第10話 今年の夏は

なんとかプレートを洗い終わり、俺と蒼衣はひと息ついていた。


冷蔵庫へと向かい、常備してあるミネラルウォーターを手に取る。


「蒼衣、水飲むか?」


「飲みますー」


間延びした返事を聞いて、俺は2本のペットボトルを持ち、リビングへと戻る。


「ほれ」


「とうっ」


ペットボトルを放り投げると、蒼衣は真剣白刃取りの要領で、両手で挟み込みキャッチ。器用なやつだ。


ありがとうございます、と呟いて、蒼衣は水をひと口飲む。こくり、と動いた喉元が、なんとも艶かしい。


そんな蒼衣から視線を逸らして、俺は水を一気に飲んだ。冷たい感覚が、体の中央を通り抜けていく感覚が気持ちいい。口を離したときには、ペットボトルの半分くらいが無くなっていた。


「ほぅ……。相変わらず蒸し暑いですね」


「だな。……今年も大学に涼みに行かねえと」


服の胸元をぱたぱたと揺らし、風を送る蒼衣にそう返しながら、げんなりする。


あれ、行ってからはまだいいんだが、行くまでが暑いんだよな……。朝とはいえど、太陽はもう昇っているし、アスファルトからも熱気を感じる。何より、セミがうるさい。……いや、最後のやつは部屋にいてもそうなのだが。


そんな俺とは反対に、蒼衣は得意げにぴっ、と人差し指を立て、胸を張る。


「そんな先輩に朗報ですよ! ここから徒歩数分、エアコン完備の素晴らしい物件があります!」


「動画サイトの広告みたいなこと言い出したな……」


「誰が広告ですか。本当にいい情報なんですよ」


「……」


じとり、と蒼衣の顔を見る。どこかわくわくしたような、楽しげな瞳。……この顔、何かを企んでいるときの顔なんだよなあ。


そんな俺の考えはいざ知らず。……いや、知っている上で、な気もするが、蒼衣は指をさらに立てていく。


「他にもご飯、掃除、洗濯、彼女が完備されています!」


……なるほど、そういうことか。


「……蒼衣の部屋か」


「そういうことです! 昨年は断られましたけど、もう断る理由もないですよね?」


ぐい、と顔を寄せてくる蒼衣。もう少しで鼻先が触れそうだ。


「まあ、ないな」


「というわけで、今年からはわたしの部屋で夏を過ごしましょう。……ここ、暑いんですよ……」


顔をしかめる蒼衣。


「まあ、エアコンがついていないからな……。すまん」


「いえ、居座っていたのはわたしの方なのでいいんですけど。今年の夏は快適に過ごしたいなー、と」


「だな。……ただ、そうなると蒼衣の部屋の電気代だけが心配だが」


「それに関しては大丈夫です。……普段の電気代がほとんどかかっていないので」


あは、と微妙にバツが悪そうに笑う蒼衣。……まあ、お前ほぼ常にこの部屋にいるからな。


俺としては、電気代以上に色々としてもらっているし、何よりどうせ俺が使っている時間なので、それほど変わってくるわけでもないし、構わない。……払っているのは、俺ではないけれど。両親へ感謝。


「それに、ついているものは使わないともったいないので。……どうですか? 今年はわたしの部屋で、冷房を効かせて快適に過ごしませんか?」


魅力的な提案だ。それに、断る理由もない。むしろ、俺から頼みたいくらいだ。


俺の返答を確信しているのか、蒼衣は得意げに首を少しだけ傾けている。さらり、と落ちるひと房の髪に視線を奪われながら、俺は口を開く。


「……じゃあ、今年は蒼衣の部屋で過ごすか」


「いいんですか!?」


「まあ、エアコンついてるしな」


「エアコンは偉大ですね」


「本当にな……」


部屋の隅、エアコンの設置されそうな場所を眺めながら、そう呟く。……多分、今の俺と蒼衣の言葉の意味は、微妙に違うな。


視界の端で、よしっ、と拳を握る蒼衣が見えて、思わず苦笑する。本当に、昨年はこの暑い部屋の中で過ごさせて、申し訳ないことをしたな、と思う。……まあ、あのときの俺には、蒼衣の部屋に上がるなんて考えは微塵もなかったのだけれど。


なんとなく、撫でたくなって、蒼衣の頭に手を置きながら、俺はふと思う。


……俺にも蒼衣にも、別々に過ごす、なんて考えは一切浮かんでこなかった。お互いがいることが当たり前で、日常なのだ。


そんなことに改めて気づいて、自然に口角が上がる。


俺は、蒼衣の頭を全力で撫で回す。


「せ、先輩、乱暴ですー!」


「たまにはくしゃくしゃにしてみようかと」


「直すの大変じゃないですかぁー!」


そんな悲鳴の内容とは違って、なんだか嬉しそうな蒼衣の声が部屋の中に響いていった。

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