第20話 交わり、溶けて──

「……」


「……」


部屋の中に、沈黙が横たわっていた。


別に、それ自体はさして珍しいわけではない。付き合う前にも、お互いに別のことをしていて無言の間もあったし、付き合ってからも会話のないままに膝枕で頭を撫でていたこともある。


だが、今回の沈黙は、普段の心地のよい沈黙とは根本的に違う。どこか、気まずさというか、探り合いがあるのだ。


時刻は午前2時を少し過ぎたくらいだ。明日も大学で講義のある俺と蒼衣は、そろそろ眠るべきなのだが。


「……」


「……」


い、言い出せない──ッ!


いざ、これからアレな空気になるかもしれないことを考えると、安易に言い出せない。こう、下心があるとは思われたくないし、かといってそういうことを期待してないわけでもないし、というかむしろ期待しているし……。


どうしたものか……。


蒼衣が泊まったときに、どうやって眠る方向に会話を持っていったのか、まったく思い出せない。


これは非常にまずい。


ちらり、と蒼衣に気づかれないように視線を向ける。


茶色がかった髪は、もうしっとり感はなく、蒼衣が少し身動ぎすると、はらりと動く。普段の服装よりも薄く、ゆったりとしているせいか、覗く肌の面積がやけに大きく感じる。ほんの少し、襟の隙間から覗く谷間と、服を押し上げる双丘の存在感に目を奪われそうになり、思わず視線を逸らす。


一瞬目に入った蒼衣の視線は、俺と反対側の床に向いていた。


小さく深呼吸をし、もう一度蒼衣に視線を向ける。先ほどの一瞬ではわからなかったが、どうも、ちらちらとこちらに視線を向けているらしい。その視線とかち合わないように、蒼衣を観察する。


手はきゅっ、と膝の上で握られており、ほんのりと染めた頬は、蒼衣の心境を物語っている。


……多分、同じことを思っているのだろう。


そうならば、ここは男の俺から言い出すのが筋──


とは思うが。なんて言うんだ!?


普通に「そろそろ寝るか」とかで良いのか!? 雰囲気とかまったく良くないけどどうなんだ……。


ぐるぐると、思考が回る中、俺は蒼衣へ視線を移す。


「──ッ」


「──ぁ」


……目が、合った。


誤魔化しようのないくらいに、それはもう、バッチリと。


ここだ、ここしかない。今言わないと、またしばらく時間がかかってしまう。


言わないと。だが、なんて言う? いや、そんなことを考えている時間もないし──


結局。一瞬の間にそこまで思考を回した結果、出てきたのは普段通りの、まったく雰囲気を良くしそうにない言葉で。


「……そ、そろそろ寝るか!」


「そ、そうですね!」


しかも、語末を上擦らせながら言う俺に、蒼衣も同じように上擦らせながら、そう答える。


とりあえず、そうと決まれば、と俺はベッドへと入り込む。緊張していても、毎日居座るベッドには、案外すんなりと入ることが出来た。


「……せ、先輩。あの、やっぱり、わ、わたし今日は床で──」


「ダメだ」


「ふぇ!?」


視線を彷徨わせながら、顔を真っ赤にして言った蒼衣に、思わず強めにそう言ってしまう。驚く蒼衣は、赤い顔をさらに赤くしながら、ちらり、と俺に目線を合わせる。その瞳は、軽く潤んでいるように見える。


「な、なんで、ですか……?」


「え、ええと、だな。その、あれだ──」


俺は、何かちょうどいい理由はないか、と考えに考えた結果。


「風邪を引かれたら、困る」


いつかに蒼衣の言っていた、半ば強引な理由が口をついて出る。


「ぁ……え、ええと……」


蒼衣は、いつかの自分の言葉だと気付いたようで、言い返すのは諦めたのか、数回、深呼吸をして。


「……で、では、失礼します……」


そう言って、俺の隣へとゆっくりと、入ってくる。もそり、と動く蒼衣に合わせて、甘い香りが嗅覚に届く。


蒼衣が布団に入り切ったのを確認して、俺は電気を消す。


ぱちり、という音と共に、先ほどまではっきりと見えていた世界が、一度真っ暗になり、次いでぼんやりと、月の明かりのお陰か、見えるようになってくる。


掛け布団を被ると、蒼衣の存在がやけに近く感じる。距離なんて、数十センチほど。蒼衣の呼吸も、温度も、ほんの少しの動きも、全てがすぐ側に感じる。


ごくり、と唾を飲んだ。


心臓は、うるさいほどに鳴り続けている。もしかしたら、蒼衣にも聞こえているのかもしれない。


けれど、今、そんなことはもはや些細なことだ。


ゆっくりと、蒼衣へと手を回し、抱き締める。


「ん──」


蒼衣が、思わず、といったように甘い声を漏らす。


ふわり、と甘い香りが濃度を増して、脳を麻痺させる。両手には温かく、柔らかい感覚が伝わった。


ぴたり、と蒼衣が俺の胸の辺りに密着する。今、俺と蒼衣に距離なんてない。隔てるものは、布数枚。


「……先輩、ドキドキしてますね」


「それは、まあ、な」


くっついたまま喋る蒼衣の吐息が、シャツ越しにかかり、ぞくりとした感覚が背中を駆け抜ける。


これは、やばい。もう、限界だ。


「──蒼衣」


名前を呼ぶと、彼女はこちらを見上げる。先ほどよりも、明らかに潤んだ瞳が、きらりと月明かりに反射する。


思わず、俺は蒼衣へと顔を近づける。


「んぅ──」


小さく開いた唇に、口付ける。


蒼衣は、抵抗することなく、それを受け入れ、目を瞑る。


どれくらい経っただろうか。


ゆっくりと離れると、とろんとした目の蒼衣が、呼吸を乱しながら、こちらを見ている。


ああ、掛け布団が邪魔だ。


右手で適当に布団をめくり、どけた後、俺は蒼衣を腕の中から離す。


「ぁ──せんぱい」


きゅ、と俺のシャツを掴み、離れまいとする蒼衣。その動作に、胸が締め付けられるほどの可愛さを感じながら、その華奢な肩に手を当て、押し倒す形にして、一度離す。


蒼衣は、一瞬だけその潤んだ瞳をこちらへ向ける。まるで、期待するかのように。


俺は、蒼衣の頭に手を当て、こちらに向ける。そして、その瞳が閉じられ、ほんの少しだけ顎を上げるのを見て、もう一度、今度は深く口付けて──

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