第9話 桜の香りと甘い香りと

「ですから、次は先輩の番です。はい、どうぞ」


そう言って、蒼衣は自分の太ももをぺしぺしと叩く。


「え、いや、俺は……」


「いいですから、ほら、先輩」


そう言って、蒼衣は片手で俺を引いて、もう片手で引き続き腿を叩く。


「……わかった」


折れそうにない……というか、少し目を輝かせる蒼衣に、俺は諦めて体を倒す。


ちらり、と周囲を見渡すが、人通りはまだなさそうだ。


ゆっくりと頭を下ろすと、柔らかい感触が伝わってくる。……スカート越しなのに、柔らかい……。


しかも、視線の先には視界を遮る双子山。……これは、男なら誰でも憧れるシチュエーションのひとつだろう。控えめに言って最高だ。


ポジションを変えて膝枕を堪能していると、頭に新しい感触がある。


「……蒼衣」


「なんですか?」


「いや、なんで撫でてるのかな、と」


その感触は、蒼衣が俺の頭を撫でている、というものだ。優しく動かされる手は、なんとなく心地よい。……恥ずかしいが。


「先輩がいつもわたしの頭を撫でるので、そんなにいいものなのかな、と思いまして」


「なるほど。……俺、お前より年上なんだけど」


「年上が年下に撫でられても問題ないと思いますけど?」


「とはいえなあ……。俺ももう子どもじゃねえし……」


「わたしも子どもじゃないですよ。そんなわたしを先輩は撫でてるんですから、逆もアリなはずです」


「いや、お前未成年だろ……」


「それはそうですけど、未成年なことと子どもなことは違うと思います」


「一緒だと思うけどなあ」


なんて言いながら、たしかに心情的には違うのかもしれない、とは思う。


なんだかんだで、思春期頃からずっと自分は大人だ、と思い込んでいたと思う。実際のところ、そんなことはないし、成人してからはまったく自分を大人だと思えはしないのだが。……大人は多分、花見で走り回らないし公共の場であーんやら膝枕やらをしない。……しないよな?


「結局、大人だの子どもだの言っている間は子どもなのかもな……」


「急に哲学的なこと言い出しましたね……」


そんなことを言い合って、考えている間も蒼衣は手を止める気配はない。一定の間隔で撫でられる感触が、ゆっくりと眠気を誘う。


「……お前が寝そうって言った理由がわかった気がする」


「あ、わかりました? 撫でられるのって、リラックスするのか少しずつ眠くなるんですよね」


「……蒼衣が毎晩気持ち良さそうにしている理由がわかった」


「え? そんなに気持ち良さそうな顔してました?」


思い返してみても、浮かぶのは目を閉じて心地良さそうな表情をしている蒼衣だ。


「結構しっかり」


「なんだか少し恥ずかしいですね……」


「今更だろ」


「そうですけどー!」


叫ぶ蒼衣に、俺はにやり、と笑って。


「また今度写真を撮って見せてやろう」


「と、撮らなくていいですから! ね!」


慌てるも、俺が膝にいるから大きく動けない蒼衣を見て、俺は目を閉じた。


柔らかな日差しに、心地の良い風。桜の香りに混じる、甘い香り。彼女の膝枕に頭撫で。


……ああ、なんとも幸せな昼下がりだ。


「き、聞いてます!? 先輩!? 絶対撮らないでくださいね!」


そんな幸せを、俺は彼女の悲鳴とともに噛み締めて、思わず口角を上げた。


「絶対撮るから安心しろ」


「だから撮らないでくださいー!」

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