、と。いや、そもそもそのつもりだったからいいが。
「それはまあ、そうだな」
「それが特に嫌です。というか一番嫌です」
「そんなにか」
「そんなにですよ。わたしは出来る限り、先輩と一緒にいたいんです」
そう言いながら、俺の前を歩く彼女からは、ほんのり不満そうで、それでいて何か期待をするようなオーラが出ている。
「……ま、それなら仕方ないな」
そう言いながら、エレベーターの前で足を止めた蒼衣に並び立つ。隣から、ちらり、と視線を感じて、俺は軽く上に視線を彷徨わせて。
「……俺も、そのほうがいいしな」
そう呟いた。
……と、同時に。ぽーん、とそれなりに大きな音を立てて。
エレベーターが、ドアを開けた。
「……先輩、今何か言いました?」
「……いや、何も」
……くそ、エレベーターめ……。人が恥ずかしさを堪えて言ったというのに……。タイミングを考えてくれ……!
軽い苛立ちを覚えながら、エレベーターへと乗り込む。ほんの少しだけ、普段より強めに踏んでおく。反省しろ。
ドアが閉まり、がくん、と軽い浮遊感を体を襲う。
「ねえ先輩、本当になんて言ったんです?」
「……何も言ってねえよ。空耳だろ」
「……その目は絶対に嘘をついているときの目なんですけど」
じとぉ、と見上げるように向けられる視線から、視線を逸らす。
「むぅ……。まあいいですけど」
「……珍しいな」
「何がですか?」
「いや、蒼衣がそんなに簡単に引くとはな、と思ってな」
そう言ったと同時、またも、がくん、と浮遊感に襲われ、ぽーん、と間抜けな音がする。
「もうちょっと問い詰めたほうがよかったですか?」
「いや、いいです」
……今回は、エレベーターの音ではかき消されなかったらしい。いや、今回のはかき消せよ。……帰りにまた強めに踏みしめてやろう。
エレベーターを降り、廊下を歩く。そして、537号室──蒼衣の部屋の前で、歩みを止める。がちゃり、と蒼衣が鍵を差し込み、回し、ドアを開けた。
「着いちゃいましたね」
「だな」
「先輩、旅行、楽しかったです。ありがとうございました」
蒼衣は、笑いながら軽く頭を下げる。
「おう。次行くところ、考えておいてくれ」
「はい。任せてください」
くすり、と笑う蒼衣に、俺も笑う。
そして、少しだけ沈黙があってから、俺は口を開く。
「……じゃあ、おやすみ」
「……はい、おやすみなさい」
……これで、旅行は終わりだ。
改めてそう考えると、やっぱり何か、少し寂しい。
そんなことを思いながら、俺は元来た方向へ戻ろうと後ろを向いて──
「にしても、先輩もわたしと一緒にいる時間が短くなるのが嫌だって思ってくれているのは、嬉しいですねぇ」
「おま、聞こえてたんじゃねえか!」
後ろから聞こえた声に、思わず振り返ると、にやり、と笑う蒼衣が、ドアの隙間から覗いていて。
俺の顔を見てか、くすくすと笑いながら、小さく手を振って、ドアを閉めた。
……明日、ちょっと蒼衣をからかってやろう。
そう思いながら、俺は帰路へと歩みを進めるのだった。エレベーターは、やっぱり強めに踏んでおいた。この野郎。
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