第50話 ひとつ果たしてまたひとつ

「実は蕎麦湯にはもうひとつ飲み方がありまして……」


そう言って、蒼衣が俺の手から湯桶を取る。そして、それを俺の使っていた蕎麦つゆへと注ぎはじめる。


「こうするのも、飲み方のひとつらしいですよ」


「へえ。まあ、間違いなく美味いだろうな」


「ですよね。はい、どうぞ」


すっと差し出された器には、先ほどよりもずいぶんと色の薄くなった液体が入っている。さて、どんな味なのだろうか。


そう思い、少しだけ口をつけて──


「ん、美味いな。さっきよりもこっちのほうが美味い」


「そんなにですか? ならわたしも──」


俺の反応を見てなのか、蒼衣もすでに注いであった蕎麦湯に口をつける。少し口に含んだ瞬間、きらり、と蒼衣の目が輝いた。


「わ、美味しいです! さっきまでとは味の雰囲気が違いますね」


「たしかに。こっちのほうがしっかり味がしてるな」


「先輩はたしかにこっちのほうが好きそうですね」


何に納得しているのかはわからないが、首を縦に振る蒼衣。さすが、俺の味の好みを熟知している。


「ちなみに、蒼衣はどっちのほうが好きなんだ?」


「うーん……。わたしはつゆを入れないほうが好きですね」


「あー、たしかに好きそうだな」


味の濃いものを好む俺に対して、蒼衣はわりと薄味──というほどではないが、あまり濃くない味のものを好んでいる。


ということは、もちろん蒼衣が作る料理の味付けも、そういった味になるはずなのだが、そんなことはなく、濃い味付けになっている。その理由は、おそらく──というか、ほぼ確実に、俺の好みに寄せてあるのだろう。毎回、作ってもらう料理が俺好みの味付けにしてあるのは、少し申し訳なかったりするのだが、あまりに美味いので言い出せていなかったりする。まあ、言ったところで味が変わることはないのだろうけれど。


蕎麦湯をひと口飲んでから、俺は小さく息を吐く。


「にしても、本当によく知ってるな……」


「まあ、テレビとかネットでかじった程度の知識ですけどね。なので、実際に先輩と体験出来て、よかったです」


満足そうに笑う蒼衣に、俺も口角を上げる。毎度のことながら、どきりとさせるのが上手いやつだ。


「それはよかった」


「はい。またお蕎麦、食べに行きましょうね」


「おう。……次は天ぷら蕎麦とか、ざるそば以外を食ってみるか」


「いいですね。冬にしましょうか」


またひとつ、そんな約束を交わしながら、俺と蒼衣はゆるりと昼食を終えるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る