第2話 夏の約束

ぽすり、と俺の隣に腰を下ろした美少女が、両手のビニール袋を下ろし、ふぅ、とひとつ息を吐いた。そして、ふわりと笑ってこちらを見る。動きに合わせて舞う髪は茶色がかっていて、ほんのり甘い香りを漂わせていた。


「なんだか、久しぶりな気がしますね、先輩」


そう言って、そっと手を握ってくるのは、俺の彼女、雨空蒼衣である。


きゅ、と握られた手に、どきりとするとともに安心感を覚えつつ、握り返す。


「そうだな、久しぶり。……まあ、4日しか経ってないけどな」


苦笑する俺に、蒼衣も苦笑を浮かべる。


「まあ、わたしと先輩、基本的に毎日一緒にいますからね」


「4日も会わないのって、いつぶりだ……?」


ここ最近は、ほぼ毎日。付き合う前だって、週に4、5日は確実に会っていた。……というか、蒼衣が来ていた。


そうなると、さらに前になるのだが、4日も会わないなんてこと、あっただろうか……?


うーむ……。記憶にないな……。


「多分、昨年の帰省以来じゃないですか? あの頃には、わたし、先輩と会う期間が空かないようにしてましたから」


「……お前、相変わらず策士だよなあ」


「そうでもしないと、先輩は落とせそうになかったので」


少し引き気味の俺に、蒼衣はなんでもないかのようにそう言った。……まあ、言っていることはその通りだと思うが。


蒼衣は、そういえば、と呟いてから続ける。


「今年は台風来ませんね」


「だな」


俺と蒼衣の1年前の夏を語るのに、欠かせないのはあの台風の日だ。半ば強引に部屋に呼び出され、泊まらされ──告白された、あの夜。


あの台風がなければ、きっと今、こうはなっていなかっただろう。……いや、なっていたかもしれないな……。どうだろう。


……蒼衣のことだから、きっとこうなるように動いたんだろうなあ。今ではその行動力に感謝しているが。


「台風のひとつくらい来てくれると、先輩を部屋に呼べるいい口実になるんですけど」


「……今は台風がなくても行ってるじゃねえか」


「それもそうですね。……うん、そうです」


噛み締めるように言って、蒼衣はへにゃり、と笑う。4日ぶりに見る緩んだ笑みがあまりに可愛くて、思わず目を逸らす。


逸らした先の視界には、吊り下げ式の広告が、空調の風に揺れている。紺色の背景に、色とりどりの円──花火が描かれていた。どうやら、どこかの夏祭りの広告らしい。やれ花火だのやれ模擬店だのやれ芸能人が来るだのが小さな枠内に詰め込むように書かれていた。……芸能人が夏祭りに来るってすごいな……。どうやら、近所の祭りよりも大規模なものらしい。


「……夏祭りももうすぐですねー」


俺の視線を追ったのか、蒼衣も広告に気づいたらしい。


ちらり、とその横顔を眺めると、懐かしむような、それでいて新しいものを見つけて興味を惹かれるような、そんな瞳をしている。


「……先輩、覚えていますか?」


広告を眺めながら、蒼衣がぽつりと呟く。誰も乗っていない車両の中では、小さな声もはっきりと聞こえる。


その内容は、抽象的だ。けれど、言いたいことは十分に伝わっている。俺は少しだけ息を吐いて、一瞬目を閉じる。


「覚えてるぞ」


「……なら、いいです」


きゅ、と俺の手を握り、えへへ、と笑う蒼衣に俺も笑う。


蒼衣が言っているのは、1年前、夏祭りの日の別れ際にした約束のことだ。


──また、来年も一緒に行けるといいな


── そうですね。来年も、一緒に行きましょう。約束、ですよ?


そんな、なんてことのない口約束を、彼女は大事に覚えていてくれたらしい。


それが嬉しいやらくすぐったいやらで、思わず口角が上がる。


もう何度目かの電車の減速に、聞き馴染みのある駅名のアナウンスが流れる。


どうやら、気づかない間に帰って来ていたらしい。毎度のことながら、蒼衣といると退屈しない。


「……さて、帰るか」


「はい」


そう言って、揃って立ち上がって。


「……先輩、手を離したくないんですけど」


「無茶言うな。この量の荷物を片手で持てるわけないだろ」


解けた手に、少し残念そうに頬を膨らませる蒼衣を見ながら、俺は苦笑して、重すぎるビニール袋を両手に持つのだった。


……帰って来て最初のお願いは、どうやら聞いてやれないらしい。なんというか、まあ、残念、かもしれない。

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