第5話 卵焼きと執念のメモ

「先輩、あーん」


「え? 俺がされる側なのか?」


蒼衣の機嫌を直すべく、ふたつの要求に答えることになった俺は、箸に卵焼きを掴み、差し出してきた蒼衣に思わず問う。


「いえ、わたしもしてもらいますけど、まずは先輩にしようかな、と。はい、あーん」


「どっちにしろやらされるのか……」


問答無用、とでも言いたげな蒼衣に押し負けて、俺は卵焼きを食べる。柔らかい甘味が口の中に広がった。


「どうです?」


「美味い」


「それはよかったです」


満足げな蒼衣に、俺はひとつ気づいたことを言う。


「蒼衣の作る卵焼きと俺の母親が作ってた卵焼きの味が全然違う……。卵焼きって人によってここまで味が違うのか」


「卵焼きって結構家庭の味が出るんですよね。すっごく甘く作る人もいれば、しょっぱく作る人もいますし。卵自体に味はつけずに具を追加する人もいるみたいです」


「へえ……。で、蒼衣は甘めか」


そう言うと、蒼衣はこくり、とうなずいた。


「そうですね。わたしが甘いの好きなので、結構甘めにしてます。先輩のお家の卵焼きはどんな味でした?」


「そうだな……」


ふむ、とひとつ考える。……あんまり、味が思い出せないな……。そもそも、弁当を食べる機会、というのも少なかったし……。


と、しばらく頭を悩ませて、ようやく思い出す。


「ああ、そうだ。あんまり特徴的な味がない。卵本来の味、みたいな」


「薄味のタイプですね。……ちなみに、先輩の好みの味はどれなんですか?」


ちらり、と上目遣いで聞いてくる蒼衣に相も変わらずどきり、としながら、俺は答える。


「卵焼きといえば、みたいな話で言えば親のやつだな」


さすがに、幼い頃から記憶に刷り込まれてきた印象は、簡単には消えてくれないものだ。……いや、たしかにさっき忘れていたが、そういう話ではなくて。


「ただ、味の好みは、出来立て薄味卵焼きの上から醤油かけるタイプが好きだ」


「残念ながらそれはお弁当には入れられません。そっちはまた今度家で作りますから、今回はお弁当の話で」


作ってくれる!? マジか!


内心ガッツポーズをしながら、表向きには表情を変えずに続ける。


「あー……だと味がしっかりしてる方がいい」


「甘いかしょっぱいかだと?」


「弁当の中身がしょっぱい系になりがちだから甘い系だな」


「これくらいでいいですか?」


はい、と差し出してくる卵焼きを食べ、味を確認して答える。


「これくらいで」


「わかりました」


蒼衣は、取り出したスマホをぺしぺしと叩き、なにかを打ち込んでいる。恐らく、俺の卵焼きの好みなのだろう。


ちらり、と画面を覗くと、びっしりと文字で埋まっている。


見える文字からすると、俺の食の好みだろうか。……いつの間にそんな量を集めたのやら。


「それ、いつの間に集めたんだ……?」


思わずそう聞くと、蒼衣はこちらを見て、にやり、と笑う。


「わたしが先輩を好きになった頃なので、昨年の5月くらい、ですね。先輩の胃袋を掴むためにメモしてました」


「1年コースのメモじゃねえか」


「そうですよ。わたしの執念の結晶です!」


「執念とか言うんじゃねえよ……」


せめて他に言い方があっただろ。恋心とか。


「そんなわたしのメモから先輩の好みにあわせたお弁当がこれなわけですよ。と、いうわけで」


そう言って、蒼衣はスマホを片付けて、箸に持ち替える。


「はい、あーん、です。先輩」


ふわり、と笑う蒼衣に負けて、俺はまた差し出されたおかず──今回はアスパラのベーコン巻きだ──を食べる。


「やっぱり完璧に美味いな……」


そう呟いた俺の言葉に、蒼衣は嬉しそうに笑っていた。

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