第19話 歯を磨き、話をしながら眠りへと

さっとシャワーを浴び、普段より高級そうでいい香りのするシャンプーやリンスの匂いが自分からすることに戸惑う。……これ本当に蒼衣が使っているものと同じなのか? あいつが使っているときのほうが甘くていい匂いがするんだが……。


女の子特有の甘い香りに疑問を抱きながら、俺はリビングへと戻る。


ベッドの中で眠そうにスマホを触る蒼衣が、俺に気づいてこちらを向いた。


「お待たせ」


「待ってないですよー」


「デートの定番みたいな会話だな……。あんまりしたことないけど」


「わたしたち、家が近すぎて待ち合わせってそんなにしないですしね……」


基本的に、出かけるときは蒼衣がすでに俺の部屋にいる、もしくは俺が蒼衣を迎えに行くことが多い。待ち合わせなんて、前に水族館に行ったときくらいしか覚えがない。他といえば、大学で落ち合うときくらいだ。


「まあ、その分気楽でいいけどな」


「わたしは待ち合わせをして行くデートもいいと思いますよ? 今度、久しぶりにやります?」


「まあ、別にいいが……。どこか行きたいところでもあるのか?」


「んー……特にどこっていうわけではないんですけど……。またどこか行きたいなー、とは思ってます」


「なるほど。まあ、どこか行きたいところが思いついたら言ってくれ」


「はい。……別にどこに行くとか、何をするとかまったく決まってませんけど、なんだか楽しいですね」


「予定の話って、たしかに楽しいよな。……今日は本当に何も中身のない話だったが」


「今度はしっかり予定を立てるほうでこんな話がしたいですね」


「だな」


俺の返答を聞いてから、蒼衣が、よしょ、と呟き、立ち上がる。


「歯磨きします」


「あー……俺もするかな」


「先輩、ご飯食べました?」


「いや、お前が寝てる間に、な」


「……そうですか」


まだあの失敗作のおかゆを食べてはいないが、寝落ちの可能性もある。……何より、蒼衣に見られたくないしな。


洗面所へと向かい、蒼衣はピンク色の歯ブラシを、俺はその隣に立てかけられた青の歯ブラシ──いつの間にか置かれていた──を手に取り、チューブを蒼衣から受け取り、歯磨き粉をつける。


「……歯磨きはしてくれって言わないんだな」


「いえ、さすがに、それは……恥ずかしいので……。え、先輩したかったりします? それなら、別に、その、してもらう覚悟はありますけど……」


「覚悟ってお前」


「だって、歯磨きは恥ずかしくないですか?」


「……それはたしかに」


蒼衣にされるのを思い浮かべたが、恥ずかしいなんてものではない。


彼女とはいえ、年下の後輩に歯を磨かれる。……うん、無理だな。恥ずかしすぎる。


そこから、無言で歯を磨き、後から磨きはじめたはずの俺のほうが早く磨き終わり、そのあとしばらくして、蒼衣が終える。


「歯磨き、性格出るよなあ」


「先輩早いですよね。ちゃんと磨いてます?」


「一応、そのつもりなんだが。もうちょっと丁寧に磨いたほうがいいのかもなあ」


そんなことを言いながら、リビングへと揃って戻る。


蒼衣がベッドに入ったのを見て、ぱちり、と電気を消す。少し待ち、目が暗闇に慣れてからベッドの側へと腰掛けた。


ベッドの上に手を伸ばし、指が触れた手を握る。きゅ、と軽く握り返されたのを確認して、俺は話をはじめる。


「そういえば、今年のゼミ合宿、夏休みの間にやるらしいぞ」


「ゼミ合宿……あー、そんなのもありましたね」


ゼミ合宿とは、文字通り、ゼミ生が集まって行く合宿だ。合宿、とついている通り、自由時間もあるが拘束時間ももちろんある。研究発表なんかをするらしく、場合によっては近場の他大学と交流したりもあるらしい。


他はどうか知らないが、俺と蒼衣の所属するゼミは、学年関係なく希望者全員が行けるものだ。


蒼衣は完全に忘れていたらしく、なんとも微妙な反応だ。まあ、昨年も行ってないしな。


「あれ、自由参加ですよね?」


「おう。行きたくないなら行かなくていいやつだ。金もかかるしな」


「……先輩は行くんですか?」


「もちろん行かない」


「それでいいんですか教授補佐のバイトさん……」


「あれ、バイト代出ないんだぞ……」


ゼミ合宿は、あくまでもゼミ生としての参加になるので、補佐のバイトとしての金は出ないのだ。むしろ、旅費がかかってマイナスになる。しかも、普通の旅費より高いくせに拘束時間があるのだ。行く意味がわからねえ。


「先輩が行かないなら、わたしも行かないです」


「……それでいいのか?」


なんだか、昨年にも似た会話をしたような、と思いながらそう返すと、蒼衣はふわりと笑う。


「だって、先輩と一緒にいるほうが楽しいじゃないですか」


「──」


……まったく、夜、しかも寝る前にどきりとさせてくれる。


「……それも、そうだな」


「でしょう?」


俺の返答に、嬉しそうに笑う蒼衣を見ながら、俺は密かに計画しているアレを必ず実行しようと決意する。


きっと、蒼衣は喜んでくれるだろう。いつかの約束のひとつだからな。


……その話はさておき。


「まあ、そもそもあれ高すぎるんだよな」


「たしか、2回くらい旅行行けそうな額払わされますよね」


「そうそう。そのくせ拘束時間があるし、研究発表とかさせられるらしいぞ」


「うーん……。それならわたし、自分で旅行に行きたいですね」


「わかる」


「……先輩、今年は旅行、行きません?」


「……まあ、予定が合えば、な」


「絶対合うと思いますよ」


くすくす、と笑う蒼衣に、内心俺もそう思う。……というか、大学生の長期休暇は暇なのだ。


それから15分ほど真っ暗な部屋の中、ふたりで少し話をしていると、少しずつ蒼衣の反応が鈍くなり、そしてついに眠ってしまったらしい。


すぅ、すぅ、と規則正しい寝息と共に、俺の手が、ほんの少しだけ強く握られる。


「……期待、してくれていいぞ」


そう、眠った蒼衣に小さく囁いて、俺は目を閉じた。

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