第20話 雪城雄黄の証拠隠滅戦
目は閉じた。が。
それだけで腹が満たせないのが人間というものだ。
「腹減ったな……」
ぽつり、と思わず声が漏れる。
……起きてから何も食ってないから、めちゃくちゃ腹減った……。
蒼衣が眠ってからしばらく経ったものの、俺の空腹は紛れることなく、眠気も来ない。むしろ、目を閉じて、何もしていない分空腹の存在感が大きくなっているように感じる。
……くそ、本当に腹減ったなあ。変なプライドを出さず、食っておくんだったか……。いやまあ、今から食べればいいだけなのだが、かといって、握られている手を離すのも……という状況だ。
……耐えるか。
不意に、ぐぅ、と腹の虫が鳴る。
……やっぱり腹減ったな。手の届く範囲に食べ物なんてあっただろうか。いや、ないのは知っているのだけれど。
目を閉じ、別のことでも考えて空腹から意識を逸らそうとするが、むしろそうすることで空腹に意識が向いてしまう。
……俺は元々、1日くらい食わなくても大丈夫なタイプだったはずなんだが、もうそういう体ではないらしい。随分と健康的になったものだ。
そう思っていると、握られていた手が緩められる。
……今なら手、抜けるな。
本当は、このまま握っておいてやりたいのだが、さすがにこの空腹は厳しいものがある。それに、あの失敗作の証拠を隠滅させるのは、今しかない。
「……悪いな。ちょっとだけ待っててくれ」
そう蒼衣に呟いて、俺は蒼衣の手から自分の手を抜いて、数回頭を撫でる。暗闇の中で、うっすらとだが蒼衣の口元が緩んだのが見えて、思わず俺も同じように緩む。
音を立てないように気をつけて立ち上がり、忍び足でキッチンへと移動。
ぱちん、と電気をつけると、暗闇に慣れた視界が一瞬真っ白になった。戻ってきた視界には、鍋がふたつ。
すでに平らげられたたまごがゆの鍋と、しっかりと存在を主張しているたまごがゆ失敗作の鍋だ。
……昼間の味を知っている身としては、正直食べたくない思いもあるが、この空腹感、背に腹はかえられない。あと、普通にもったいないしな。
おかゆを軽く加熱し、器に移し替えることなく、鍋に入ったまま食べはじめる。
……空腹は最高のスパイス、なんていうが、この飽食の時代ではそこまでいかないらしい。
つまり、何が言いたいのかというと。
「やっぱり味が濃いな……」
おまけに、加熱が短かったのか、中途半端な温度感で余計に不味い気がする。
……もはや、味わうほうが苦痛だと思う。一気にかき込むか。
そう考えて、俺はおかゆを口いっぱいにかき込み、飲み込む。
何度かかき込むことを繰り返し、ようやく鍋を空にした頃には、空腹は収まったものの、少し気持ち悪さが出てきていた。
……本当に、蒼衣にこれを食べさせなくてよかった。
改めて、必ずレシピを守ることを心に誓いながら鍋をはじめとする食器類を洗ってしまう。
……うむ、これで証拠は隠滅だ。
水切りに置き、ひとつ頷いて、俺は洗面所へ移動。まだ濡れている歯ブラシで軽く歯を磨いてから、リビングへと戻る。
暗闇の中、眠っている蒼衣の顔を覗き込みながら、優しく、起こさないようにまた頭を撫でる。最近は時々見るようになった彼女の寝顔だが、いつまで見ていても飽きない。
……さて、今度こそ寝るか。
しばらく蒼衣の寝顔を眺めた俺は、撫でる手を止め、ベッドの側に座り、手を伸ばす。少しひんやりとした手を握り、指を絡める。
ほんの少しだけ、握り返された気がして、意識しないうちに口角が上がる。
その手の感触を確かめながら、俺は今度こそ眠るべく、瞼を閉じるのだった。
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