第49話 蕎麦湯を嗜む先輩後輩

「驚きの体験でしたね……」


「だな……」


ずずず、と蕎麦湯を飲みながら、俺と蒼衣は蕎麦の余韻に浸っていた。いや、蕎麦湯を余韻といっていいのかは知らないが。むしろメインの終わりがけな気もする。そういう意味では余韻なのかもしれない。……もう何言ってるのかわからなくなってきたな……。


「というか、この蕎麦湯も美味いな」


「ですね。なんだかほっこりします」


顔を緩ませる蒼衣を見ながら、俺も自分の頬が緩むのを感じる。たしかに、少しほっとする味だ。何というべきなのかはわからない、ちょうどいい具合の味。さらに、冷房の効いた部屋で、暖かい蕎麦湯、というのがいいのかもしれない。


「にしても、蕎麦湯ってはじめて飲みました。これも新体験です」


ずず、と目を細めて飲む蒼衣を見ながら、俺は首を傾げる。


「そもそも、蕎麦湯ってなんなんだ? 蕎麦粉を溶かした湯、とかなのか?」


「そんな感じですね。溶かしても作れますし、お蕎麦を茹でたあとのお湯も蕎麦湯です」


「茹でたあとの湯か……。そう聞くとあんまり美味くなさそうだな……」


改めて味を確かめようと、蕎麦湯をひと口。……美味いんだよなあ。


飲み終えた湯飲みを机に置くと、蒼衣がすかさず継ぎ足してくれる。さんきゅ、と呟くと、彼女はにこり、と笑いながら頷いた。


「麺類の茹で汁って、基本的に飲まないですし、使わないですからね。当たり前ですけど。お蕎麦だけ特別です」


「なんで蕎麦だけなんだろうな」


「それは先輩が言ったとおり、お蕎麦の茹で汁は美味しくて、ほかの茹で汁は美味しくないからですね」


「いや、まあそうなんだろうが……。蕎麦だけ美味いのはなんでだろうな、と思ってな」


「うーん……。それはわたしも知らないですけど、蕎麦粉の影響じゃないですか? 蕎麦湯に栄養分が結構出ちゃうらしいので」


「なるほどな。……というか、お前、相変わらず料理の知識が幅広いな……」


俺が疑問に思ったことは、ほとんど蒼衣が答えてくれている気がする。蒼衣、結構雑学を知っているんだが、料理に関しては特に博識なんだよな。


感心する俺に、蒼衣は誇らしげに胸を張り、口角を上げる。


「なにせわたし、主婦ですので」


「主婦ではないんだよなあ」


「実質主婦だと思うんですけど」


「それに関しては……うむ……」


否定は出来ないんだよなあ……。料理に洗濯、掃除、オマケに家計の管理、と蒼衣のしていることは主婦だったりする。


「先輩は本当に良い奥さんを持ちましたねぇ」


「まだ結婚してないから奥さんじゃねえけどな」


「はい、まだ、です」


俺の返答に、満足そうにこくり、と頷いて、蕎麦湯を飲む蒼衣。その頬は、ほんのり赤く染まっている。


……まだ、か。


自分の口からするりと飛び出た言葉に、口角が上がりそうになり、俺も同じようにまたひと口、ふた口と蕎麦湯を飲む。


ふむ。飲みやすくて一瞬で無くなる。


もう少し飲もうか、と思い、湯桶──蕎麦湯を入れて使うものらしい。店の入り口に書いてあった──に手を伸ばすと、蒼衣が口を開く。


「あ、先輩。そろそろストップです」


「ん?」


「実は蕎麦湯にはもうひとつ飲み方がありまして……」


そう言って、蒼衣がにやり、と笑った。


本当に博識だなこいつ……。


そんな風に思いつつ、俺はそのもうひとつの飲み方、とやらを期待するのだった。

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