第14話 そんなお約束した覚えは

すん、と鼻を鳴らす。


何、とは表現出来ないが、美味しそうな香りに、記憶と胃が刺激される。この香りは……。


「……シチュー、か?」


「正解です! 前に買っていた食パンがそろそろ賞味期限だったので、パンで食べようかな、と」


そう言って、蒼衣は1枚も減っていない、袋に入ったままの6枚切りの食パンを持ち上げる。


「なるほど。……もう3月も末なのにシチューって冬っぽいな……」


「それは言わないお約束です」


「そんなお約束した覚えがないんだよなあ」


そんな会話をしつつ、俺と蒼衣は夕食の準備を進めていく。


今日のメニューは、シチューとパン。シンプルだが絶対に美味い。……まあ、蒼衣の料理は絶対に美味いのだが。


「じゃ、いただきます」


「はい、どうぞー」


いつの間に買ったのか、俺の知らない間に増えていた木製のスプーンでシチューをすくう。


口に運ぶと、クリーミーな風味が広がった。入っている具は、人参、玉ねぎ、ジャガイモ、ブロッコリー、そして鶏肉だろうか。


濃いめの味付けは、俺の好みにピッタリで、相変わらずの料理の腕に驚いてしまう。


「本当に、蒼衣の味付けは俺好みが過ぎるな……」


「お昼にも言いましたけど、分析の賜物ですね。最近はなんとなくわかるというか、予想が出来るようになってきましたけどね。1年間の成果です」


「大学に来て学んだのが俺の好みか。ご両親が泣くぞ」


そうなった原因の俺がそう言うと、蒼衣はぷく、と頬を膨らませる。


「しっかり勉強もしてますー!」


「教養科目の内容忘れてたじゃねえか」


「……先輩よりは、しっかり勉強してます」


「まるで俺が勉強してないみたいな言い方はやめろ……」


一応、教授のゼミの手伝いが出来るくらいには勉強しているのだ。……あれに深い知識はいらないが。


そんなことを考えていると、蒼衣が思い出したように、あ、と声を上げる。


「そういえば、先輩って不思議な成績してますよね」


「ん? そうか?」


「そうですよ。先輩、ゼミだけは絶対に良い成績ですよね」


「……言われてみれば。まあゼミの手伝いしてるからかもしれないけどな」


思い返してみれば、俺の成績はゼミだけ良くて残りは微妙だ。むしろ、ギリギリの単位が多い。


「それってバイト扱いでしたよね? 成績とは違いません?」


首を傾げる蒼衣だが、実はそんなことはない。


「大学の講義って、成績だけじゃなくて教授に気に入られるかどうかが大事だからな。成績が良くても教授に嫌われれば単位が取れても点数は落ちるし、成績が悪くても教授に好かれれば慈悲で単位がもらえる」


中学高校よりも、教授への印象に成績が左右されるのが大学の良いところでもあり、悪いところだ。


「そういうものですか。……でもわたし、自分で言うのもなんですけど、そこそこ良い成績取ってるんです。でも、教授に気に入られるようなことしてませんよ? 普通に受けてるだけですし」


そう言って、蒼衣はパンをひと口サイズにちぎってシチューへと浸す。


「蒼衣の場合は普通に講義を受けて、普通にテストの点数とか課題の点数が良いからだな。基本的に嫌われてさえいなければテストやら課題やらの点数通りになる」


「……その理論でいくと、先輩はテストや課題の点数が悪いのでは……?」


先ほどのパンを食べ、こくり、と飲み込んでから蒼衣はそう言った。


「……それは言わないお約束だ」


「そんなお約束した覚えないんですけど」


さっきのお返しだ、とばかりに、してやったり顔でそう言う蒼衣。


「……まったく、誰だ蒼衣をこんなことを言うやつにしたのは。前までそんなこと言わなかったのに」


俺は、心底残念だ、という顔をしながら、ひとつため息を吐いた。


「まったく、誰でしょうね」


それを聞いて、こちらを見ながらくすくすと笑う蒼衣は、なんだか楽しそうだった。

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