第19話 ここはわたしのナワバリです

思考と鼓動を落ち着けた俺は、浴室から脱衣所へと出て、髪を拭きながら、ちらりと洗面台へ視線を向ける。


なんの変哲もない、普通の洗面台だ。ただ、先ほどまでとは変わっている点がひとつ。


「……増えてるな、歯ブラシ」


そう、歯ブラシが増えている。


適当なコップに立てかけていた歯ブラシは、白が1本だったはずだ。だが、今そこには2本目、薄いピンク色の歯ブラシが、俺の白い歯ブラシに寄り添うように置かれている。


もしや、と思い、確認したのだが、どうやら俺の予想は当たっているらしい。


さっと体を拭いて、部屋着を着る。そして、リビングへと向かった。


蒼衣は、何やらベッドの方向を向いて、座りながらもそもそと動いている。


「なあ、蒼衣」


「ひゃあ!?」


びくり、と肩を跳ねさせ、こちらを振り向く蒼衣。……さっきとは逆の光景だな。


「……どうした?」


「な、なんでもないですよ!?」


「何か隠してないか?」


何を隠しているのかは知らないが、さっきのお返しだ。精一杯、じとり、とした感じの視線を向けながら、先ほどの蒼衣が言った言葉を使い回す。……じとり、感は出ているだろうか。


「何もないですよ!? この話は終わりです。続けるなら先に先輩が隠していたことを教えてください」


「よし、この話は終わりだ。別の話をしよう」


「別の話、ですか?」


こてん、と首を傾げる蒼衣。


「元々この話をしようと思って声をかけたんだが──」


首の角度はそのままの蒼衣に、俺は告げる。


「蒼衣。お前、私物置きはじめたな?」


「あ、見つかりましたか」


「それはまあ、な。あれだけ堂々とシャンプーやらを置かれたらさすがに気づく」


そう、置かれていたのは歯ブラシだけではない。シャンプーにコンディショナー、その他諸々が浴室に置かれていたのだ。明らかに俺のより高い。今度使わせてもらおう。


「他には何に気づいたんです?」


「歯ブラシと、あとはそれだ」


そう言って、ぴっ、と部屋の角を指差す。その先には、スキンケア用品らしきボトルが何本か立っている。


「今置いた分は全部見つかってますね……。ちなみに、まだ増える予定です」


「俺の部屋をなんだと思ってるんだ……」


「彼氏の部屋です」


なぜかドヤ顔でそう言う蒼衣に、俺は思わず呆れながら返事をする。


「それは合ってるけど。倉庫じゃないからな?」


「わかってますよ。毎回持ってくるのも面倒ですし、置いておいてもいいかなー、と思いまして」


「数メートルの距離だけどな……」


俺の住むアパートと蒼衣の住むマンションは、道を挟んで隣同士。文字通りすぐそこにあるのだ。わざわざ置いていかなくても、すぐに取りに行けるし、持ってくるのも重労働ではない。……まあ、毎回持ってくるのが面倒なのはわかるが。


「まあ、理由はそれだけじゃないですよ」


「ん? それ以外にあるのか?」


「はい。何だと思います?」


「そうだな……」


そう呟いて、俺は顎に手を当てる。そもそも、他に理由があることに驚いたくらいなので、まったく想像がつかないのだが……。


「こっちに置いておくと、2種類同時に使える、とかか?」


「残念、違います。というか、わたしの場合は化粧水とかシャンプーとか、もう全部固定なので変えることはないですね」


合う合わないが結構あるので、と手を交差させ、そう続ける。


「へえ……。シャンプーの合う合わないなんて、考えたこともなかったな」


「女の子は大変なんですよ。常に可愛くって結構手間がかかるんです」


本当は、男もそういうのを気にすれば手間がかかるのだろう。生憎、俺は適当なタイプなので、スキンケアやらシャンプーの相性やらを考えたことはないし、多分今後もそうなのだろう。


正面から、褒めてください、と言わんばかりの視線の訴えを受け、俺は頭を撫でる。まだ微妙にしっとりとした髪は、いつもと違う触り心地だ。これはこれで良いな……。


「なるほどな……。で、結局他の理由って?」


「簡単ですよ。ここはわたしの部屋だぞっていうアピールです」


「いや俺の部屋だが!? 家主に自室アピール!?」


真顔でそう言う蒼衣に思わずツッコミを入れてしまう。だが、蒼衣は表情を変えずに、人差し指をぴん、と立てて続けた。


「いえ、来客に対するアピールですね。もし、万が一、先輩がわたし以外の人を招き入れたときにナワバリを主張するためです」


「ナワバリ……」


もうちょっと言葉のチョイスがどうにかならなかったのか……。


「……まあ、これと同じような感じですよ。先輩はわたしのだぞっていうアピールです」


そう言って、風呂上がりに付け直したのか、左手の薬指に光る指輪を掲げる。


「なるほど。……って言っても、俺の部屋なんて、来ても両親くらいだぞ?」


そもそも、部屋に誰かを入れたのなんて、両親を抜けば蒼衣だけだろう。他に人を招いた覚えがない。


「なら、ご両親へのアピールです。先輩の彼女ですよっていう」


「そのアピール、いるか?」


「いりますよ! 今のうちにご両親と仲良くなって、認めてもらわないといけません。長い付き合いになりますからね」


「すでに結婚を見据えている……」


「当然です!」


まだ付き合って1ヶ月なんだが……。


胸を張る蒼衣を見ながら思わず苦笑を漏らす。


……まあ、結婚どうこうは未来の話として。


「俺も蒼衣の部屋に物を置きに行くか」


「わ、いいですね。何置きます?」


きらきらと目を輝かせる蒼衣に、俺はふむ、と考えて。


「……大学の使わなくなった教科書?」


「わたしの部屋倉庫じゃないんですけど!?」

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