第9話 ドキドキを上回る介護感

「……なあ、蒼衣。多分俺の聞き間違いだと思うから、もう1回言ってくれないか?」


「いいですけど、聞き間違いじゃないと思いますよ。わたしのお願いは──」


そこでひとつ区切って、蒼衣は小さく息を吸う。


「お姫様抱っこ、してください」


「……マジ?」


「その反応、さっきとまったく同じですよ。そしてマジです」


お姫様抱っこ。いわゆる、両腕でひとりを抱えるアレ。


予想外中の予想外。というか、想定しているほうが珍しいだろう。


「……ちなみに、急にお姫様抱っこをしろって言い出した理由は?」


「お姫様抱っこって、されるとどんな感じなのかなー、と気になりまして」


「……」


澄ました顔でそう言う蒼衣。俺は、きっと今、遠い目をしているのだろう。


「思ってたのと違うタイプの覚悟じゃねえか……」


こう、恥ずかしい感じのとか、お金がなくなる系とか、そういう覚悟をしていたのだが、主に肉体的覚悟だったとは……。いや、恥ずかしい系の覚悟も必要だが。


「さあ先輩、ひと思いに!」


「それはとどめを刺すときの台詞だと思うんだが」


両手を広げ、さあ来いと言わんばかりの蒼衣だが、残念ながらそれには答えられない。


「蒼衣。多分お姫様抱っこにその構えは間違ってるぞ」


「え? あー……たしかに、そうかもです。というか、正しいお姫様抱っこの構えってなんですか?」


「いや、知らねえけど」


というか、そもそもお姫様抱っこなんて現代でやることなんてほとんどないだろうし、抱きかかえ方に構えなんてないとは思う。


「……マジでやるのか? お姫様抱っこ」


「はい。やって欲しいです」


……まあ、元々何でもお願いを聞くという約束だ。仕方あるまい。


「……はぁ。わかった。じゃあまず、そこに寝転がってくれ」


俺は、ぴっ、とベッドを指差す。


それに従って、蒼衣はころん、とベッドに寝転がった。見慣れてはきたものの、未だに自分のベッドに彼女が寝転がっている、ということにどきり、とする。


彼女の体の下に腕を入れて、反対側をしっかりと掴む。柔らかな感触が腕に伝わるが、この重さを持ち上げると思うと、不安以外の何者でもないな……。


「……よし。じゃあ、いくぞ」


「は、はい」


緊張気味の蒼衣の返答を聞いて、俺はぐっ、と腕と脚に力を入れる。……こ、これは、なかなかどうして、その、アレだ。重……じゃなくて、キツい。


「ぐ、ぅぅぅぅ……」


「お、おぉー……」


はじめは、恥ずかしいなんて感情が一瞬過ぎった気もするが、今はそれどころではない。頭を埋め尽くすのは、ただひとつ。


──落とすわけにはいかないが腕も脚もしんどい!


ゆっくりと、慎重に、蒼衣の体を持ち上げる。


そして、ようやっとの思いで立ち上がり、完全なお姫様抱っこの形になる。……完全なお姫様抱っこってなんだ。


「……こ、これでいいか……?」


すでに息も絶え絶えな俺は、ちらり、と蒼衣の顔を覗き見る。そこには、満足そうな蒼衣──ではなく。


「……なんでしょう。ベッドから持ち上げられたせいか、ものすごく介護されてる感じがします。もっとドキドキする、ロマンチックなものだと思ってました」


複雑そうな表情の蒼衣がいた。そんなこと言われてもな……。


「も、もう満足したか? 降ろしていいか? 腕がもう限界なんだが」


「まだ満足してないです。もうちょっとすれば、介護感よりお姫様感が勝つと思うんです」


「お姫様感って、なんだ……ぐぅ……っ」


引きこもり大学生には、持ち上げるのが限界。腕はスマホのバイブレーションもかくやという勢いでプルプルしているし、脚も震えている。……いや、普通の大学生でもこれは無理だな、うん。


そして、この腕の感じ。これはもう、長くはもたない。


「ダメだ蒼衣。そろそろマジで限界。降ろすぞ」


そろそろ落としかねない、と俺が焦りながら、ベッドへと降ろそうとしているにも関わらず、蒼衣はしれっとこう呟いた。


「あ、先輩。ふたつ目のお願いです。そのままキープで」


「ちょ、本当に限界なんだが!?」


「頑張ってください、せーんぱい!」


「可愛く言っても無理なものは無理だが!?」


結局、数分間、意地と気合でキープした。二度とやらねえ……。

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